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龍それとも鬼神?  韓国瓦紋論争

登録:2015-12-24 00:23 修正:2015-12-24 05:33
瓦紋=資料写真//ハンギョレ新聞社

元慶州博物館長キム・ソング氏「鬼神」 
「高麗初~朝鮮後期に楽しんで用いた用語 
日本の学者が先に用いたとして廃棄…」 
先輩のカン・ウバン氏は「龍」を主張 全面反論 
韓国の昔の瓦に大量に彫られたこの怪物 
怪獣の正体は何だろうか?  
龍か? 鬼神か? お化けか?

 三国時代から統一新羅、高麗・朝鮮時代まで、私たちの先祖が多彩で独特な姿で瓦に刻んだ怪獣、怪物の実体を巡って論争が起きている。 学界ではこの怪獣模様の瓦を恐ろしい鬼神のようだと言い、日帝強制占領期間に日本の学者たちが用いた鬼面瓦という言葉で永く呼んできた。 しかし、2000年に美術史学者のカン・ウバン元国立慶州博物館長が慶尚北道慶州の雁鴨池(アナプチ)から出土した緑釉怪獣瓦の容貌を分析し、龍が正面像を広げた模様という学説を出したことにより博物館などで龍面瓦という名称を混用し始めたのが現状況だ。 ところが最近、カン元館長の“龍面”説が誤った認識から出た無理な主張だという反論が後任館長であり瓦研究者であるキム・ソング元国立慶州博物館長によって提起された。 文化財のメッカである慶州の国立博物館長の前・後任者間で昔の瓦の名称を巡って論争が繰り広げられることになった。

 キム元館長は今月、釜山博物館が出した図録『釜山の瓦』に「韓国瓦の研究と主要課題」という論稿を載せて「鬼面は鬼面で、龍は龍」とし既存の怪獣模様瓦は全て鬼面であり龍面ではないと断定した。 キム元館長は先ず、カン・ウバン元館長が「鬼面は日本の学者たちの主張に基づく用語であり、韓国語ではない」と言ったことに対して、それは事実でないと反論した。 『高麗史節要』や朝鮮時代の文献説話集『海東雜録』、パンソリの水宮歌、小説『朴氏伝』などに無数に“鬼面”が登場しているとし、高麗初期から朝鮮末期まで好んで用いられた用語であることを明らかにした。 日本の学者たちが先に用いたからと言って高麗初期から使われ始めた韓国語である鬼面を廃棄して、龍面に変えようという主張は大きな誤りだという話だ。

 また、瓦の模様でも鬼神と龍は必ず別の姿で描写されたということがキム元館長の見解だ。 鬼神模様のルーツとされる中国戦国時代の瓦の饕餮(トチョル)紋を見れば、鬼神に当たるトチョルは正面を向いた顔であり、双龍は長い胴体が側面に見えるように彫られている。 また、忠清南道扶余(プヨ)の外里から出土した有名な百済の鬼神紋壁石は、鬼神を立っている姿で刻んだが、共に出土した龍模様の壁石はデザインと顔が全く異なり側面にのたくる像が見られるということだ。 統一新羅期の怪獣瓦の場合も、東国大と国立慶州博物館の所蔵品の一部は瓦の左右下側に足が彫られているが、鷹の足爪と似た龍足とは全く異なる姿をしているという。 国立慶州博物館に所蔵された一部の怪獣紋の軒平瓦は、中心に鬼神の顔を刻み左右に鬼気を吹き出す姿で、龍の側面が左右対称に配置された龍紋軒平瓦とは明らかな差があることが分かるという。 朝鮮時代にも景福宮(キョンボックン)にある青釉龍紋軒丸瓦のように青瓦に龍の全身をを刻んだ事例はあっても、全身を省略した事例はないというのがキム元館長の指摘だ。

ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/723094.html 韓国語原文入力:2015-12-22 22:16
訳J.S(1479字)

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