本文に移動
全体  > 文化

[私の書斎の中の古典] 沈黙で殺人に加担しているのではないか

登録:2014-08-11 20:20 修正:2014-08-12 06:51
徐京植(ソ・ギョンシク)東京経済大学教授

イブラヒーム・スース『ユダヤ人の友への手紙』
(西永良成訳、岩波書店1989年)
Ibrahim Souss: Lettre a un ami juif
(Editions du Seuil, avril 1988)

 今回はもともと別の本を取り上げるつもりで準備していたのだが、気持ちが変わった。さきほど見たNHKテレビのニュースは、イスラエルに軍事侵攻によって殺害された妊婦から取り出された赤ん坊の映像を流した。結局、この子も助からなかったという。今朝の(7月27日)の新聞はパレスチナ・ガザ地区の死者が1000人を超えたと伝えた。その大部分は民間人で、子供や女性の犠牲者も多い。イスラエル側の死者は兵士45人、市民3人。ジェノサイド(大量虐殺)が進行中である。それも、全世界の衆人環視の中で。

 そんな時だからこそ、むしろゆったりと「書斎の中の古典」を語るのも悪いことではないが、それが私には難しい。そこで私が書棚から取り出してきたのが本書である。

 著者のイブラヒーム・スースは、本書発表当時(1988年)、パレスチナ解放機構PLOのパリ代表を務めていた。1945年にイェルサレムに生まれ、48年のイスラエル建国によって一家は国外逃亡を余儀なくされた。幼くして音楽家をこころざし、パリの音楽師範学校を首席で卒業、ミュンヘンやロンドンの音楽学校でも学んだピアニストである。しかし、1967年の第三次中東戦争のあと、音楽家としてのキャリアを断念してPLOの活動に専念した。フランスではピアニスト、外交官としてばかりでなく、詩人・小説家としても知られている。その著者が「ユダヤ人の友」への公開書簡という形式で書いたのが本書である。詩のような、美しく、悲痛な言葉で満ちている。その最初の数行―。

 「ナチの一団がヨーロッパを侵略した時、「いかなる勝利も引き合わない。その一方で、人間の、どんな毀損も取り返しがつかないのだ」とアルベール・カミュは『ドイツ人への手紙』のなかで書いていた。久しい以前から頭の中で何度も何度も思いめぐらせていたこの一文を読み直しながら、ぼくはきみのことを考えた。そして、きみに手紙を書くことにした。というのも、この言葉の深い意味が、この決定的な瞬間に、絶えることのなかったぼくらの友情の歴史の分岐点にさしかかったこの時に、よもやきみの理解を越えるものであろうとは、ぼくには信じられないからだ。」

 この本は直接には、1987年12月から始まったパレスチナ住民の反占領闘争(インティファーダ)を契機に書かれた。当時、投石する子どもたちにイスラエル軍が重火器で応じる様子が世界に広く報じられた。子どもを含む多くの市民が犠牲になった。その状況で、著者は「ユダヤ人の友」に「黙っているべきではない」と語りかけているのである。

 「ぼくら二人は、ほとんど暗黙の裡に、こう考えることで意見が一致していた。パレスチナの地におけるアラブ人とユダヤ人の共存に通じる道は、たとえどんなに曲がりくねり、さまざまな障害が待ち受けるものであるにしても、やはり歩むに値するものであろう、と。ぼくらの対話は、けっして中断されてはならないはずのものだったのだ。」

 だが、現実に起こったことは、彼の呼びかけからはほど遠い。本書の日本版は1989年に刊行され、すぐに品切れ状態になったが、2001年12月に増補版が出された。その理由はこの年9月11日の事件の後、当時のシャロン政権がパレスチナ自治区への軍事攻勢を強め、また多大な犠牲が出ていたからだ。それからさらに、ガザには2008-09年と2012年の二度にわたって大規模な侵攻が行われ、破壊と殺戮がほしいままにされた。今回は少なく見ても三度目の侵攻である。パレスチナの苦難が続く限り、本書はその役割を終えることができないのだ。

 日本の主流メディアは、ガザが47年間にわたり国際法上違法な占領下にあり、また8年にわたり国際法上違法な封鎖下にあること、そのため住民の基本的人権をことごとく否定されているという事実をほとんど報道していない。そのため、報道のみを見ていると、現状の責任は、エジプトによる停戦案を受け入れないハマースの側にあるかのような印象を与えられる。しかし、ハマースはエジプトによる停戦案を拒否した直後、封鎖解除を条件として10年間の休戦協定をイスラエルに提案している。このこと自体、十分に報道されていない。イスラエルがこの提案を呑みさえすれば10年間の休戦が実現するのだ。しかし、ネタニアフ政権はこの提案を拒否してジェノサイドを強行している。

