小説の主人公たちの姿が鮮やかに
遠藤周作や「蝶々夫人」の跡地も
「本当に夢のようです。私の小説を読み泣いて笑った読者とともに、小説の舞台である軍艦島の地を踏むことになるなんて、作家としてこれ以上光栄なことはないでしょう。1989年に東京都神保町の書店で岡正治牧師の本「原爆と朝鮮人」と出会ったことが縁となって、10年の取材と度重なる執筆の失敗、そして一次出版と改作で、はじめて完成するまでの27年の歳月、諦めずにやってきたのは、まさに今日のためだったという気がします」
23日午前、長崎沖の島である端島、別名軍艦島。ハンギョレの主管で読者約20人とともに自身の小説「軍艦島」(全2巻、創批)の舞台を訪れた作家ハン・スサン氏の声が震えた。「軍艦島」は、日帝強制占領期の終盤に軍艦島の地下炭鉱で過酷な労働に苦しめられた朝鮮人徴用工の苦難と闘争、そして長崎の原爆の惨状を描いた小説だ。
悪天候のため、前日は船が出航できなかったというニュースに一行は緊張しながら宿を出発した。23日、長崎と軍艦島にはかなりの雨が降ったが、幸いにも波が高くなかったため、一行はレインコート姿で島に降り立った。昨年7月、軍艦島がユネスコ世界文化遺産に登録された後、急増した日本人観光客が案内員の説明を聞く一方で、ハンギョレ紀行団はハン・スサン氏の別途の説明に耳を傾けた。
「皆さんが立っている前には総合事務所があり、船着場から対角線方向に(
小説の登場人物の)チサンやウソクなど徴用工が住んでいた宿舎があり、その下の防波堤でウソクが酒場の女クムファと散歩をしました。初めてこの地を取材した当時は、軍艦島の徴用工出身であるソ・ジョンウさんと漁船を借りて乗り、誰もいない島に入りました。皆さんは廃墟になった島のあちこちを歩き回り、水と海苔巻きで昼食を済ませた私の姿を、小説の主人公たちと一緒に思い浮かべてください」
作家は「『軍艦島』の原作である『からす』の日本語版が出た2009年3月に軍艦島を訪れた時、波のために接岸できず船に乗ったまま島を一周した際に、霧の中で白装束を着たクムファが私に手を振る幻影を見て、涙を流したことが頭に浮かんだ」と言い、「その時も作家として幸福な経験をしたが、今日の非散文的な経験には比べようもない」と語った。
翌日の24日は嘘のように空がからっと晴れた。紀行団は、海の向こうに軍艦島を見渡せる長崎郊外の野母崎の水仙の里公園と、権現山展望台に上った。ついに脱出に成功したチサンが安全な避難先を探してさまよった場所がここだった。穏やかな海の向こうの手に取れるほど近い軍艦島は、平穏を超え美しくさえ見えた。「昨日風雨を押して訪れた軍艦島では閉じ込められた徴用工の鬱憤を感じることができたとすれば、今日の快晴の天気は島から脱出したチサンが感じた自由の新鮮な空気を想像させる」と作家は語った。
紀行団はこの日午後には軍艦島から脱出したウソクが働いた三菱住吉トンネル工事現場を経て、「原爆と朝鮮人」の著者である岡正治牧師の遺志を継いで建てた岡まさはる平和資料館を訪れ、館長である長崎大学名誉教授の高實康稔氏の説明を聞いた。今回の紀行に参加した社団法人東北アジア平和連帯のチェ・ビョンヨン企画局長は、団体で集めた寄付金を高實館長に渡した。ハンギョレ紀行団は、最終日の25日、17世紀の日本のカトリック布教と弾圧の時代を背景に布教と伝統の衝突、人間の苦痛と神の沈黙などを描いた小説『沈黙』の作家、遠藤周作文学館を訪問した。紀行中、一行はこの他にも長崎原爆資料館、平和公園、プッチーニのオペラ「蝶々夫人」の背景であるグラバー園、出島や眼鏡橋などを見て回った。ハン・スサン氏は小説の舞台のいたるところで作品の一部を朗読し、背景説明を添え、日本文化に関する講演をするにとどまらず、夜になれば紀行の参加者と杯を傾けながら小説執筆にまつわる話を聞かせてくれもした。
釜山から夜行列車でやって来て紀行に参加した読者のチョン・インヒョンさん(43)は「本で知っていた歴史と小説の背景を現場で見ると一層実感がわいた」と言い、「普段から好きだった作家の肉声の説明と案内を聞き、現場を歩きまわったことに満足し感動的だった」と感想を述べた。