原文入力:2011/11/17 19:19(1814字)
原子化して競争的に
私的利益の追求だけに没頭している
米国にはないものが中国にはある
←ハン・スンドン論説委員
110万のフォロワー(follower)を率いているという中国インターネット人気作家 慕容雪村。 何人かと群れを作って陳光誠に会う冒険を試みた。人権弁護士の陳は4年余りの監獄暮らしの後に釈放されてもずっと自宅軟禁中だ。陳が暮らしている村を訪ねて行くと、入口を警護していた制服たちがなだれ出てきて彼らを窃盗容疑者ぐらいに追い立てて威嚇した。しばらく小競り合いしたが制服たちは走ってきたバスを停めさせ慕容一行を暴力的に押し込んだ。10km余り行った後にようやく降りて再進入を試みたがプレートのない車2台で後を追ってきた制服たちが腕ずくで再び他のバスに押し込んだ。
‘中国で正常な暮らしを夢見る’というタイトルをつけた慕容の文(<インターナショナル ヘラルド トリビューン> 11月12~13日)を読みながら押し寄せる憐憫と共にとても見慣れた風景だと感じた。 わずか20余年前までの私たちの姿ではないか。
米国主流エリートが読む<フォーリン アフェアズ> 11~12月号で<ニューヨーカー>記者ジョージ パッカーは現在の米国人の暮らしが1920年代末の大恐慌以後最悪だと書いた。先端製品が並んでいて生活はより洗練され便利になったようだが、基本インフラは1950年代より劣っている。だが、本当の問題は1%の上層部を除く大多数が不満にぎっしり埋まって相互不信の中で米国社会が活力と未来の展望をなくし死につつあることだとバッカーは嘆いた。 彼は米国のこういう凋落が1978年に始まったと語った。
その年に消費者保護と金融所得に対する増税、労働者権利保護関連立法が失敗に終わり、‘共和党保守(レーガン)革命’の旗手ニュート ギングリッチが議会に登場した。2年後ロナルド・レーガンの大統領当選は2007年韓国大統領選挙をほうふつとさせる程の津波のような保守の波の中でなされた。 しかし新自由主義を前面に掲げたネオコンらの米国覇権追求は短期間に世界を、そして結局は米国自身を焦土化した。問題の核心は1978年から本格化した持てる者たち中心の政策だった。それが両極化と不平等を深化させ不信と憎しみをあおりたて、ついには中産層と民主主義まで破壊してしまったとパッカーは診断した。
1978年は慕容が語る今の‘非正常的’中国作りが始まった年でもある。その年の12月、中国共産党11期3中全会は改革・開放を宣言した。以後、中国は立ち上がり始め米国は傾き始めた。慕容の中国は問題だらけだが、それでも希望があるように見える。米国は疲労と悲観に浸かっている。 今年<フォーリン アフェアズ>の中心主題の中の一つがまさに米国の凋落と中国の勃興だ。多くの論者がそれぞれ異なる話をしたが、ジョセフ・ナイのような米国主流エリートでも米国の衰退を否定しはしない。ただ米国が今後数十年間にかけて徐々に覇権を下ろす軟着陸を期待している。だが、それが虚しい夢だという指摘もある。 中国の浮上と覇権交替がもっと速いという話だ。
世界2位の経済大国になったが役人たちの腐敗と両極化が深刻で平均所得がまだ低い中国の方がそれでも相対的に希望的であるのは、中国知識層の公益に向けた勇気と道徳性、より良い社会に向けた確かな熱望だ。慕容は同族の苦痛を減らすことさえできるなら自身がその苦痛を代わりに受けるとし、より良い人生のために自身の全てのもの、命までも喜んで捧げると誓う。 原子化して皆が私的利益の追求だけに没頭している米国にはそれがない。その絶望の末に "ウォール街を占領せよ!" が始まった。
1978年の翌年に維新独裁が倒れたが、この地の抑圧体制が終わったのはその10年後だった。更に20余年後に自由貿易協定(FTA)論難の中で私たちは何故米国と中国の暗い遺産を一歩遅れてまた直輸入しようとしているのかもしれない。新自由主義と私たちが20余年前に卒業したと信じた公安統治の話だ。 sdhan@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/505939.html 訳J.S