 アラブ文学専門家の岡真理 京都大学教授によると、パレスチナの専門家ナディア・ヒジャーブは次のような発言をしている。

「ハマースは停戦を受け入れたいと思っていますが、しかし、それは、イスラエルが尊重し遵守する停戦であり、ガザに対する封鎖を解除する停戦です。ガザのパレスチナ人は、圧倒的多数を占める民間人もハマースその他の党派のメンバーも、2007年以来[封鎖下で]緩慢に殺されるか、[攻撃で]一瞬で殺されるか、という二者択一を迫られています。イスラエルがガザに課し、エジプトもその維持に協力している厳格な封鎖の結果、飲料水もなく、栄養も不十分で、医療も十分ではないせいで、病気や疾病で死ぬのか、イスラエルが、そろそろ「芝を刈る」頃だと決めたとき、あっという間に死ぬかのどちらかだ、ということです。」

 「芝を刈る」とは…。イスラエルは抵抗勢力の力をそぐ目的で、庭の芝を刈るように定期的に軍事行動(無慈悲な破壊)を行っているというのだ。人間は「芝」ではない。ガザには前回のこの欄でも触れた私の旧友ラジ・スラーニ氏がいる。実は彼は7月中旬に日本に来る予定があって、私との対談も予定されていた。だが、ガザは無慈悲な封鎖の下にあり、彼は出国することができなかった。蟻の這い出る隙間のないほど厳重に封鎖された、200万人が暮らす狭い地域に爆弾と砲弾が降り注いでいる。ラジは無事だろうか?いつもガザの市民たちとともにいることを望んできた彼は、生き延びてくれるだろうか?

 日本人ジャーナリスト土井敏邦(どい・としくに)の「あなたは「人間の尊厳が命より大切だ」と言いました、「ハマースのロケット弾攻撃のために自分たちはイスラエルの攻撃によって、さらに苦しまなければならない」という住民も少なくないと思いますが」という質問に、ラジ・スラーニはこう答えた。

 「「人間の尊厳が命より大切だ」というのは、私自身について言っているのです。ただ私だけではなく、私の周囲の理性的な人もそうです。この封鎖や攻撃の後は、ガザは“動物農場”のような状況です。封鎖、失業、貧困、分断、爆撃、殺戮、流血…。下水道も管理できず、下水を海に流さなければならず海を汚染している状態、自分の運命も自分で決められず、建設的な生活をすることもできず、普通の人間のように行動することもできない。だからガザの人々はもう失うものはないのです。この悲惨な状況、非人間的な状況に置かれているのです。私たちは今すぐにはパレスチナを解放できなことはわかっています。しかし少なくとも人々はイスラエルの抑圧と攻撃を甘受するだけで、抵抗しない「いい犠牲者」ではありたくはないのです。人間としての“誇り”と“強さ”を持ちたいのです。たしかに人々は流血し、気を失い、すべてを失ったという絶望感もある、それでも人々は自由と人としての尊厳を大切に思っているのです。そして自分の子どもたちの眼に、羞恥ではなく、“誇り”をみたいと願っているのです。」

 いまガザで起きている出来事は、1943年4月にワルシャワで起きた出来事の忠実な再現のように見える。すべての希望が失われた後、ゲットー内のユダヤ人戦闘組織がわずかな武器を手に反乱を起こした。生きるためでなく、せめてもの尊厳を主張して死ぬためである。蜂起はおよそ一か月後に鎮圧された。5万6千人余りのユダヤ人がとらえられ、うち約7千人は「殲滅」、7千人はトレブリンカ絶滅収容所で「処理」された。5~6千人が爆破または火災で死亡、その他は各地の強制収容所に送られた。これに対してドイツ人とその協力者の死亡者数はわずか16人であった。

 かつてゲットーで蜂起したユダヤ人のように、いまガザのパレスチナ人がせめてもの尊厳のために抵抗している。ホロコースト被害者の物語を国家の正当性の根拠付けに利用しているイスラエルが、ナチの暴虐を忠実に再現している。

徐京植(ソ・ギョンシク)東京経済大学教授

 イブラヒーム・スースは、「きみらの死刑執行人であった者たちの足跡をたどろうと思い」、ヨーロッパ各地に残るナチ強制収容所の跡を訪ねた。友の「不安」を理解するためである。「ぼくはその不安を、ある列車の中で、あの忌まわしい登録番号を入れ墨されたきみの腕を見せられた日に理解した。だからこそ、きみの迷い、優柔不断、躊躇を許すのだ。イスラエル国家によってすべてを奪われたこのぼくが、だ。ぼくの家、ぼくの庭、ぼくの国旗、ぼくのパスポート、ぼくの祖先の墓、それらすべてを奪われたぼくが、だ。しかも、そんなぼくがさらにもう一度、きみに手を差し伸べている。それというのも、二つのものがぼく自身の心の中に埋もれ、護られているからだ。イスラエル国家が殺人的狂気を猛らせても、ぼくから奪いえなかったその二つのもの、それはぼくの尊厳とぼくの良心だ」

 本書の結びの数行は以下のとおりだ。「ユダヤ人の友」だけではなく、私たちすべてに投げかけられた問いである。世界はガザで進行中の暴虐をこれ以上傍観し続けるのか?

 「どうしてきみは、「他人の骨を砕けば砕くほど、自分自身を打ちくじくことになる」と断腸の思いであえて発言する者たちを勇気づけてやらないのか。/きみはきみの沈黙によって、殺人者たちに加担しているとはいえないか。」

https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/650612.html 韓国語原文入力:2014/08/10 21:44
(4204字)

関連記事