原文入力:2011/11/18 19:11(1154字)
国史編纂委員会(国編)が来年1月に行うと言っていた中学歴史教科書検定基準を一昨日発表した。執筆基準から削除した現代史の重要な話題、すなわち4・3抗争、4・19革命、5・16軍事政変、5・18民主化運動、6月抗争などと親日清算過程を忠実に記述しなければならないという内容だ。 ひとまず半歩後退した形だ。 保守的な言論機関と御用学者を前面に立てて政権の思惑通りに歴史教科書を裁こうとしたが学界と歴史戦争を繰り広げることになったのが負担になった様だ。 教育科学技術部が犯したことの後始末を買って出た国編がみじめだ。 しかし重要なのは取り繕いとして出した検定基準というのは実効性がないばかりか、本質的な問題は全く変わりがないという事実だ。
主要事件に対する記述は100点満点の内25点が配分された‘教育課程遵守’項目の色々な審査要素の中の一つにすぎない。 義務的に記述しなければならないというが、とにかく配点が有名無実なほど少ない。 また、最高規範に該当する改正教育課程は日本の植民支配や独裁を合理化できるようになっている。 すなわちイ・スンマンとパク・チョンヒの独裁は自由民主主義の擁護のために避けられなかったとか、植民地近代化論の結果として親日を記述できるということだ。 下位要素である検定基準で上位(教育課程)である執筆基準の規範を覆すことはできない。
改正教育課程は‘民主主義’の代わりに‘自由民主主義’を使うようにしたり、イ・スンマンとパク・チョンヒの独裁に対する記述を削除したり、事実と違った韓半島で唯一の合法政府を強制するようにした。 学界が基本的に問題にしたのはまさにこの部分だった。 わい曲された上位とその次の規範はそのままにして、一番下位の検定基準だけ手を入れても変わることはない。 執筆基準が民主化や独裁の具体的事件と要素を曖昧に盛り込むようにしたのも結局は教育課程に従ったものだった。
これに対して教科部と国編は執筆の自律性を保障するためのものだと言い逃れた。 だが、近代史の部分の執筆基準は甲申政変、東学農民運動、甲午改革などの事件を明示して記述するよう定めている。 今までの無理手と見せ掛けを糊塗しようとする虚偽にすぎない。 歴史教育課程と教科書執筆基準を学界に全て任せて、再改正するしかない。 学界との無謀な歴史戦争を止めることを望む。 その場は面目をつぶすだろうが歴史と教育を壟断した政権として歴史に残るよりは、まだ良い。
原文: 訳T.W