本文に移動

[なぜならば] 誇らしい犯罪者 お父さんの娘/イ・ギプム

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/because/493166.html

原文入力:2011/08/24 19:51(1691字)


イ・ギプム蔚山茶雲(ダウン)高 3学年


先日、家で突然お母さんが大声をあげました。「何? 裁判所?」部屋の中で勉強をしていた私はゴキブリでも出てきたのかと思って、驚いて居間に飛び出しました。「なぜ? なぜ? どういうことなの?」尋ねるとお父さんが裁判所に行かなければならないと言ったのです。「ア=、私はまたゴキブリでも出てきたかと思ったじゃない」と部屋に戻りまた勉強しました。うちの父さんは高等学校の先生です。誰よりも生徒たちを大切に思い愛しているのはもちろん、数多くの卒業生が恩師の日ごとに電話をしたり訪ねてきます。共に生きる人生を最高の価値と感じ、教職生活20年余りになった今でも授業のために教室に入るたびに祈祷を捧げて入ります。今日の授業でも生徒たちに真の教育、正しい教育ができるよう助けてくれと。うちの父さんには他の先生と特別に変わった点はこれといってありません。うん、あえて言うならば、うちの父さんは私立学校全教組の先生で、民主労総におよそ5年間後援したということだけです。ところが先日、家に一通の手紙が届きました。 裁判所から来た手紙でした。手紙の中で父さんは‘犯罪者’でした。父さんが犯した‘犯罪’が記録された‘犯罪一覧表’には、2006年から民主労総に月5000ウォンずつ後援をした通帳内訳がぎっしりと記されていました。父さんは5年間に計27万ウォンを民主労総に定期的に後援したという理由で犯罪者になりました。

私はそれでも父さんが相変らず誇らしいです。父さんが私たちから見て堂々とできない仕事をしたことはないのですから。私も教師は政治的中立を守らなければなければならないと考えます。ただ、授業時間だけですよ。授業時間に何らか政治的指向を表わすことはまだ頭が柔らかい生徒たちに先入観を植え付けるおそれがあるためです。私も高等学校3学年で来年には選挙に参加する有権者ですが、まだ先生たちの影響をたくさん受けます。何らかの政治イシューを持って教師と生徒が共に討論することは良い政治・社会授業になることができます。しかし政治イシューに対する教師の一方的な見解を生徒たちに注入することは望ましい行動ではないと考えます。


これまで私を教えてこられた先生たちは全てそんな原則を守られたし、それで私も自らの価値観を持って成長できました。全教組の先生だからと違うことはありません。率直に言って大部分の生徒たちは全教組だから何だとか、そういうこともよく知りません。ただ‘私が好きで尊敬する先生’というだけですね。全教組だからという理由で生徒たちを‘扇動’する方はただの一度も会ったことはありません。うちの父さんも同じことです。父さんは‘教師’ではなく‘大韓民国国民’として自身の政治的指向を表わしただけです。父さんは教師である前に一人の人間として、政治的自由と表現の自由を持っています。父さんが一個人として特定の政党を後援し政治的見解を表現したことが犯罪ならば、今 学校で習っている政治教科書は修正されなければなりません。国民は政権を握っている政党と見解が同じである時だけ政治的自由を持ちますって。


討論の基本原則は自分と異なる見解を持ったからといって、その人を非難しないことです。もちろん正当な根拠を聞いて批判することはできます。しかし討論に正解はありません。政治も同じだと思います。何らかの考えを表現することに対して正しいか正しくないかを判別することはできません。その正しいか正しくないかを判別する基準も主観的なことですから。何、それでもその主観的な基準を定規にして父さんを犯罪者にしてしまうならば言う言葉はありません。それでは私は犯罪者である父さんの娘として自由で正しい大韓民国で彼らだけの‘正解’から抜け出して犯罪者として生きます。


原文: 訳J.S