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[週を開く考え] 韓国社会 狂信的学閥執着 どんな原理によって強制されるか

登録:2013-12-30 18:01 修正:2013-12-31 07:15
入試家族-中産層家族の入試使用法
キム・ヒョンジュ著, セムルキョル(新しい波)編

 欧米でもたびたび話題になるほどに世の中が皆知る韓国の特別な教育熱。 それに対する憂慮と批判が激しくなって久しいが、未だ劇的変化の兆候は見いだしがたい。 子供の学業成功に向けた韓国の両親たちの強迫的情熱は、どんな社会的原理によって強制され、心理の中に内面化されたのだろうか? フランス パリ5大学で家族社会学を専攻したキム・ヒョンジュ氏の<入試家族>は、フランスの社会学者ピエール・ブルデューの‘文化資本’概念を活用してこの問題の起源と展開様相、その限界と代案を模索する。

 "ブルデューは社会学の最も重要な役割を社会構成員が常に当然と思っていることなどで社会的再生産を可能にする‘隠された経路’を捜し出すことだと考え、文化資本という概念はまさにこのような経路を明らかにするために考案された道具であった。" ブルデューは隠された経路を明らかにすることが社会的闘争のための道具として作動することを期待した。

 韓国の社会再生産体制の‘隠された経路’を探すために、著者はソウル地域の中産層24家族に直接会って両親と子供にインタビューした。 2005年に行われた面談参加者のうち半数ほどは選好度の高い学区になった蘆原区(ノウォング)中渓・下渓洞の25~40坪型アパート居住者たちで、東大門区(トンデムング)里門洞(イムンドン)の一戸建て住宅、江南区(カンナムグ)三成洞(サムソンドン)・道谷洞(トゴクトン)、松坡区(ソンパグ)オリンピック公園アパート、彌阿里(ミアリ)、一山(イルサン)、ソウル近郊世帯も含まれている。 著者は面談結果に基づいて‘両親のアイデンティティ’、‘中産層’、‘インソウルの大学’をキーワードとみなして議論を展開する。 インソウル大学はソウルにある大学というだけでなく、中間階級以上に‘含まれた者’たちの集団に期待される一種の文化的資格、これを表象する制度的実体としての高等教育機関を示す。

 学位と学閥追求は資本主義社会の一般的現象だが、子供の教育の失敗が家族全体の失敗につながり、特定学位・学閥を取るために両親の経済的・文化的資本が総動員される極端な競争構造を持った国として韓国はほとんど独歩的だ。 この構造をそのままにして自分の子供だけは勝者になることを期待する個人主義解決法に没頭している現象を、著者は‘曖昧な情熱’と断言する。 競争者の内、ごく少数を除いた大多数は失敗せざるをえないためだ。 それでも世帯収入の半分以上を投じる私教育戦争をしながら、大多数が付き添いにならなければならない‘狂信的教育行進’は続いている。

 著者がこの行進を止める代案として捜し出したものは‘幸福主義’だ。 幸福主義とは何か?

ハン・スンドン記者 sdhan@hani.co.kr

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学位・学閥に向けた韓国人の欲望はどこから始まったのだろうか? 父母たちが2010学年度大学修学能力試験日である2009年11月12日、ソウル江南区のある高等学校の門前で子供が問題を解いている教室側を飽くことなく眺めている。 キム・ミョンジン<ハンギョレ21>記者 littleprince@hani.co.kr

両親の文化資本が子供の学閥を左右

"私は今も(娘の)ソウル大合格証をカバンに入れています。悔しくて。 …なぜ○○外国語高校に行ったり、○○科学高校に行こうとするのですか? そんな雰囲気があるでしょ、雰囲気。 …私の記憶の中の○○大は田舎の子供たちが行く所、そしてとても憂鬱な建物。 …キャンパス ライフがどれほど重要か、そこへ行ってどんな子供たちに出会うのか。 私はそんなこと、枝葉的な部分が嫌なんですよ。 …ソウル大に行けば全国区じゃないの、そこは。 ずば抜けている子供たちが皆来ていて、頭を寄せ合って最高の接待を受けるじゃないですか、同じように事故を起こして駐在に行っても、○○大に通っていると言うのと、ソウル大に通っていると言うのとでは違うでしょう。 …ところが、その娘の夢が外資系の製薬会社の研究室に通うと言って。 家族会議を開いたけれど、私だけがソウル大で、三人がみな○○大を…。" 随時募集でソウル大と○○大に合格した高3の娘が○○大を選んだので、とても残念で合格証を自分のカバンに入れているという、この学閥に '恨み' 骨髄の父親(48)。 地方国立大を卒業して銀行の支店長になった彼は、自身の成就に相当な自負心を持っていたし、自身の人生が学閥コンプレックスを克服しようとする意志で作ってきた結果ということも隠そうとしなかった。

