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[インタビュー]「海女たちの禁句“ムルスム(水の息)”の意味を悟るまでに6年」

登録:2015-06-01 00:31 修正:2015-06-07 06:40
「済州の海女」ドキュメンタリー製作記を出したコ・ヒヨン監督
ドキュメンタリー監督のコ・ヒヨン氏 //ハンギョレ新聞社

 済州の海女が漁をする時に持って行く必需品が三つある。ヨモギとガムとノーシンだ。 ヨモギで水中メガネを拭けばコーティング効果があり水中で曇らない。 耳に水が入るのを防ぐために噛んだガムで耳穴を塞ぐ。水圧による頭痛に勝つために“ノーシン”という頭痛薬を飲む。それでは海女は一日何時間くらい漁をするのだろうか? 潮により変わるが普通は午前8~9時に海に入り午後3~4時に上がる。中間に休憩時間は驚くべきことだがない。朝・昼食も抜く。胃もたれを防ぐためだ。 一般の人たちには想像できない重労働であるわけだ。

 海女の「スムビ」は良く知られている単語だ。 水の中で息をこらえにこらえてギリギリで水面に上がってきて出す声だ。 海女たちの間に禁句が一つある。 それは「ムルスム」(水の息)だ。 人の息ではない水の息、つまり死だ。

 済州の海女たちの人生を記録したドキュメンタリーの監督コ・ヒヨン(50、写真)氏は、その意味を分かるまでに6年かかったと話した。

済州で生まれて24歳の時に陸に家出
放送作家、プロデューサー、
そしてドキュメンタリー監督に
「水の息はつまり死…欲望の誘惑だった」
2008年「強靭な海女の名声」牛島(ウド)を選択
最初の2年間は撮影できず“パンの配達”だけ
粘り強い求愛の末に“海女叔母さん”日常記録

 生涯海女漁をしている人でも年に数人はムルスム(水の息)で海で死ぬ。死ぬと知りながら吐くムルスム、なぜ海女たちはムルスムの致命的誘惑に勝てないのか? スムビが抑えられた人生の息だとすれば、ムルスムは我慢に我慢を重ねて吐き出す死の息だ。

 ある高齢の海女は「海女だけが水の中で吐ける固有のもの」とムルスムを表現した。 海女が水の中で“良い物”を発見した時に吐く心の息だ。 その息を吐き出せずに飲み込んだ瞬間、すなわち死に到る。 海女たちは知っている。 欲望に捕われた瞬間、海は墓になり、欲望を治めれば海は人生の豊かな懐になるということを。 それでベテランの海女は娘に最初にムルスムを避ける方法を教えるという。「欲をかかずに息の続くだけ。目が欲だ。欲をよく治めなければだめだ」

コ氏は海女のムルスムから自身の人生を読んだ

 「全く同じに見える海女たちの間にも厳格な階級があります。 上群、中群、下群でしょう。一度潜れば2分程度海中に留まる上群は水深15メートル以上の深い海で作業するベテラン海女、中群は水深8~10メートル、下群は5~7メートルで作業します。 もちろん水深が深いほど高価な海産物を採取できます。 海産物が豊富な時、上群は100万ウォン、中群は60万ウォン、下群は30万ウォン程度稼ぎます。 この階級は努力によって克服されるものではありません。 それは生まれた瞬間に決定されます」。済州で生まれたコ氏は果てしなく広がる水平線が退屈だった。 大学を卒業して24歳で陸に家出した。 『それが知りたい』の放送作家、KBSスペシャルのプロデューサーとして100編余りのドキュメンタリーを撮ったコ氏は幼い時から見て育った海女の話を映像に収めようと決心した。 それで牛島(ウド)に行った。 済州の海女の中でも牛島の海女が最も強靭だと噂になっていたからだ。 牛島698世帯、1600人余の人口のうち海女が365人(2010年基準)だった。 海女の中で70%が65歳以上、40代は9人に過ぎなかった。

 コ氏は2008年春から6年間、何と1000日を牛島に留まり“海女おばさん”の生活を映像に収めた。 だが、牛島にカメラを持ち込んで最初の2年間、コ氏は一場面も撮れずに罵られっぱなしだった。 時にはカメラに向かって飛んでくる石を避けなければならなかった。 海女が撮影を激しく拒否したためだ。 「海女が撮影を嫌がる理由があります。 海女は絶対貧困の象徴でした。 また、海女は卑しい職業という認識が残っていて、海女漁の姿はみすぼらしく感じられるためでした。 そのために海女たちに近付くことはとても難しかったのです」

 そこでコ氏はしばらくの間パンの配達ばかりしていた。 穀物が尊くて祭祀の膳にもパンを上げる牛島に入るたびに、済州島の有名な麦パンを買って自転車に載せ、 顔見知りになったある海女の家にプレゼントした。後には自転車にパン箱を30個も載せて通ってパン屋をしているという誤解を買ったりもした。 粘り強い“求愛”の末についに海女の日常をカメラに収める“許諾”を得た。 だが、実際に漁をする海女の撮影は困難を極めた。 陸では腰の曲がったおばあさんが、海に入れば人魚姫に変わるためだった。

 「腰が曲がって乳母車につかまり浜辺までようやく歩いてきた80代のおばあさん海女が、潜水服と潜りを助ける鉛の塊7~8キログラムを腰につけ、テワク(収穫物を入れる磯桶)を持って海に入る場面は驚異的だとすら感じます」

 コ氏は「海女が海に入って息を止めた代価は現世のご飯になり、夫の酒になり、また子供たちのノートや鉛筆になりました。 海は彼女たちの恋人で夫であり神様でしょう」と言って海女に対する正しい理解を注文する。

 「漁をしてワカメに足を取られて死んだ娘が浮び上がったその海に、おばあさん海女は涙を流して再び入ります。 一緒に漁をした友達がサメに噛まれて目の前で死んでいく姿を見た海女もいます。 何が海女を海の中へ誘うのでしょうか?」。現在ドキュメンタリー『ムルスム』の最終編集作業をしているコ氏は、最近牛島海女取材日誌をを盛り込んだ本『ムルスム』を先ず出した。『砂時計』のソン・ジナ作家がシナリオを書いたこの映画は今秋封切り予定だ。

 「私も歳を取れば海女になるでしょう。“下群”よりまだ下の“糞群”になって海岸の海草を拾ってでも海女になるでしょう。 海は母親の暖かい懐でしょう。いつ行っても黙って何でも与えてくれますからね」

水面に上がってきた海女が荒い息で「スムビ」を吐き出している=クォン・チョル氏提供//ハンギョレ新聞社

文・写真 イ・キルウ先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/693600.html 韓国語原文入力:2015-05-31 19:25
訳J.S(2627字)

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