登録 : 2016.04.08 09:01 修正 : 2016.04.09 07:11

『満州モダンー60年代韓国開発体制の起源』 
ハン・ソクチョン著/文学と知性社

1962年の再建国民運動促進大会=国家記録院//ハンギョレ新聞社
満州国専門家による10年の研究成果
60年代「ブルドーザー再建」の淵源を探し
植民地近代のパンドラの箱開ける

 満州。抗日武装闘争の聖地、川辺で馬を駆る先駆者の地、モダンのロマンと故郷を失った情緒が重なる近代的な場所に人を誘う。『満州モダン』はそこで問いかける。果たしてそうだったのかと。

 『満州国建国の再解釈』(1999年、改訂版2007年)、『満洲、東アジア融合の空間』(共著、2008年)の著者で満州学会会長を歴任した満州の専門家、ハン・ソクチョン東亜大社会学科教授が、10年あまりの研究成果を集大成した。満州国政府刊行物、新聞、1960年代の政府官報とマスコミ資料、帰還者インタビューなどを収集し、1930~40年代の満洲と60年代の韓国をつなげる大きな絵を描いた。

『満州モダンー60年代韓国開発体制の起源』(ハン・ソクチョン著/文学と知性社)

 著者は1960年代の韓国の「ブルドーザー式再建体制」は、満州国(1932年~45年)を模したものだったと分析する。植民地と近代が複雑に絡む60年代に、朝鮮半島の体制が満州国の速度戦と総力戦を変容、模倣したという点を、同書は精巧に示してくれる。親日と抗日、左派と右派といった二分法的な枠組みではなく、「理念では見逃されがちな煮えたぎる現実」に焦点を合わせた。

 満州といえば、スペクタクルな「満州ウェスタン」が思い浮かぶ。大地を横切る頑丈な列車、追撃戦、義理、浪人気質といった男性さを包括したイメージだ。満州は暴力が横行する混乱した社会であると同時に、機会の地でもあった。1千万人の移動をもたらした東洋のエルドラドであり、朝鮮人だけで約200万人が移住している。出発からして戦争だった。満州国は日本の関東軍が1931年に軍閥の張学良体制を威嚇し、その翌年に作りあげた国で、建国も戦争でもするかのようになされた。

 抗日独立軍の故郷くらいにしか考えられていないが、現実の満州には、様々な朝鮮人が幾重にも存在した。日本の侵略戦争や兵站基地化政策に積極的に適応した官吏、医師、教師、教授、アヘン商人、農民、労働者、奉天軍官学校出身の軍人たちがごった返した。朴正熙(パクチョンヒ)、丁一権(チョンイルクォン)、白善燁(ペクソンヨプ)、国防史学者の李宣根(イソングン)、作曲家の金聖泰(キムソンテ)などは、ホミ・バーバが言う、植民者と「必ずしも同じではないが似たような」者として“再建”体制を導いた。

 韓国が満州国を決定的に招き入れたきっかけは、1965年の韓日国交正常化だった。戦犯を裁く東京裁判で、A級戦犯として死刑を言い渡された岸信介を中心とした満州グループは、日本でも実力者だった。朴正熙は、再建体制として岸が推進した満州国の産業化・統制経済のスタイルを求め、ついに日本に行き岸に会った。こうして韓日満州グループが結合される。

生産の増進を訴える満州国のポスターと満州国建国5周年記念切手=岸俊彦教授提供//ハンギョレ新聞社

 1960年代の韓国の経済開発5カ年計画、反共大会、標語製作、集団体操などは、いずれも満州国時代に行われたものだ。満州国政府は「建国」をスローガンにし、「建国精神」を創案した。朴正熙政権は「再建」を掲げ、「民族精神」を作り上げた。満州国の戦時経営に積極的に参加した国防史学者の李宣根は、1968年の国民教育憲章の起草に大きく寄与した。反共主義、国家主義を存分に盛り込んだ宣言は「暗唱しやすいよう韻律にも力を込めた」。李宣根は「花郎徒研究」で忠孝を強調して李舜臣(イスンシン)の存在を際立たせており、満州国と似た用語の「建国理念」も整備した。韓国式の民族主義、韓国式の「民族主体性」談論という井戸を掘りあてたのだ。儒教を弾圧した初期の日本の明治政府とは異なり、満州国は忠孝を唱え、儒教を国家イデオロギーのレベルにまで引き上げた。朴正熙政権も儒教を復元し、国家の家父長の座を狙った。

 “国防国家”だった満州国は、1960年代の韓国の「戦いながら建設せよ」というスローガンのモデルだった。大規模な土木工事、建築で現れた直線的な空間、ル・コルビジェ風の新都市概念、各種産業団地、新市街地政策…これらも軍事作戦と匹敵する満州国の「直線」と「速度」につながる。「広大な地形の迅速な変形、無限の野心、住民たちの強制移住や犠牲の正当化」は“ハイモダン”の中核だった。そして都市の貧民、撤去民は他者化されていく。

韓国の第1次経済開発計画記念切手=ハン・ソクチョン教授所蔵本//ハンギョレ新聞社

 再建には動員される人口が必要であり、したがって強健ながらも従順な身体作りが必然となる。国民体育振興法は、その内容さえ満州国のものと類似し、満州国の「建国体操」をまね、60年代に「再建体操」も普及した。満州国の「国策映画」は「大韓ニュース」をはじめ韓国の記録映画に大きな影響を与えた。女性も積極的に動員された。近代韓国の「良妻賢母論」は満州国の「賢妻良母論」と大差ない。満州国衛生談論は、5・16軍事クーデター後に軍政が受け継ぎ、児童の身体を規律し、「社会浄化」レベルで暴力団を掃討するのにも活用した。

 これらを総合すると、「満州モダン」は、韓国人が内面化した勤勉のルーツが見つかる時間と空間の概念だ。1960年代の韓国は、満州国式体制を変容して圧縮的近代化を図り、世界最貧国の地位から急速に脱出した。ここで著者は、満州を巡る抗日と親日、悲劇的流浪と親帝国主義の区分けを基準にしようとしているのではない。親日清算と理念によるレッテルという難題に苦しむ現在の韓国の政治・社会的状況を考慮すると、多少混乱を感じないわけにはいかないこともある。しかし、読み進めていくと、現在の朝鮮半島がなぜここまで、民族主義、民主主義、植民地主義、分断、冷戦、理念、近代という複雑な関係のただ中に置かれているのか推測できる場面が随所に見られる。2000年代以降の世代の暮らしまで捻じ曲げてしまった韓国近現代史の結び目、その出発点は満州だったのだろうか。

イ・ユジン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2016-04-07 20:40

http://www.hani.co.kr/arti/culture/book/738800.html訳Y.B

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