近代の出発をルネサンス時代の遠近法に求める理由は、「見る者の視線」が「神」から「人間」に変化したからである。西欧近代は自分の思うがままに植民地の国境線を描くように、アジアを近東、中東、極東と彼らを中心に再配置した。以後、見る者の視線、それを他人に強要できる力は「権力」になった。解釈を強制することができる力がすなわち権力であり、今日私たちが経験している韓日対立の本質も「解釈できる権力」の問題である。
1965年韓日協定第2条は、「1910年8月22日及びそれ以前に大韓帝国と大日本帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効(already null and void)であることが確認される」と規定している。韓国は「もはや無効」という言葉を、大韓帝国と大日本帝国の間のすべての条約は「当初から無効」と解釈し、日本は1910年の条約は当時には有効だったが韓国の独立以後効力を喪失したので「1965年時点で無効」という意味に解釈した。このような曖昧な条項を残しておいた理由は何だろうか。まず、米国が主導する冷戦秩序の下部構造で韓日国交正常化が必要だったため、容易には解決しにくい対立は取り繕ったままやり過ごそうとした米国の意図が貫徹されたためで、二番目は、このような微妙な部分を解釈する権力こそパックス・アメリカーナを維持する米国の力であるからだ。私たちが結んだ協定なのにそれを解釈する力がないという事実を、今日の私たちは骨身にしみるほど確認している。「私が眺める通りに見ろ!」それが米国の力である。
『連行される、捨てられる、私たちの前に立つ 1・2』は、8月15日の日帝植民地からの解放を迎えても決して解放の瞬間を迎えたことがなかった、いや、長らく存在さえ知らなかった「慰安婦」女性の話を書いている。2016年と2017年の2年間、ソウル大学人権センターのチョン・ジンソン研究チームは、ソウル市の支援を受けて米国の国立公文書記録管理局(NARA)とイギリスの国立公文書館(TNA)、日本の国会図書館などを訪ね、当時の戦争や帰還状況を示す文書や画像資料など、日本軍「慰安婦」関連の資料を収集して研究した。開発独裁時代、権威主義体制の下で息を殺さなければならなかった被害者の声が湧き水のように流れ出し始めたのは、87年民主化以後の事だった。それ以前まで韓国社会はまともな研究どころか、「挺身隊」と「慰安婦」さえ区別することができなかった。
「慰安」という言葉は、慰労と休息を意味する言葉だが、彼女たち「慰安婦」被害者たちには夢でも聞きたくないほど、ひどい暴力とトラウマで苦しませる単語だった。しかし、サバイバー(被害生存)の女性たち、おばあさんたちは過去27年間、雨風に耐えて駐韓日本大使館前で、世界各地で、彼女たちの視線でこの事件を広く知らせてきた。彼女たちは、被害者から女性と人権、平和のために闘争する活動家に変貌した。彼女たちの努力と声のおかげで、世の中を自分たちの視線によって思うがままに裁断し、力なき女性を性奴隷に引き込み結局捨てた者、国家暴力の実体を、私たちは表に出すことができるようになった。これほど長い間闘ってきた末にようやく私たちの前に立つことになった人々を、再び捨てるつもりなのか。