デザイン研究者パク・ヘチョンは本<アパート ゲーム>を書いた理由をこのように明らかにする。 "20世紀デザインの歴史は事実上中産層の歴史であり、韓国中産層の歴史は実質的にアパートの歴史ということだ。 …21世紀の最初の10年間、中産層の人生がどのように急激に変貌したのか、そしてその過程でアパートがどんな役割をしたかを覗き見たかったためだ。"
中産層。 華やかな職場と30坪台のアパートと中型車を背景に幸せな笑みを浮かべている4人家族の写真。 著者は "高度成長が持たらした物質的豊かさの実体を加減することなく見せるKSマークのような" イメージの中産層時代は終わったと言う。 アパート売買相場差益を巡るゲームを通じて形成されてきた韓国中産層形成史で、ゲーム マネーの供給源だった高度成長時代が終わったし、したがってもうその歴史も終わったということが著者の基本認識だ。 その兆候は解決法の見えない1000兆ウォンに達する家計負債と対策のない‘ハウス プア’量産を通じてすでに現実化している。
実はアパート ゲーム自体が "高度成長を通じて蓄積された社会的富を相場差益という形態でその所有者に配分する社会システム" であり、 "(高度成長期に)事実上福祉制度の代わりをしたこのシステムのエネルギー源" と著者は話す。 そのシステムがすでに終末を告げたとすれば、急いで代案を探さなければならない。 "政治が低成長時代に合うように新しいゲームの規則を考案して出すことができずにいる中で、中産層が欲望の構造調整を断行しないならば、そしてアパートが依然として主人面を継続するならば世の中は悪化の一路を辿ることになるだろう。" だが、話をこのような形で終えるならば、あえてこの本を書く理由はなかっただろう。 <アパート ゲーム>の存在価値は内容も内容だが、その展開方式、話を導く方式でより一層輝きを放つ。 <アパート ゲーム>が他の本と明確に区別される点、著者が‘批評的フィクション’だと言うこの方法、すなわち文を書く戦略はこういうものだ。
"特定の人工物と利害関係を結んでいる仮想の行為者を選択しながら始める。 そして多様な資料を基に状況の仕組みを構成し行為者をその内部に押込んだ後、特定の時点を選んで両者の相互作用を観察してその結果を記録する。" 第2章‘その向こう ドミノの終わり-1955年生まれベビーブーマーの怒りと幻滅’には30年を超える職場生活の末に定年退職したK氏が主人公として登場する。 Kは進歩的新聞を購読しながら政治が世の中を変えるだろうし、給料と貯蓄だけでも十分に中産層になれると信じた楽観主義者であった。 小さな国産フランチャイズ コーヒー専門店を構えたKは‘市民’的価値を尊重して不動産投機を軽べつした。 だが、現実は違った。 結局すべての期待が失望と幻滅に変わった後、老後準備用に龍仁に50坪台のアパートを購入したが、それは終列車であった。 Kの話は数多くのハウス プアの一例に過ぎないが、著者は‘批評的フィクション’を通じてその典型を創り出す。 実在しないKという一人の人物の中に事態の本質を表わす要素を総合的に入れた架空の話(フィクション)を通じて、読む面白味を与えながらも当代の新聞報道と小説と論文、統計資料を動員して客観性・厳密性を引き上げることによって説得力を高める。
第3章‘漢江(ハンガン)の第二の奇跡-1962年生まれベビーブーマーのバブル体験談’にはモデルハウスをこまめに歩きながら、ソウル江南(カンナム)の再建築アパート、商業ビル、釜山の高層住宅商店複合アパートなどを売買して‘新資産階層’、‘上流中産層’に上がる‘私’というまた別の典型的な人物が登場する。 Kとは出発点は大きな変わりのない‘私’がどのようにしてKとは違った道を歩くことになったか。 自己弁解、合理化でもあるKと‘私’が吐露する盧武鉉政府に対する考えの変化から本来李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)支持者ではなかったが彼らに票を入れてきた人々の心境変化まで読みだすことができる。
第4章‘名付けて新世代、そして青春シミュルラクル(Simulacre)’の主人公は人ではなく‘青春のシミュルラクル’であり、第5章‘地上の部屋一間-キューブの簡略な歴史’の話者は、キューブ博覧会の講師だ。 下宿部屋、蜂の巣部屋、考試院、ワンルームなどを指す‘キューブ’、すなわち部屋の歴史を探ることで借家人-家主-銀行、または顧客-自営業者-建物主-銀行(金融資本)の経路を通じて下層部の賃貸料を吸い上げるピラミッド構造を見て回る。 そのような構造の中でKだけでなく‘私’も彼の子供たちも結局は被害者にならざるをえない。
ハン・スンドン記者 sdhan@hani.co.kr