慶州(キョンジュ)感恩寺(カムンサ)に次ぐ規模の仏教寺院で、統一新羅初期に建てられた蔚山(ウルサン)霊鷲寺(ヨンチュクサ)の全貌が発掘調査を通じて明らかになった。
蔚山博物館は2012年から蔚山市蔚州郡(ウルチュグン)青良面(チョンニャンミョン)栗里(ユルリ)822一帯の霊鷲寺址(蔚山市記念物第24号)学術発掘調査を行い、昨年12月23日に終えたと16日明らかにした。霊鷲寺は『三国遺事』に新羅の神文王の時(683年)に創建されたと記録され、統一新羅時代初期の仏教寺院と伝えられるが、今は空地に石塔2基だけが残っている。
蔚山博物館は1~4次調査を通じて霊鷲寺が金堂(法堂)を中心に東西両側に双塔が立つ典型的な統一新羅時代の伽藍配置形式を備え、霊鷲寺中心寺域(寺が占める区域内)の規模が慶州感恩寺に次ぐ大きさであることを確認した。昨年の5次調査では金堂北側の講堂跡と講堂を取り巻く僧房と推定される建物跡を確認した。
講堂は正面7間、側面4間、東西24.5メートル、南北15メートル、内部367.5平方メートル大で、仏国寺(プルグクサ)無説殿の南北基壇の長さが14メートルであることと比べれば、その規模を察することができる。僧房建物跡は、講堂の東西両側と北側に重複して多数が確認された。講堂の左右にある建物は、一辺が5.2メートル、北側は2.7メートル大だ。その大きさと位置から見て、講堂の左右にある僧房は高い地位の僧侶が修行した大乗坊、北側の僧房は低い地位の僧侶が修行した小乗像であると博物館は推定している。
新羅寺院で講堂左右の建物跡は、黄龍寺、感恩寺、四天王寺でも発掘調査がされたが、これらの建物は講堂と同じく仕切りのない構造で、霊鷲寺とは異なっていることが確認された。また霊鷲寺址からは、9世紀の軒丸瓦と瓦を精巧に積んで作った瓦築台も残っていて、高麗時代前期の青銅遺物をはじめ金銅仏像、光背片、碑石片と統一新羅~高麗時代の各種の瓦類が多数出土した。
蔚山博物館の関係者は「文化財指定区間はもちろん、私有地と道路区間であるため未調査部分として残っていた所まで完ぺきに発掘調査し、伽藍の全貌を確認した。今後は発掘された資料を基礎に、霊鷲寺の実体にさらに迫る研究が残っている。これを通じて霊鷲寺の歴史的位相を明らかにし、統一新羅時代の蔚山地域仏教文化研究の基礎資料として活用する計画」と話した。