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「朝鮮の青年たちを戦場に追い立てた宣伝歌…子孫も知っておかなければ」

登録:2017-02-03 00:00 修正:2017-02-03 09:02
日帝軍国歌謡CDを作ったイ・ジュンヒ、イ・ヨンチャン氏
イ・ジュンヒ有情千里副会長(左)とイ・ヨンチャン民族問題研究所編纂室長(右)=カン・ソンマン先任記者//ハンギョレ新聞社

昔の歌を愛する市民の会「有情千里」 
民族問題研究所と“40曲”CD発売 
「日章旗を描いて聖寿万歳歌う」 
 
日帝の戦争狂奔に動員された大衆音楽 
「遺族たちは不快に思うが歴史的事実」 
禁止曲・抗日音楽の発掘作業も継続

 日帝末期に植民地朝鮮の青年を戦場に送る宣伝道具として活用された「軍国家歌謡」40曲が2枚のCDに収められて発売された。昔の歌を愛する会である「有情千里」と民族問題研究所が共同で作った「日章旗を描いて聖寿万歳歌う」がそれだ。両団体は追加発掘を通じて軍国歌謡CD選集を今後も出す計画だ。イ・ジュンヒ有情千里副会長(45)とイ・ヨンチャン民族問題研究所編纂室長(52)に2日ソウル東大門区(トンデムング)旺山路(ワンサンロ)の民族問題研究所事務室で会った。

軍国歌謡40選CD=カン・ソンマン先任記者//ハンギョレ新聞社

 いわゆる軍国歌謡が日本に登場した時期は、1931年の満州事変の時からだ。植民地朝鮮には37年の中日戦争以後に登場し、日帝が第2次世界大戦に狂奔した42~43年に集中して製作された。今回、軍国歌謡として判定された40曲のクレジットによれば、作詞は趙鳴岩(チョ・ミョンアム)、半夜月(パン・ヤウォル)、作曲は朴是春(パク・シチュン)、孫牧人(ソン・モギン)、金海松(キム・ヘソン)、歌手は南仁樹(ナム・インス)、白年雪(ペク・ヨンソル)、李蘭影(イ・ナンヨン)など、当代最高の大衆音楽人の名前が見える。このうち李蘭影を除いて全員が『親日人名辞典』の名簿に上がった。

 この作業はイ・ジュンヒ副会長が昨年夏、民族問題研究所に提案して実現した。彼は2003年にオーマイニュース連載「日帝侵略戦争に動員された流行歌-軍国歌謡を正しく見る」を通じて、軍国歌謡の本当の姿を初めて細かく明らかにした。民族問題研究所が2009年に出した『親日人名辞典』(音楽家編)の編纂にも参加した。有情千里は今年で創立8年目だ。この間、韓国の優れた昔の歌を復元して大衆に知らせる努力をしてきた。2012年の「南仁樹全集」に続き、昨年は「李蘭影全集」を出した。

 イ副会長と民族問題研究所の縁は以上の通りだが、昔の歌と歌手を愛する会の有情千里と、親日の歴史を明らかにしてきた民族問題研究所の共同作業は容易なことではない。実際、CDのレーベルを見ればその差が分かる。民族問題研究所のイム・ホニョン所長は挨拶辞で「日帝に附逆した過ちを心から謝罪した人がいない韓国の現実に(このCDが)警鐘を鳴らすことを望む」と書いた一方で、有情千里のイ・ドンスン会長は、CD発売の背景に「『最小の排除を通した最大の統合』という社会大統合の精神が敷かれている」と書いた。

 「軍国歌謡の製作に参加した音楽家の遺族たちは『なぜそんなことを暴くのか』と不快感を示しています。しかし、現実にあった事実を覆い隠して行くわけにはいきません。厳正な判断のためにも客観的に確認可能なあらゆる事を集めて、忠実な資料を作らなければなりません」(イ・ジュンヒ)。彼はこのような作業の成果として、軍国歌謡の不名誉を晴らした南仁樹の「感激時代」(1939)を例にあげた。「1937~38年、レコード会社に強制割当する方式で軍国歌謡が出てきたが、39年には発売されなかった事実を当時のレコード会社の幹部座談会を通じて確認しました」。2006年に民族問題研究所と韓国音楽協会京畿道支会が共同で作った『蘭坡 洪永厚年譜』は共同作業のモデル事例だ。「最大限客観的に洪蘭坡年譜を作るために1年6カ月かかりました。民族問題研究所に反対する人もこの年譜については高く評価しています」(イ・ヨンチャン)。イ編纂室長は今回の作業について「日帝末期にこのような軍国歌謡があったという事実を若い世代に知らせ、考える機会を持たせようという点では有情千里側と一致した」と明らかにした。有情千里は軍国歌謡に続き日帝時の民族思想と社会主義思想のために禁止曲になった歌も選集として出す計画だ。

 CD製作には、1987年に『韓国歌謡史』(日本語版)の出版を通じて解放後初めて軍国歌謡の実体を大衆に知らせた在日大衆音楽専門家のパク・チャンホ先生の援助が大きかった。「パク先生が収集したレコードと私が日本で競売で購入したレコードなどの資料がCDに含まれました」(イ・ジュンヒ)。南仁樹の「江南(カンナム)のラッパ吹奏者」は全集発売時には含まれなかった曲だ。

 軍国歌謡に対して植民地朝鮮人はどんな反応を見せたのだろうか? 「大衆的に歓迎を受けはしませんでした。よく売れたのならレコード会社が新聞広告も出し歌の本も出したでしょうが、みつかりません」。イ副会長は、韓国と日本の軍国歌謡の違いも説明した。「日本は行進曲風が多いです。日帝が朝鮮で昼夜分かたず流した『愛国行進曲』『太平洋行進曲』がそのような曲でしょう。日本の軍歌である「露営の歌」は50年代後半まで韓国の人々が意味も分からずについて歌いました。一方、韓国の軍国歌謡は母性が目立ちます。息子を軍隊に送ることが真の母性という点を強調するためですね」。収録曲のうち「志願兵の母」「息子の血書」「母子対面」「息子の便り」などが代表的だ。白年雪の「息子の血書」は、解放以後も唯一生き残った。「6・25戦争(朝鮮戦争)の時、大衆歌謡風のこの歌を政策的に活用しました。歌詞の“日章旗”を“太極旗”に変えて歌ったんです」。イ副会長は40曲の中で音楽的な完成度だけを見れば、李蘭影と南仁樹が一緒に歌った「二千五百万の感激」がよくできていると評した。

 イ副会長は大学の時、東洋史と中国文学を専攻し、一歩遅れて韓国学中央研究院で音楽学を専攻した。2005年に博士課程を修了した。昔の歌にどうして入れ込んだのだろうか? 「同じ年頃の友人とは音楽の好みが違いました。中学の時、叔母の家に遊びに行って、南仁樹や白年雪の歌をテープで聴いて、いいなと思いました。それが南仁樹の歌まねテープだということは後で知りました、ハハハ」。彼は今年『韓国歌謡史』出版30周年に合わせて、資料・解説・図録集を出す計画だ。イ編纂室長は「故ノ・ドンウン教授と民族問題研究所の共同作業で『抗日音楽330曲』という本も今年の三一節を控えて発売される」と紹介した。

カン・ソンマン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/781102.html 韓国語原文入力:2017-02-02 18:42
訳J.S(2847字)

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