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[朴露子ハンギョレブログより] 韓国式「事大主義」の逆説

http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/31737

原文入力:2011-01-30午前03:07(3655字)
朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

私たちは日常的に「事大主義」という言葉をよく使います。しかし、この言葉の起源はあまりぱっとしません。大韓帝国末期は、日本の官僚や言論人、そして日本を「開化の先輩」と見なした多くの親日的な開化主義者たちが、中国をまだ「宗主国」であり独立運動の潜在的な後援勢力と捉えていた儒林出身の義兵長や衛正斥邪派のような人々を「事大主義者」であると責め立てたりしました。日本が「事大主義者」たちを退け、朝鮮に「独立」と(日本と併合し開化の恩恵をずっと受ける)「自由」を与えたという基本的な前提の下に「事大主義」という言葉を乱用しました。たとえば、独立協会の「独立」とは、言うまでもなく中国からの「独立」であり、徐載弼(ソ・ジェピル、1864~1951)にしてからが「超高速開化の模範」と見なされていた日本からの「独立」を主張したことはまったくなかったのである。独立協会の継承勢力らは概して「事大主義者」や「頑固派」、「守旧派」などの語を混用しました。

更に言えば、たとえば李光洙(イ・グァンス、1892~1950)が1920年代から共産主義者たちを「新式事大主義者」と責め立てたりしました。革命の後援者が他にいない状況で、国家としての「ロシア」でもない世界革命の中心勢力と認識された国際団体コミンテルン(もちろん、実際にコミンテルンは1920年代中盤からはすでにソ連の外交政策に大きく左右されましたが、それでも「コミンテルン」と「ロシア」を完全に同一視することはできません)に追随したとし、親日派である自分よりさらに悪い、旧式の衛正斥邪派のような人々であるとする、非常に悪質的な誹謗でした。朴正熙維新独裁時代、「韓国的デモクラシー」の擁護者たちは、金大中(キム・デジュン、1925~2009)のような、近代的な合理性をそれなりに備えていた自由主義者たちまでも「事大主義者」と非難しました。とにかく、根拠の脆弱な非難のために多用された言葉であっただけに、なんとなく使うのは憚られますが、たとえば英語の勉強に対する大韓民国の「主流」たちの態度を見ると、朝鮮王朝時代における両班士大夫たちの漢文や中国の経典に対する態度を連想したりします。ただし、その残酷性においてはかなりの相違を見せてはいます。両班の子弟たちはたいてい6才や7才から千字文や小学をゆっくり習い始めたのに対し、最近は英語で子供をいじめる行為が3~4才からすでに始まっている場合も少なくありません。どうやら「無限競争の時代」に差し掛かり、子供たちを競争の道具に仕立て上げる人々はかなり早いうちに野蛮化するようです。

ところで、この社会の支配者たちは本当に過去の両班士大夫と同じような「事大主義」、すなわち「上国」文明に対する全般的でやや没主体的な尊崇、そして急速な内面化を志向しているかというと、必ずしもそうとも言えないように思います。私には少し異存を唱えたい所があります。もちろん、「中心の言語」を威信財とする行為そのものは両班士大夫たちの時代から受け継がれていることではありますが、今の国内の英語に対する態度はあくまでも日帝時代の「内地語」、すなわち日本語に対する上流階層と中流階層のそれを継承・発展しているようです。当時の「内地語」と今の「内地語」はいずれも伝統時代の漢文と同じように支配者・中間階層と被支配階層を「仕分け」する道具ではあるものの、その一方で伝統社会とは異なり、留学を通しての学歴資本の蓄積と国際性を帯びた利潤追求的な行為、そして官僚としての出世の道具でもあります。日帝末期に家庭の入り口に「国語(すなわち、日本語)常用の家」という標札を掲げておく人々も、子供たちを「内地化」させようとし家庭内でも下手な英語を使いまくる熱血的な(?)江南族たちも、大きく見て目標は一つなのです。現存する覇権体制下における言語による致富、各種の「官職」への進出、帝国的な「国際化」などです。表面的に見た場合は、伝統時代の「漢文崇拜」と通じているようですが、一つ重要な相違を見逃してはいけません。「漢文崇拜」は「中心」、すなわち中原王朝の文化に対する非常に全般的で多面的な受容、さらには内面化と同一化を意味していましたが、植民地時代や脱植民地の課題に失敗した今日の支配者たちによる「英語共用化(ないしは恐竜化?)」は極度に選別的なのです。すなわち、彼らの地位の強固化、特権の永久化に必要な部分のみを選んで利用しているのであって、「日本」ないし「西欧」を全体的に内面化しようとすることとは程遠いと言えましょう。

