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[特派員コラム] 慰労よりは激励が必要だ/チョン・ナムグ

原文入力:2011-03-17午後08:29:24(1668字)
チョン・ナムグ東京特派員

規模9.0の大地震が起きた去る11日午後、30分以上にわたり途方もない振動が大地を揺さぶった時、生まれて初めてここで死ぬかもしれないという気がした。幸いそんなことはなかった。私が暮らしている東京は震央からかなり遠く離れており、建物も耐震設計が非常によくできていて被害はとても少なかった。何よりも恐ろしい地震津波が押し寄せなかったこともある。 強い余震の中で、東北地方に押し寄せた津波が走行中の自動車を飲み込む姿をテレビ生中継で見ながらも、それが現実とは容易に思えなかった。

数百回におよぶ余震を体験した今は地震が私のからだの中に入ってきているような感じだ。狭い空間に入って身を処すれば心臓の拍動が時々地震となってからだを惑わす。しかしいくら大きな余震がくるといっても、もう恐ろしいとは思わない。福島原子力発電所の危険な状況はそれより何百倍も強い‘津波’ともなりうるということがよく分かっているためだ。小さな恐れはより大きな恐怖の前では薄められるもののようだ。

安全を憂慮して会社は家族たちをまず撤収させた。16日夜遅く家族はソウル行飛行機に乗った。幼稚園の修了式を翌日に控えていた下の子は早朝、先生にすばやく電話をしたようだ。先生が涙を浮かべて修了証をはじめ卒業式の時にくれようとしていたものなどを全て整えておいてくれたそうだ。小学校の卒業式を一週間後に控えていた上の子は午前授業を終えて、目を赤くした担任の先生に挨拶をして帰ってきて、午後ずっとハーモニカを吹いていた。あー、こういうのが‘背反’だな。2人の子供は再び東京に戻っても、結局は日本語で‘害国人’(国を害する人)とも読める‘外国人’になるだろうという思いに気持ちが安らかではなかった。

これからどうなるのだろうか? 分からない。状況は好転でさせられないまま、原子力発電所を統制可能な状況に戻すことができる時間的余裕はそんなに多く残っていない。安否を気遣う電話がとても多くかかってきて、仕事に邪魔になるほどだ。ところが私はなぜかあまり恐ろしくはない。米国で暮らし、先日 東京の会社に就職して入国した知人は夜遅くに電話をしてきては「まだあきらめて立ち去りたくはない」と言った。日本を離れることに罪の意識を感じるのかもしれないが、この険悪な状況に黙々と耐えている日本の人々を見て平穏になれるということだろう。

永い歳月、地震や津波、洪水や山崩れのような自然災害を数多く体験して生きてきた日本人たちだ。自然と人生を見る彼らの態度は私たちとは少し違っているようだ。宮崎駿の映画は環境運動家が作ったように見られるが、すべての生命と事物に宿った精霊を尊重する態度に根元を置いていると私は考える。部分的に買い占めが起き、危険を避けて脱出しようとする動きがないわけではない。しかし大部分の人々は自身に与えられた役割を果たそうと最善を尽くしている。そのような人々の姿を見ると粛然とする。

原子力発電所から250km離れた東京はまだ安全な方だ。万一の場合、避難できる余地もある。最悪の状況がきても相対的に被害は小さいだろう。日本の首都圏には今3000万人が暮らしている。彼らは今、原子力発電所事故と命を賭けて戦う人々を信じ、彼らを励ますために本来の場所を守っている。誰が何の誤りをしたかは後ほど問い詰めれば良い。今は彼ら全員に力を与えなければならない。常に希望はある。慰労ではなく激励が必要な所以だ。

1年以上にわたり断っていたタバコを一本咥え6階のバルコニーに立った。青い空に白い雲が浮かんでいる。子供を乗せた乳母車を押してマスクをした若い母親が川辺の道をゆっくりと歩いている。 jeje@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/468618.html 訳J.S