本文に移動

[道を探して]‘あなたのための行進曲’初録音…"泣きながら歌った"

原文入力:2010-05-04午後07:51:24(2271字)
5・18 30周年-5月を守ってきた女性たち③イム・ヨンヒ

←1980年5月19日光州示威鎮圧に出た空輸部隊員らが錦南路内側区域にあった無等考試学院で勉強していた大入受験生たちまで路上にに引き出し無慈悲に暴行している。すぐ向い側の建物からこの場面を目撃したイム・ヨンヒはその場で抗争の隊列に飛び込む。 <5月、民主主義の勝利-シン・ポクジン写真>

‘光州の真実知らせ’に全力
‘黒いリボン…’警戒の中で上演

イム・ヨンヒ(54)が社会運動と初めて縁を結んだのは1970年代中盤、光州スピア女子高に通っている時、光州一高で公募した‘無等文学賞’に当選してからだった。彼女は文芸運動家らと知り合いキリスト青年運動と学生運動に自然に参加した。大学進学の代わりに楊林教会のキリスト青年会員らと神学を勉強した彼女は78年に維新憲法反対印刷物配布といわゆる‘復活節壁画’事件で、79年にはスパイ操作事件で絶え間なく連行され国家暴力を経験した。その後遺症で3ヶ月間、重湯で延命するほど心身は疲弊され、父親は地域で借家を得ることも難しいほど後ろ指を差されなければならなかった。しかしそのような苦痛もイム・ヨンヒの民主化運動を立ち止らせることはできなかった。

当時のイム・ヨンヒを松柏会会員ホン・ヒユンはこのように話す。"79年頃だったか、海南に住んでいた時、どこからか美しいお嬢さんたちがやってきてね…怖いもの知らずに…夜どおし仲間と目を輝かせながら話したよ。…可愛かった、きれいだった。本当に情熱があった。"

しかしその情熱と美しさは80年5月抗争以後、暴徒に追いやられ長期にわたる逃避生活に疲れ、生き残った者の悲しみに抑えられ、30年が過ぎた今も咲けないままにもがいている。

その年の5・18、イム・ヨンヒはユン・ハンボンが所長を務める現代文化研究所の幹事であり、劇団'広大'の団員で、作家ファン・ソギョンの作品<ハン氏年代記>を準備している最中だった。19日、錦南路内側路地にあったYWCA練習室にいた彼女は空輸部隊員らが向い側の無等考試学院にまで踏み込み勉強していた学院生たちを鎮圧棒で殴打する場面を目撃した。幼い学院生たちの頭から鮮血があふれ出た。あまりにも残忍で暴力的な姿に何かしなければならないという考えで飛び出した彼女は抗争初期に示威隊と合流し抗争基地であった緑豆書店で作った火炎瓶を投擲したり‘闘士会報’印刷物を配った。そうするうちに道庁が接収されるとすぐに5月22日以後からは闘士会報編集チーム、劇団'広大'、松柏会などと共に抗争本部が移ったYWCAで決起大会準備物と黒い‘謹弔リボン’を製作し組織的な闘争に参加した。闘争指揮部が組まれるや彼女は基金募金担当を引き受けた。そして道庁で最後の日をむかえた。

←イム・ヨンヒ氏

‘私は今でも27日のその明け方を永遠に忘れることができません。私たちは言葉が出せなかったし、その寂寞感に鳥肌が立ちました。遺言になるかもしれないその瞬間、部屋の中で丸く座り、最後のマッコリ杯を回し飲んだ後、わずかなお金をもし生きてこの席を抜け出すかもしれない人々の交通費として分けました。ヨンジュンも… (ユン)サンウォンも…それが最後の夜になってしまいました。’

その明け方、すさまじい銃声を聞きながら彼女は光州を抜け出しソウルへ向かった。しかし悲しんでばかりもいられず、逃避しても‘光州の真実’を知らせる印刷物と‘闘士の歌’テープ、‘抗争日誌’製作などで忙しかった。事態が落ち着いた後、光州に再び下ってきて負傷者の現況把握と分類作業を続けた。‘何をしてでも光州を知らせなければならない。’それが生き残った者の持分だと考えた彼女は酒と精神科治療でも癒えなかった生き残った者の苦痛を抱いたまま、彼女は光州市民たちが暴徒ではないことを知らせる真実闘争を止めなかった。

81年春、そのものものしい警戒の中で演劇<誰が、黒リボンを付けたのだろうか?>を舞台に上げた。ナムド芸術会館でファン・ソギョン,ホン・ソンダム,オ・ジョンムクなどが主導した‘光州のための演劇’が初めて上演された日、彼女はホン・ソンダムが製作した抗争スライド上でキム・ジョンニュルの‘黒いリボン’が鳴り響く最後の瞬間の感動を今も忘れることができない。‘…私は今日黒リボンをつけた…あなたは白い囚人服を着たけれど…私は今日黒リボンつけた’
その年の冬、光州、雲岩洞のファン・ソギョン,ホン・ヒユンの家の2階書斎で‘あなたのための行進曲’を初めて歌い録音した。“愛も名誉も名前も残さず…”オ・ジョンムクが最初の小節を歌い、彼女が“生き残った者よ続きなさい”を泣きながら歌った。‘労働烈士’故パク・キスンと‘最後の市民軍’故ユン・サンウォン烈士の魂の結婚式をノレグッ形式で表現したこのテープは、韓国キリスト青年協議会(EYC)が製作し全国に広まった。敗北意識をぬぐい去り前進する新しい歌が誕生したのだ。

“初めて録音する時 ‘あなたのための行進曲’ が民主化先鋒から民衆愛国歌と呼ばれるだろうとは想像もできなかった。”彼女は今日も眠れない夜には一人この歌を歌う。

整理 光州全南女性団体連合

原文: https://www.hani.co.kr/arti/SERIES/185/419228.html 訳J.S