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[インタビュー]「弟と過ごした『すべての瞬間』を記憶し、励ます音楽をやりたい」

登録:2019-06-18 10:33 修正:2019-06-18 12:18
セウォル号遺族のクォン・オヒョンさん、追悼曲を発表 
 
末の弟のオチョン君が亡くなって5年  
「弟を売り物にして曲を出すのか」との攻撃は怖かったが  
周りで応援してくれる人の支援で完成 
 
弟にしてあげられなかったことが多く 
僕の話を歌にして歌えば 
犠牲者をもっとずっと覚えていてくれるでしょう
セウォル号沈没事故で亡くなった末の弟にしたい話を込めた歌「すべての瞬間」を発表したクォン・オヒョンさん。14日午後、ソウル麻浦区のハンギョレ新聞社を訪れた=キム・ジョンヒョ記者//ハンギョレ新聞社

 あの日の1本の電話で、クォン・オヒョンさん(32)の人生はすっかり変わった。2014年4月16日午前9時頃、麗水(ヨス)に出張に出ていたクォンさんに母親が電話をかけてきた。「オチョンの乗った船が…」

 すぐに車を回して安山(アンサン)に戻った。テレビで「全員救助」の報道が出た。良かったと思いながらも、気にかかった。やみくもに珍島(チンド)に車を走らせた。到着してみると、そこは生き地獄にほかならなかった。「クォン・オチョン君、ここにいます」。夜遅く病院から連絡が来た。弟に会ったのは霊安室だった。あまりのことに腹が立ち、涙も出なかった。

 三人きょうだいの長男のクォンさんと末っ子のオチョン君の年の差はちょうど10歳。クォンさんは大学と軍隊のため長い間家を離れていた。無口なオチョン君は末っ子だからと甘えることもなかった。振り返ってみると、二人で親しく過ごした記憶があまりない。そのせいでさらに申し訳なく、無念だった。事故の一年前に父親が肝臓がんで亡くなったため、いっそう責任を感じた。セウォル号遺族対策委員会の仕事を担って走り回った。

 彼を苦しめたのは先立った弟ではなかった。「補償金はいくらもらったのか」「死人を売るのか」といった攻撃だった。ショックを受け、対人恐怖症に過食症まで生じた。食べるとすぐに吐いてばかりで、体重が30キロも減った。2015年末、一人で安山から彭木(ペンモク)港までの往復1千キロを歩き、気持ちをなだめた。2周忌の頃、オチョン君が行く予定だった済州島の修学旅行コースを回りながら、深い喪失感と向き合った。その後、毎日酒に浸った。極端な選択をし(自殺を試み)、4日後に意識を取り戻した。

 2016年末、JTBCの芸能番組「ヒップホップの民族 2」で歌手のチータとチャン・ソンファンがセウォル号の追悼曲「イエローオーシャン」を歌うのを見た。「外に誰かいませんか/壁に投げつける叫び」という部分で、ガツンと頭を殴られたような気がした。「第3者が、左派呼ばわりされて攻撃を受けるかも知れない歌手がこうして歌っているのに、僕は何をしているんだ」。一時は歌手を夢見た彼に、小さな希望が生まれた。「僕の話を歌にして歌えば、犠牲者をもっとずっと記憶してくれるんじゃないか」

 音楽学校に通いながら曲の書きかたを学んだ。いつだったか眠ろうとした瞬間に何かがぱっと通り過ぎた。その楽想を整えて、歌詞をつけて曲にした後、4・16家族合唱団の仕事で知り合ったユン・ヨンジュン・プロデューサーに助けを求めた。ホン・ジュンホ(ギター)、カン・スホ(ドラム)、チェ・フン(ベース)などトップクラスのセッション演奏家たちが喜んで参加した。ユン・ジョンシンの「いいね」を作曲したポスティーノは、音源ミキシング・マスタリング作業を行った。クォンさんは「オヒョン」という名で今月11日、デジタルシングル「すべての瞬間」を発表した。

 「何事もなく暮らしているかい/病気せず笑っているかい/君が去ったこの空間は/届かない光のせいでいつも暗いよ/何事もなく暮らしている僕は/病気せず笑っている僕は/一緒に笑っていたあの日が/いつか僕を苦しめるんじゃないかと/ときどき君を忘れようとする」

 14日、ソウル麻浦区(マポグ)のハンギョレ新聞社で会ったクォンさんは「弟に送る手紙を書いた歌だが、恋人の別れの歌、大切な人を失った人のための歌とも聞けるように意味を重ねて歌詞を書いた」と話した。多くの人が聞いて共感してほしいという気持ちからだ。「弟を売り物にして曲まで出すのか」という攻撃が集中するのではないかと怖くもあったが、傷ついても応援してくれる人を信じて最後までやってみようと決心したという。

 「弟にしてあげられなかったことが多くてすまないと思っていたが、いつかあの世でまた会った時に堂々としていたかったんです。多くの人を励ます音楽をつくって来たと言ってあげたいです。歌を作って歌いながら、むしろ私が慰められました」

クォン・オヒョンさんの右腕に刻まれたタトゥー。家族の誕生日とセウォル号事故の日付、黄色いリボンを入れた=ソ・ジョンミン記者//ハンギョレ新聞社

 クォンさんの右腕に刻まれた「リメンバー2014.04.16」の文字と黄色いリボンが目立った。「これですか?あるとき急に弟の顔が思い出せなかったんです。これはだめだと思って、タトゥーを入れました。忘れないように」。彼はいま、歌で弟と一緒に過ごした「すべての瞬間」を思い出している。

ソ・ジョンミン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/898268.html韓国語原文入力:2019-06-17 20:52
訳M.C

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