本文に移動
全体  > 文化

原爆投下時に消えた最初の日本語訳『懲毖録』出てきた

登録:2019-12-03 07:11 修正:2019-12-03 09:34
キム・シドク教授、広島市立図書館の『通俗懲ヒ録』原本フィルムを入手 
1783年に漢文『懲ヒ録』を日本語に翻訳…ハングル本より100年前に
『通俗懲ヒ録』第1巻表紙=キム・シドク教授提供//ハンギョレ新聞社

 1945年の広島への原爆投下時に消失したと知られていた懲毖録(懲ヒ録)の最初の日本語翻訳本『通俗懲ヒ録』(1783)が約70年ぶりに姿を現わした。キム・シドク・ソウル大学奎章閣韓国学研究院人文韓国(HK)教授は最近、『通俗懲ヒ録』の原本を撮影したフィルムを入手し、これに関して作成した論文『広島市立図書館本「通俗懲ヒ録」について』を2日、ハンギョレに公開した。

 懲ヒ録は、柳成龍(リュ・ソンリョン)が1604年まで壬辰倭乱の悲劇を漢文で記録したものだが、その後日本では、17世紀に日本語訓読(漢字の意味を日本語で書き留めること)を加えた『異称日本伝』(1693)、『朝鮮懲ヒ録』(1695)が相次いで出版された。『通俗懲ヒ録』は広島の儒学者カネコタダトミが藩主の浅野重晟の命令により完訳したもので、「通俗」は当時の漢文の日本語翻訳物に添える表現だった。キム教授は「19世紀末のハングル本『光明翻訳懲ヒ録』より100年早く発刊されたもの」と説明した。『通俗懲ヒ録』は朝鮮の懲ヒ録にはなかった朝鮮の地図まで載せ、翻訳者のカネコタダトミは序文で「国を治める時、戦争を忘れて安らかな時、困難な時期を忘れるのは憂慮するに値すること」と書いた。

『通俗懲ヒ録』第1巻に載せられた朝鮮地図。本来の柳成龍の懲ヒ録にはなかったもので、当時の日本人が韓国の地理に高い関心を持っていたことを示している=キム・シドク教授提供//ハンギョレ新聞社

 浅野家はその後、『通俗懲ヒ録』を始めとする所蔵図書9万冊を広島市立図書館に寄贈した。1971年に広島平和記念資料館が刊行した史料によると、図書館は原子爆弾が投下された8月6日に浅野家の特別図書1万点を移そうと玄関に積んでいたが、トラックの到着が遅れたために燃えてしまったと記録されている。その数日前に他の所に移していた貴重本など9000点も翌月の水害で大部分が消失したという。

 しかし、2015年に図書館が「浅野文庫」リストを再度整理して、「通俗懲ヒ録」を含む浅野文庫本の一部が奇跡的に外部に搬出されて現存していることが分かり、キム教授は先月初め、日本の防衛大学校の井上泰至教授から広島市立図書館にある『通俗懲ヒ録』全体の撮影本をもらい論文を書いた。キム教授は「懲ヒ録が朝鮮ハングル本より100年早く日本語に翻訳されたということは、隣国の歴史と情勢に関心が高かった日本社会に懲ヒ録がすでに古典として定着していたことを示している」と説明した。キム教授は6日にソウル大学で開かれる「奎章閣金曜市民講座」でこのような内容を発表する予定だ。

イ・ジュヒョン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/919259.html韓国語原文入力:2019-12-03 02:31
訳M.S

関連記事