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「古代国家 伽耶、6カ国でなく12カ国以上で構成」

登録:2018-07-17 21:51 修正:2018-07-18 09:30
伽耶(カヤ)古墳群世界遺産登載推進団「研究叢書」発刊 
紀元前1世紀から562年まで約600年間繁栄 
利害関係からまり伽耶内部で戦争も 
任那日本府、倭が阿羅伽耶に派遣した使節
古代国家 伽耶の歴史は、西暦400年高句麗広開土大王が朝鮮半島南部の伽耶と倭の兵を攻略したことを基点に、洛東江下流地域を中心に繁栄した前期伽耶(左図)と内陸地域を中心に繁栄した後期伽耶(右図)に区分される=慶尚南道提供//ハンギョレ新聞社

 「今日の慶尚南道地域を中心に繁栄した古代国家伽耶は、首露王など六兄弟が建国した六つの小さな国々で構成され、互いに連盟を結び仲が良かったが、新羅に征服された」

 これが伽耶に関する一般的常識だ。しかし、各種の研究成果を総合してみる時、これは歴史的事実とは全く距離が遠い。六つの国が兄弟のように仲良くしていたというのは『三国遺事』の記録のために作られた虚構に過ぎないというのが、伽耶関連研究成果の総合結論だ。

 「慶尚南道伽耶古墳群世界遺産登載推進団」は16日、『伽耶史総論』『伽耶古墳群1』『伽耶古墳群2』の三巻で構成された『伽耶古墳群研究叢書』を出した。研究叢書は「伽耶史の時期区分と空間的範囲」「伽耶古墳群の形成過程と景観の特徴」「文献で見た伽耶の対外交流」など計25章で構成され、大学・博物館・研究院など20の機関の専門家25人が一章ずつ分けて執筆した。

慶尚南道伽耶古墳群世界遺産登載推進団が出した『伽耶古墳群研究叢書』//ハンギョレ新聞社

 研究叢書は「『三国志』『三国史記』『日本書紀』などを総合的に分析する時、政治体制としての伽耶は2世紀から存在するが、文化成立時期を含めれば伽耶の歴史は紀元前1世紀から大伽耶が滅亡する562年までの600年余りに達する。また伽耶は、12個以上の小さい国々で構成され、高句麗・百済・新羅の三国とは区分される独自の歴史を持っている」と結論付けた。

 全盛期の伽耶の領域は、東は釜山と慶尚南道梁山(ヤンサン)・密陽(ミリャン)まで、西は全羅北道南原(ナムウォン)・長水(チャンス)と全羅南道谷城(コクソン)・求礼(クレ)・光陽(クァンヤン)・順天(スンチョン)など湖南(ホナム)東部地域まで達した。したがって伽耶を除く高句麗・百済・新羅の三国だけが朝鮮半島に存在した期間は、伽耶の滅亡以後、660年に百済が滅亡するまでの100年にもならなかった。

 研究叢書は、西暦400年を基点に前期伽耶と後期伽耶に伽耶の歴史を区分した。高句麗広開土大王は、伽耶と日本(倭)の侵略を受けた新羅の救援要請を受け入れ、400年に5万人規模の歩兵と騎兵を派遣して、倭兵と伽耶を攻略した。この時、洛東江(ナクトンガン)下流地域が主戦場になり、洛東江の水路と海を利用して発展した南部伽耶が大きな打撃を受けた。このため南部海岸地域にあった伽耶の中心が高句麗の攻撃を受けて以後、慶尚北道高霊(コリョン)の加羅国と慶尚南道咸安(ハマン)の阿羅国など北部内陸地域に移動した。

 伽耶は利害関係にしたがって隣の伽耶を侵略したりもし、新羅を背に負って他の伽耶国と戦争もした。史勿国(サムルグク)など金海(キムヘ)西部地域の国々が起こした戦争である浦上八国戦争が代表的だ。したがって、伽耶連盟体論は虚像に過ぎないわけだ。

 韓国と日本の歴史学界の長年の論争の種である「任那日本府」について研究叢書は、倭の王権が伽耶に派遣した外交使節と定義した。任那日本府は、咸安の阿羅国に長期滞留し伽耶王らと歩調を合わせて百済と新羅に対する外交活動に参加した。阿羅国の王は彼らを通じて倭を背後勢力として確保し、百済と新羅に対抗した。

慶尚南道咸安郡の伽耶邑で発見された阿羅伽耶王宮跡地と推定される遺跡。阿羅伽耶は後期伽耶の中心地であった=慶尚南道提供//ハンギョレ新聞社

 伽耶古墳発掘の結果、伽耶は死んだ権力者のために従属関係にあった人を強制的に殺して一緒に埋葬する殉葬を3世紀末から6世紀中葉までしていたことが確認された。古代朝鮮半島南部の殉葬は、3世紀末に造成された金官伽耶の古墳である慶尚南道金海市大成洞(テソンドン)古墳で初めて確認された。新羅で殉葬が施行されたより早い時点だ。6世紀に造成された大伽耶古墳の慶尚北道高霊郡芝山洞(チサンドン)44号墳では、40人余りの殉葬者が確認された。これは古代朝鮮半島で確認された最大規模の殉葬事例だ。

 慶尚南道伽耶古墳群世界遺産登載推進団は「今回出した研究叢書は、伽耶古墳群世界遺産登載のための基礎資料として活用するために、最近の研究成果を集約し専門性を備えつつ一般教養書水準で整理したものだ。伽耶に関連した多くの研究成果を、初めて一堂に集め整理したという点に研究叢書の価値があると見る」と明らかにした。だが、急いで出版したために、研究叢書は所々誤字が残り、筆者どうしが使う用語も一部統一できなかった。またそれぞれ異なる研究結果を提示するなどの問題点も抱えている。850ページを超える膨大な分量の学術書籍であるのに、索引が付いていないなど、物足りなさも残る。

チェ・サンウォン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/853447.html韓国語原文入力:2018-07-16 15:14
訳J.S

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