3月12日午後、済州島(チェジュド)の西南部にある西帰浦市(ソギポシ)大静邑(テジョンウプ)サンモ里の旧アルトゥル飛行場周辺は、ジャガイモの農作業が真っ盛りだった。 この地域の農民がトラクターで畑を耕し、腰を曲げて手で農作業をしていた。畑と畑の間にまばらに咲いた黄色い菜の花と周辺の青い草が、寒い冬を振り払い背伸びをする済州の春を知らせていた。日帝が作ったバンカー陣地の上に上がると、100余万坪の広大な野原が一望できた。畑になっている平野の所々に日帝強制占領期間に建設された格納庫が見え、山房山(サンバンサン)が手に取るように近くに見えた。その後ろには壮大な漢拏山(ハルラサン)が屏風のようにアルトゥル飛行場一帯を抱いていた。その横には松岳山(ソンアクサン)が高く聳え、加波島(カパド)と韓国最南端の馬羅島(マラド)がはるか先に点々と浮かんでいた。
松岳山とアルトゥル飛行場一帯は、済州オルレ(小道)10コース(和順金砂海岸~モスル浦)の通り道だ。“トゥル”とは済州語で“広い平野”を意味し、“アル”は“下”という意味だ。“アルトゥル”はモスル峰の下の平野に由来する。旧日本海軍が1931年に建設したアルトゥル飛行場は、1945年の終戦まで約15年間にわたり日本軍の主要軍事拠点だった。付近には朝鮮戦争時期に予備検束され211人が集団虐殺されたソアルオルム4・3遺跡もある。
穏やかな陽気の下でオルレ愛好者が一人、または二人で歩く姿がしばしば目についた。 ソアルオルム4・3遺跡付近を歩いていたパク・レソンさん(51・京畿城南市盆唐区)はこの日、一人で済州オルレ10番コースを歩くため、日帰り済州旅行に来たと話した。
パクさんは「済州にこのような隠れた歴史遺跡があるとは知らなかった。本で見ただけの歴史の現場を自分の目で見て感じながら歩くのがとても良い」と所感を話した。パクさんは「松岳山海岸の絶壁に全く知らなかった日本軍の戦争遺跡である人工洞窟(坑道陣地)もあった」と言って「良いカフェもあって景色もずば抜けていて、今度また来たい」と明るく笑った。
“平和の島”済州が“ダーク ツーリズム”の現場として注目を集めている。ダークツーリズムとは、単純に楽しむ旅行ではなく、歴史的に死や苦痛、惨劇が起きた地域を旅行して真実を悟る旅行だ。ホロコーストの現場であるポーランドのアウシュビッツ収容所、カンボジアのキリングフィールド、原爆が投下された日本の広島と長崎、数十万人の中国人が日本軍に虐殺された中国の南京大虐殺記念館、原発の危険性を教えたチェルノブイリ、旧ソ連の原発付近などは代表的なダークツーリズム地域だ。
例えばアウシュビッツが観光地になることに拒否感を感じる人もいるだろうが、おかげで多くの人々が現場学習を通じてナチの蛮行を生々しく感じて、再びこうした歴史が繰り返されないよう誓い、社会的共感を形成することができる。『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』の著者である東浩紀氏の次のような指摘はダークツーリズムの本質をよく示している。彼は「この本を貫く一貫した問題意識は、チェルノブイリの記憶、福島の記憶を未来に継承するために『忘れてはならない』と唱える以外に何ができるのかという問い」と明らかにした。本は「ある場所で生じた悲しみは、その場にいてこそ、その重さや辛さをリアルに感じることができる」とも指摘した。
他に類を見ない美しい自然を抱いた済州の近現代史は苦痛で綴られた。中日戦争時期、日帝は済州島を中国爆撃のための基地として使い、太平洋戦争末期には日本本土を守るための最後の拠点として朝鮮人を強制動員して済州島を要塞化した。解放以後に起きた韓国現代史最大の悲劇の一つである済州4・3事件では、済州島の全人口の10%が犠牲になった。また朝鮮戦争時期には、中国軍の捕虜収容所があり、大静邑の陸軍第1訓練所で訓練を受けた延べ50万人の青年が前線に出て行った。大静邑にはまだ当時の指揮所、医務隊建物、第1訓練所の正門柱と強兵台教会、空軍士官学校の勳籍碑などが残っている。
済州島にはこのような歴史的背景ゆえに旧日本軍の軍事施設をはじめ解放以後に起きた済州4・3事件遺跡、朝鮮戦争時期の韓国軍の軍事施設など韓国近現代史の現場を見ることができる歴史の現場があちこちにある。こうした現場はほとんど済州のずば抜けた絶景と共に見てこそ感慨を伝える。
韓国政府は2007年に済州島を「世界平和の島」に指定した。政府は「平和の島」指定の根拠として多くを挙げたが、その中でも解放以後に起きた済州4・3事件の廃虚を歩いて済州の人々の意志と和解・共生の精神を平和の概念の中に入れた。
最近では済州4・3事件をひと目で見られる済州市奉蓋洞(ポンゲドン)の済州4・3平和公園を訪れる人も増えた。10日、4・3記念館で会ったピョン・ジョンウンさん(32・女・済州市)は「済州に住んでいるのに、他の展示会を見に来て今回初めて記念館を訪ねた」として「4・3という歴史的事件に対してより深く知ることができたし、歴史と人権について考える時間になった」と話した。
記念館の出口にある願いの木に付けられた短冊の字句も目についた。
「教科書には4・3事件と短く書いてあるだけで、どんな事件かもよく知らないままで過ぎてしまったが、大学入試を終えてここに来て自分自身の無知が恥ずかしかった。覚えられないからと調べてみもしなかった態度を直さなければと思いました。ここに多くの人が訪ねてきて、多くのことを感じて学んだら良いと思いました」(2016年12月9日全羅南道順天(スンチョン)のある女子高生)
「4・3事件の辛い歴史を記憶します。再びこの地にこうしたことが起きないよう切に祈ります」
済州発展研究院のパク・チャンシク済州学研究センター長は「多くの人々に済州島は“美しい島”、“世界自然遺産の島”として知られたが、済州を訪ねる人々がダークツーリズム体験を通じて平和と人権についても考えることができればうれしい」と語った。