原文入力:2011/11/03 22:50(3325字)
朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学
私はこれまで進歩新党関連の問題についてかなり頻繁に口を出していながら、実は入党の手続きを正式に踏んだことはありません。約2年何ヶ月か前に入党申請書を書こうとしたものの、自分にはない「住民登録番号」を記入しなければならないことを知り、申請書の作成を中断してから再び試みようとしなかったのです。「住民登録番号」をもらうためには国内に住所があるか、外国居住者の場合は外国に出る前の昔の番号が抹消されずに存在するか、そのどちらかなのですが、私のように外国に出てから帰化の手続きを完了した「海外同胞帰化人」の場合は、その番号があるはずもなく、番号がないということに常に現実的な差別を感じています。「住民登録番号」がないことで、特にインターネット上でできないことがかなり多いからです。「住民」でない私には「住民登録」もさることながら、何よりノルウェーで暮らしながら党員らしい活動ができるかという部分への懐疑がかなりありましたし、単なる「名ばかりの入党」は皮相なものにすぎないのではないかとも思いました。ところが今は「住民登録番号」問題を何とか解決して必ず入党を果たし、党のためにできるだけ働いてみたくなりました。今は育児や、締め切りが迫っている論文作成に沒頭しなければならないし、体の調子も芳しくないため、すぐにはできないものの、身の回りのことが片付いてきたら申請書を書くつもりです。そうしようと思う理由は、普段から尊敬している洪世和(ホン・セファ)同志が党代表に出馬されるためだけではなく、今の国内外の政治、社会的状況への総合的な判断からです。
世界は今恐慌と不安の時代に入り、何らかの本格的な社会・政治的な変革のためのきっかけが与えられる可能性はかなり高まっています。先ずは世界中心部の支配者たちがここ数十年追い求めてきたプロジェクトが一つ一つ失敗に終わるか様々な亀裂を露出しながら先細りになりつつある状況です。たとえば、アメリカ帝国の支配者たちは「人権」や「民主主義」等々の言い訳をしながら、1999年3月のセルビア空襲以来露骨な軍事的介入による全世界的な覇権の強固化プロジェクトに取り掛かったものの、今このプロジェクトは完全な失敗に終わりつつあります。イラク侵略8年間の結果、米軍は今年度末イラクに基地一つ残せずに撤収することになっているし、アフガンでの西側の傀儡政権が首都カブールにおいてさえ治安維持ができないほど抵抗勢力の制圧に完璧に失敗しています。3~4年後に西側軍隊が撤収すればアフガンが抵抗勢力の統治下に入ることはほぼ間違いないようです。イラク、アフガンの民衆たちの英雄的な抵抗はイランと北朝鮮への米日韓ブロックの侵攻を阻止する役割をも果たせたという意味で、私たち皆は2004年11月のファルージャの戦闘()のような熾烈な戦いでほとんど素手や軽火器で米軍に最後まで立ち向かい、砲火の中で命を失ったイラクの闘士たちに深く感謝しなければならないでしょう。彼らの犠牲のおかげでアメリカ帝国のイラク占領と支配は危うくなり、抵抗し続けるイラクを置き去りにしたまま北朝鮮まで侵攻する余力は沒落しつつあるアメリカ帝国にはなかったわけです。イラク、アフガンの闘士たちが朝鮮半島を戦争から救ったと見なければなりません。アメリカの世界侵略が敗北するのと同時に、ユーロ圏のような西欧資本の新自由主義的なプロジェクトも壁にぶつかってしまいました。低インフレ、低金利を骨子とするユーロ圏のプロジェクトはギリシャのような準周辺部の景気刺激の可能性を奪い取り、彼らを破局に陥れたためにギリシャ民衆たちの苛烈な抵抗に直面してしまいました。アメリカ帝国とともにヨーロッパの金融資本的な「贋帝国」も揺らいでいるのです。
帝国の危機と敗北は抵抗の可能性を広げてくれます。しかし、自然発生的な抵抗は激しくなっても、左翼政党・団体の前衛的な役割なしには、その抵抗は結実を結ぶどころか、理論的に整然とした綱領の一つさえも作れないのです。たとえばアメリカの「 ウォール街占拠デモ」に触発された話題を思い浮かべてみましょう。この運動が多数のアメリカ人たちの正当な怒りをそのまま訴えているものの、「欲深な銀行家」の「貪欲」を道徳主義的に叱るスローガンなどを見れば、ただ苦笑するのみです。資本家の問題は「貪欲」でしょうか。アメリカにおける金融資本の今日のような異常な膨脹と寄生的な性格は、末期資本主義の総合的な危機状況、特に産業部門における利潤率下落と全体的な過剰生産の危機などを反映するものであり、「貪欲」の問題ではまったくありません。「欲張」らない資本家は毒のない毒蛇のようなものです。そのような資本家は存在するとしても、同種間の適者生存の競争の中でより「毒々しい」ライバルに呑み込まれてしまうでしょう。この道徳主義的な言辞とギリシャ共産党の理路整然として具体的な立場の表明(http://inter.kke.gr/)を比べていただきたいのです。デモに出るギリシャの労働者たちは、抽象的な「貪欲」ではない具体的な理念と政策を討論しているのです。ギリシャ共産党が大衆の革命的な雰囲気に比べてあまりにも穏健すぎるという批判もありますが、とにかく大衆の資本主義への懐疑と反対を政治綱領化できる勢力があるということは左翼政治がほとんど死んでいるアメリカの惨めな状況とは大きな違いを見せているのです。
それはアメリカだけでしょうか。左翼政治が今までまともになかったのは私たちの大韓民国もまったく同じです。私はたとえば羅卿瑗(ナ・ギョンウォン)に対する朴元淳(バク・ウォンスン)氏の勝利を積極的に歓迎するものの、少額株主の権利運動と少額貸し出し拡大運動をしてきた方を「進歩」と呼ばざるをえない私たちの政治的な状況はあまりにも惨めではないかと思います。如何なる合理的な基準から見ても、朴元淳氏は「常識のある中道右派」程度であり、「進歩」とは直接の関係はありません。「福祉拡大」は進歩的な議題と連関があるものの、具体的な政策が出ない限り、その性格を判断することはできないでしょう。ところが、朴元淳氏さえも「進歩」と呼ばれる理由は、それだけ進歩政党らしい進歩政党が今までなかったからでもあります。綱領から「社会主義」を消し、国民参与党との統合への未練を捨て切れずにいる民主労働党の指導部の場合も、実は「自由主義陣営の左翼」と見なさなければならないのではないかと思います。率直に話しますと、進歩新党も今まで階級政党としての体裁をまともに取ってきたわけではありません。しかし、やや妥協的だった前の指導部が脱党し、資本主義克服の理想を今なお抱いている洪世和先生が新しい代表に出馬され、党の性格を「階級の代表者」と見なす方々の立場と比重が強くなっている今日の状況では、進歩新党は少なくとも階級政党になる可能性を見せているともいえます。社会党などの少数の政党を除けば、国内の他の政党たちはそのような可能性はまったく見受けられません。階級政党を持たなければ、恐慌、危機、そして変革的な可能性に満ちているこの時代に私たちの階級が政治的に何も得られないことは私にはあまりにも自明なことに見えます。そのため、私は進歩新党に入党し、党が階級政党としての役割を忠実に果たすよう微力ながら頑張りたいと思います。そうしなければ、中道右派が「進歩」と呼ばれる今日の状況を打開することはできないでしょう。