原文入力:2011/08/12 19:30(1644字)
ドイツと日本、歴史記憶で
あまりにも明らかに対照となっている
←金相秀(キム・サンス)作家・演出家
サッカー国家代表チームが日本に負けた。それも3点差で。李明博政権が成立後、歴史教科書、独島、東海表記など、韓国に対する日本の保守右翼と政府の態度が攻撃的な態度に変わった。日本の自民党議員3人が国の玄関である空港にまで入って来て、独島は「竹島」だと乱暴をはたらいた姿は史上初だ。東海を日本海だと歴史を捏造して、倦まず弛まずおびただしい金で各国と機構を説得することで、外国地図の70%以上が東海を日本海と表記し、アメリカとイギリスまで東海は日本海だと認めるのに至った。自民党や民主党や政権が変わっても、独島を国際紛争地域に引きずりこんで行くのは一貫した態度だったし、独島が浮かんでいる海は日本海だと歴史を捏造して教科書に載せねばならないという意志も、ただ一歩も退かない。時ごとに戦略と戦術が違っただけだ。過去の政権では、日本がこんな風にまで荒々しく食って掛かることはなかった。
政府は独島を実効支配しているから、日本の続く主張にも黙殺で対応するのが賢明と言った。結果は?
日本の挑発と侵奪は激しくなったし、独島を国際紛争地域化しようとする日本の意図を積極的に助長した現実として現われた。国土に対する挑戦、挑発、異意申し立ては、その都度、はっきりと反撃しなければならない。これが国際法上の領有権争いの基本だ。沈黙や回避や無視ならすぐ「黙認」(acquiescence)になる。国際法上、「黙認の累積」は領土の実效支配どころか主権自体が不正とされる結果につながる。1951年、漁業権問題でノルウェーの主張にずっと沈黙していたイギリスは国際司法裁判所で敗れた。
自国領土への他国の干渉は絶対許容しないという排他性が領土主権の早道だ。だから、読売新聞と共同通信に報道された李明博の「今はその時ではない。 待ってくれと言った」との独島発言の事実の是非こそ、独島の実効支配が揺れた決定打だった。
2年前ベルリンに滞在している時だ。ドイツ連邦共和国の首都ベルリン市内ベルリンの壁が立てられていた所に「恐怖の地形」(Topography of
Terror)と名付けた野外展示館兼博物館が作られている場所に行ったことがある。1933年から1945年までヒトラーの秘密警察ゲシュタポと親衛隊(SS)司令部があったその所で、ナチス批判者たちを拷問して処刑したゲシュタポ本部地下室が統一後に発見され、ドイツ政府は、ナチス政権下で人間を拷問して抑圧した歴史を詳らかに証言して記録する永久的な博物館建設事業を行った。戦犯国日本に対して、ドイツは、自分たちが犯した過去、ヒトラー時代の過誤に対
して、明確に認めて認識しながら、暗くて残忍だった過去の歴史を隠そうとはせず、きちんと公開して子孫たちに示し、人類にそのような悲劇が二度とあってはならないという教訓を教えてる。
このように今日、ドイツ人たちは自らの首都の中央に、過去に犯した蛮行を赤裸々に示して、そこを訪問する全員に、その事実を周知させることにより、自らを断罪している。日本は、第二次世界大戦中、日本本土と中国満洲などで細菌と毒物人体実験を行った関東軍731部隊を指揮した日本陸軍軍医学校防疫研究室と東京医大研究室があった東京市内近郊の場所に、超近代ビルの「新国立現代美術館」を建てた。ドイツと日本、歴史記憶の方式のあまりにも明らかな対照と比較となった。
結局、独島危機などに対する解決策は、日本の変化から来ることは決してない。
李明博政権は日本をよく分かっていない上に、外交でも無能な政権だ。
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/491564.html 訳M.S