慶州(キョンジュ)南山(ナムサン)麓の古の寺院跡から、1200余年前に建てられた新羅の巨刹であり、19世紀の碩学 秋史 金正喜とも縁のある昌林寺(チャンニムサ)の実体があらわれた。 発掘機関である鶏林(ケリム)文化財研究院(院長 ナム・シジン)は最近この寺の跡地を1次発掘調査して、金堂と回廊、鐘閣など主要施設の位置を確認したと30日明らかにした。
昌林寺址は上・中・下の三圏域から形成されていて、今回の発掘調査は双頭の亀型碑石礎(双頭亀趺)がある中間圏域を対象に行われた。 発掘の結果、金堂址と回廊址、双頭亀趺の碑石を覆っていた殿閣址、鐘閣址、築台、塀などの遺構が三回以上重複して発見され、複雑な様相で遺跡が確認されたという。 統一新羅~高麗時代と推定される蓮華模様・種々の葉紋が華麗に刻まれた装飾模様の宝相華文・神像が空に舞い上がる飛天文・おばけの目のような鬼目文など多様な軒瓦(瓦当)と1291年という年号が彫られた銘文瓦などが出土した。 発掘団側は「発掘遺物と遺跡の年代から見て、8世紀から14世紀まで寺刹が存在したものと推定される」と話した。
昌林寺は南山の西側麓にある新羅の古刹で、<三国遺事>に新羅の最初の宮廷があったと伝えられる所だ。 統一新羅時代に創建され高麗時代にも存続したが、朝鮮初期に廃寺となった後、五層石塔だけが残ったものと推定される。 五層石塔は昌林寺址を象徴する優れた新羅の石塔だ。 上層基壇には仏法を守る八神将像である八部神衆像が彫刻されていることで有名だ。 1824年、塔内の舍利荘厳具を盗み出そうとする盗掘屋によって塔が崩れたが、その当時に塔内から新羅文聖王17年である855年に建てたという事実が記録された‘無垢浄塔願記’が発見され、その筆体と内容を当代の碩学 秋史 金正喜がそっくり書き写した模写本が伝えられている。
文 ノ・ヒョンソク記者 nuge@hani.co.kr ・ 写真提供 鶏林(ケリム)文化財研究院