 社会学者キム・ヒョンジュ氏の<入試家族>(新しい波 編集)は、このように子供の教育問題が両親のアイデンティティおよび生活の中心を占めているソウル地域の中産層24家族の内密な告白を収録し、公開して分析する。2005年面談・インタビューから7年余りで本を完成した。 学位・学閥に向けた韓国の父母たちの‘狂信的な’焦燥感がどこに由来するのか、本はその分析枠をフランスの社会学者ピエール・ブルデューの‘文化資本’論から借りてくる。 これによれば、この父親がわだかまりを持ったソウル大は‘象徴資本’だ。

 ブルデューは資本を4つのパターンに区分した。 ‘経済資本’はその内の一つだ。 家庭環境や家庭教育を通じて個人に内面化された高級な好み、および言語能力、認知能力などは‘文化資本’。 学位、学閥がここに入る。 また、人脈関係を活用して社会的影響力を行使できる個人の差別化された位置は‘社会資本’とした。 ソウル大出身や判事・検事・医師のように実際の価値より高く評価され、過度に名誉・威信を享受できるようにする象徴的な力(正当化メカニズム)は‘象徴資本’と呼んだ。

 個人の次元で取得した学閥や富が実際の価値以上の社会的人望と威勢に倒置される理由は何か。 ブルデューはこれを誤認された秩序の象徴的再生産として説明する。 資本主義社会に於いて支配秩序は間接的な支配様式を通じて貫徹されるが、非個人的な支配手段(市場、教育体系、法的機構、国家のような承認された制度)を通じて人為的な支配・権力関係が正当化される。 経済的権力は社会的に承認された市場を通じて再生産され、文化資本を土台にした象徴権力は教育体系を通じて既存秩序を正当なものとして承認することによって再生産される。 すなわち人為的秩序を自然なことと誤認させる象徴的秩序が、行為者の認識と知覚構造を支配しながら再生産される。 ブルデューは、これは個人の意識および行為図式の中に内面化された‘ハビタス(Habitus)’を通じてなされると見た。 彼は子供の学業成功の可否は、父母の経済資本よりは文化資本側がより大きな影響力を発揮すると見た。 学位と学閥を得るのに没入する理由だ。 また、家族関係が夫婦ではなく両親-子供の関係に集中する理由だ。

 著者は例えば1965~1990年にソウル大と梨花(イファ)女子大音大に通った女子卒業生(西洋楽器専攻)が継続的に上流層の地位を維持できたのは "社会的に表象される女らしさ、高級感、裕福さにソウル大・梨花女子大という学閥が交わって発現する上流層女性の定型性の賜であり、これが階層再生産の隠された経路" だったと見る。 父母の経済資本に力づけられて‘家庭で滞貨した文化資本’が韓国の西洋古典音楽分野を通じて社会的に認められる‘制度化された文化資本’に転換されて、窮極的に娘たちの経済資本として再生産された。 上流層男性との結婚がそこに一役買った。

ソウルの中産層24世帯の告白
ブルデュー‘文化資本’論で分析
子供の学業成功可否は父母の経済資本よりは
文化資本側がより大きな影響力
多数は危険回避防衛機制で
‘インソウル大学’進学に夢中になり
自我と内的動機を重視して
その過程で感じる幸福が
新しい文化資本にならなければならない

 両親の階級的位置と子供の検定試験成績は正比例する。 その成績にともなう大学の位階もまた、在学中の学生たちの両親が保有する文化資本の位階(保有量)と正比例する。 結局、学生たちの努力と能力により平等な競争過程を経て大学入学機会が与えられると考えられている民主的な競争原理の裏面には、家族の階級的位置により不均等に保有された文化資本の世襲効果によって実際には階級的排除が体系的になされていると著者は語る。

 高度成長が終わり、新自由主義が導入された1990年代以後、韓国で少数の中上層は階層上昇を夢見るが、大多数の中産層は下流層に押し出される階層分解現象が起きている。 それでも中上層と中間層、下流層の墜落境界に立った者が、皆子供の教育に同じ戦略を駆使している。 これは結局、多数が少数のための付き添いになることと同じだ。 そして、その多数は上流層への上昇ではなく、階層下方の恐怖の中で臨界水準の文化資本でも確保できる危険回避防衛機制として‘インソウル大学’進学にすがっていると語った。

 著者は "学閥主義から自由になれる二者択一意志にともなう常識の再編、新しい価値の実践、新しい記号の誕生が文化資本の項目から探索され、これが既存の社会秩序を覆す談論化に進めるよう牽引するならば、文化資本論は階級再生産分析のための道具を越えて、新たな(階級的性格の)集団の誕生をインキュベートする道具として機能するのではないか" として、その基礎として‘幸福主義’を語った。 そして、フィンランド教育モデルに言及して、自我と内的動機を重視し、結果ではなく過程、旅程で感じる幸福、謙虚と自己訓練と修養を通じて得る幸福こそが新しい文化資本になりうると語った。 だが明瞭ではない。 ソウル大でなく○○大を選んだ娘と、依然としてソウル大に対する'恨(ハン)' に固着された父親という一つの家族内の混在が、そのような転換的過渡期の象徴になるだろうか。

ハン・スンドン記者 sdhan@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/617512.html 韓国語原文入力:2013/12/29 22:33
訳J.S(4290字)

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