たとえば、日帝時代に(実際はすでに大韓帝国末期から)日本の近代文学が朝鮮に入り至大な影響を及ぼしたものの、『万葉集』や『源氏物語』のような日本古代、中世の傑作については朝鮮の近代主義的な文学愛好家たちはかなり無関心でした。彼らを支配階級に列せしめる近代化の課題とは無関係な「過去の遺物」と見なされたためであったのでしょう。同じように、朝鮮の穏健で親日的な開化主義者たちはやや保守的な福沢諭吉や極端に保守的な徳富蘇峰は尊敬しても、彼らの地位を揺さぶりかねない馬場辰猪や植木枝盛のような自由民権左派についてはなんらの関心も示さなかったのです。福沢については国内で最近でも多数の著書が出たりしていますが、後者の2名の急進的民主主義者たちについては国内の学界では未だに研究らしきものが成されていないように見受けられます。つまり、「親日派」だからといって日本の「すべてのもの」に対して必ずしも無条件的な愛情を示したわけではないということです。必要でなかったり危ないと見られれば、果敢に取捨選択したのです。
 
国内の支配者たちの西欧追随主義や親米性も同じです。国内の子供たちを「オレンジの発音」を完璧に身に付ける歴史的な使命を帯びた学習機械として扱ってはいるものの、道具性の強い言語以外の「西洋的な物事」については事実上かなり厳格な選別基準を適用しています。たとえば、国内の学界で西洋史はやや周辺的な分野と認識されています。少なくとも韓国史に比べてです。韓国史では支配者たちのあらゆる犯罪をすべて合理化しうる超歴史的な「民族」も見出すことができるし、聖雄 李舜臣や、「気」の化身である奴婢たちが「理」を体現した両班たちに服従しなければならない理由を完璧に説いた聖賢 李滉などを揃えることができます。ところが、西洋史は非常に不順なだけです。特にフランスやロシアなどの、大きな革命を経た国々の歴史には、不順で不穏な話が出てくるのは明らかなので、とりあえず忠臣 金庾信、聖雄 李舜臣、そして聖賢 李滉と栗谷を優先視しなければならない理由は十分あります。江南族の大事な子弟たちの蓄積しやすい文化資本である西洋器楽やバレエなどは確かに国楽や伝統舞踊を圧倒している一方で、韓国の大学の構造では西洋哲学はあまり強い勢力を構築することができないようです。韓国哲学であれば、江華島の陽明派のような非主流たちはあるものの、たいした不順な要素はあまり見えないのではないでしょうか。しかし、西洋哲学は、外見は大人しく見えても意外と不順なところがあります。騒ぎ立てることを知らない大学教授でありながら、譲れない内面的な良心や国民国家の部分的な解体を通じての「永久平和」を説いたカントを思い浮かべてみてください。カントの研究者であるキム・サンボン教授がその内面的な良心に従い近頃サムスン製品ボイコット運動に明け暮れているのは何も驚くべきことではありません。すなわち、良心のような、この体制下ではどうせ実用性と現実性を欠いた変な話をする人々を、いくらドイツで哲学博士学位を数十個もらいドイツ語と英語に非常に堪能であっても、大学の入り口を越えさせてはならないわけです。このような実用的でない事大主義を実行しすぎると、支障を生じかねないでしょう。
 
一言でいえば、今この国の民たちの血と汗を絞り取る連中は、単に「西欧」/「アメリカ」を「崇拜」するだけの旧式事大主義者というより、近代型の知能犯たちです。彼らは、たとえば服従する習慣を身に付けさせる単純な機械的語学学習を幼児たちにまでさせても、支配者たちに服従するだけの内面的な自分の裏切りに苦しみを抱かせるカントなどを韓国の被支配者が広く理解することは絶対に望みません。 彼らに必要なものは、韓国の「全般的な西欧化」というよりは、柔順な奴隷たちの常に下げられている頭とよく曲がる腰、そして常に仕事に奔走する人手です。そして彼らの奴隷農場となったこの国で、なんらかの本格的な変革を防ぐためには、彼らはまったく「西欧的でない」方法さえも動員するでしょう。

原文: 訳GF