登録 : 2016.09.22 22:27 修正 : 2016.09.23 07:14

日帝強制占領期間、朝鮮半島の旧蹟調査と 
古刹の復元専門家として大活躍 
莫大な調査復元資料にもかかわらず 
今になって韓国学界で再照明 
韓国建築歴史学会、24日に 
小川集中点検学術セミナー開催

小川敬吉が撮った1930年代の修徳寺(スドクサ)大雄殿西側面の修理前(上)と修理後(下)のガラス原版写真と関連記録//ハンギョレ新聞社

 小川敬吉(1882~1950)。この地の郷土史家や文化財愛好家ならば、韓国戦争が勃発した年に亡くなったこの日本人古建築技師の名前と行跡を忘れてはならない。

 彼は1916年に朝鮮総督府の嘱託として朝鮮勤務を始め、44年に帰国するまで日本の主要学者と朝鮮半島の文化遺産を見て回り、実測して几帳面な調査記録を残した「図面王」だった。修徳寺(スドクサ)、華厳寺(ファオムサ)、長安寺(チャンアンサ)をはじめとする有名古刹の修理と復元に従事して、朝鮮古建築修理の「代父」とも呼ばれた。

 14世紀高麗時代に建てられた韓国最高の建築物で、曲線の切妻屋根と側面構造の整然たる配置が逸品の忠清南道礼山(イェサン)の修徳寺大雄殿の今日の姿は、30年代に修理工事を成し遂げた彼の努力で再生したといっても過言ではない。韓国の伝統寺刹建築の特徴に挙げられる建物内側に柱を傾けて立てる錯視現象補完技法などの美学的特徴も彼が修理工事をする過程で報告し、学界に知らされた。日帝強制占領期間(日本植民地時代)の30年余りを通じて日本人学者の朝鮮半島遺跡調査支援に従事したという点で、小川氏の調査経歴を明らかにすることは、韓国の文化遺産研究家の草創期の様相を究明する上で重要な端緒になるわけだ。

日帝強制占領期間、崇礼門(スンネムン)前で弟と並んで立っている小川敬吉氏(写真左側)//ハンギョレ新聞社

 韓国近代建築史のタイムカプセルと言える小川氏所蔵資料を通じて、彼が韓国の文化遺産に残した足跡を初めて集中照明する席が用意される。韓国建築歴史学会が24日午後2時、ソウルの東国(トングク)大元興館で「韓国建築文化遺産に対する日本の近代記録活用事例」を主題に開くセミナーだ。小川氏が遺した写真、図面、文書を検討し、彼が韓国の墳墓・建築文化遺産調査に遺した足跡を探求する。

 国立文化財研究所のカン・ヒョン学芸研究士は、小川氏が残した日帝強制占領期間の調査資料の意味を眺望する。カン研究士は、小川氏が関野貞(当時東大教授)らと共に旧跡調査に参加し、墳墓発掘と建築物調査を併行し、多数の石造物実測資料(発掘現場記録)、写真、図面を遺すなど、誰よりも豊富な現場資料を作成した点に注目する。また、30年代以後には成仏寺(ソンブルサ)、修徳寺など麗末鮮初寺刹修理工事に集中し、建築文化財保存史に重要な記録を遺したと分析する。特に彼は、1910年代にすでに平壌(ピョンヤン)普通門修理工事、浮石寺(プソクサ)無量寿殿および祖師堂工事などに関する唯一の記録を遺したが、当時の寺刹の修理前の状態と修理技術などについての情報を提供したという評価だ。

 キム・ミンスク博士(京都大防災研究所研究員)は小川資料の建築史学的意味を指摘する。キム博士は小川氏が発掘遺物のスケッチや報告書作成などの実務に従事したケースが多いなどの理由で、学界では注目を浴びなかったと指摘した。しかし、修理工事と関連してどこにも残っていなかった情報を相当数遺し、現場記録などの内容は関野氏らのノートと比較しても質的に相当な水準なので、彼の研究力量を再評価しなければならないと主張する。

 修徳寺槿域城宝館のイ・ソンヨン学芸研究士と久野哲矢・日本佐賀県立名護屋城博物館学芸員は、2008年に開かれた修徳寺大雄殿修理工事特別展と今年初めに開かれた小川敬吉資料展で初めて披露された未公開資料や写真も紹介する予定だ。

 日帝強制占領期間の近代文化財調査に対する研究は、国立中央博物館などが所蔵資料を本格的に公開し始めた2000年代以後にようやく始まった。まだ日帝期の旧跡調査個別記録の相当数が分散したまま埋もれており、今回のセミナーはこれに対する学界の関心を呼び覚ます契機になるものと見られる。

ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2016-09-22 20:33
http://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/762252.html 訳J.S(1845字)

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