原文入力:2012/06/29 00:11(4080字)
朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学
国内には知られていないと思いますが、ソ連初期、ボイノー-ヤセネツキー(Войно-Ясенецкий、1877~1961:http://en.wikipedia.org/wiki/Luka_(Voyno-Yasenetsky) )という、かなり面白い宗教活動家かつ医療専門家がいました。 痲酔と炎症専門の外科医学専門家として既に1920年代には世界的な名声を得ていましたが、医学だけでは飽き足らず、早くから宗教にも身を投じ、後にいくつかの正教会で司教職を受け持っていました。彼とソ連の権力層との関係はかなり面白いもので、「宗教弾圧国家ソ連」という私たちの固定的なイメージとはあまり合致しません。一面では彼は都合11年間にわたり配流生活を送るなど、相当な苦難も経験したものの、他面では医学的な功労により彼は1946年にスターリン賞を受賞するなど、実は公認された「権威者」でもありました。40年代後半に「南朝鮮の人民たちの意志に対する米帝の新植民主義的暴力」を糾弾するなど、かなり進歩的な立場を取っていた彼は、実はかなりの面でキリスト教社会主義者に近く、「労働者の政府」そのものには反対せず、ただスターリン主義的な宗教政策に同意できなかっただけなのです。とにかく、正教会とボルシェビキたちとの関係は革命初期から良くなかったし、ボイノー-ヤセネツキー個人に対して「赤い軍隊の傷痍兵たちの治療にまともに当たらなかった」と誤解されたりもし、彼は1921年に一度「革命裁判」を受けたことはありました。検事が彼に「人を手術する君は、いったい神様を彼らの内に見たのか?見なかったのなら、何故に神様を信じるのか」と問うと、ボイノー-ヤセネツキー曰く:
「私は人間の脳をたくさん手術した。ところが私はその中に物質的な「知能」も見たことがなければ、「良心」もそのどこにも見られなかったのだ。」
彼はその時は無事に釈放されましたが、その後も1930年代末までソ連政権と様々なトラブルがありました。にもかかわらず、スターリン賞をクレムリン宮殿で受賞した際も、頑固に神父服を着て赴いた彼は、自分の信念を一度も曲げたことはありませんでしたし、実はソ連当局が彼に信念をあきらめるよう要求したこともありません。ただその信念が「反動的な行動」につながることを(これといった根拠なしに)憂慮したわけです。
では、人間の脳の中から前世紀の最も偉大な外科医が見付けられなかったというその「良心」とは一体何でしょうか。私は、孟子の説どおり、良心の根は先天的だと思います。人は誰でも生きることを好み、痛みと死を恐れます。そして人は誰でも自分と他者との間の一体感をある程度は感じるので、自分の痛みと死のみならず、他者の痛みと死も絶対に望まないほどの「善根」を持っています。仏教でいうところの「一切衆生悉有仏性」というのがまさにそれです。「仏性」の要諦とはまさに他者の痛みと死が自分の痛みと死であるかのように悲しむことだからです。しかし、そうだとすれば、ファッショたちの収容所でユダヤ人と共産主義者たちを大量虐殺しながら安らかにモーツァルトの音楽を聴きコーヒーを飲んだ人々は誰でしょうか。これはあまりにも極端な例ですが、「良心」の完全な破壊の事例を私たちは近くでもいくらでも見ることができます。病気がちで運動する余裕のない会社員のおじさんを「実績が上がらない」といった理由で海兵隊キャンプに無理やり送った上司たち(? mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=001&aid=0005665165)は果して如何様にできた人種なのでしょうか(まあ、「実績が悪い」という理由で自己改善しろといって軍隊に送るというこの軍国主義的な発想は無惨すぎると思いませんか。これは本当にナチス・ドイツと同じレベルといえるのではないでしょうか)。子供たちが「勉強」できないからといって、彼らを殴り「奴隷」、「賎民」などに区分けし、無惨な自己卑下意識を注入した(https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/540004.html)先生とそのような行為を庇い、放っておいてきた学校は一体どうなったのでしょうか。過去の薄気味悪い時代に帰らなくても、私たちの周りからも「良心」が完全に喪失された事例は簡単に見付けられます。「良心」の去った跡を「軍隊で何日か過ごしてみれば命令を正確に実行する真の男になる」という軍事主義的な信念と、「人間は交換価値にすぎないのだ。交換価値を『業績』、『実績』が作るのだ」という法則を小学生たちにまで適用して彼らを業績主義的な規律に従わせる無惨な成功主義と訓育主義の結合とがまさに占めることになります。一体こんな反人倫的な体制の「ねじ」になると自任する人間たちの「良心」はどこに逃げたのでしょうか。
「良心」は、「逃げた」わけではありません。「良心」の根は生まれつきであるものの、「良心」の形成過程は後天的であり社会決定的です。私たちが知っている「良心」とは、その根はともかくも、窮極的には社会的な現象です。つまり、朝鮮時代の人々の立場では、寡婦が再婚しないことや、女奴婢はたとえ自分の子供には乳を与えず飢え死させようとも、主人の子供には乳を吸わせて健康に育てることが「良心」でした。私たちの立場からすれば、前者は無意味で後者は犯罪的なのですが。古代ギリシャ人たちの「良心」には奴隷の存在はまったく差し障りのないものであったでしょう。つまり、私たちの社会で社会化過程というのは、生まれつきの「良心」を踏み躙ってしまう過程です。南韓の子供たちが社会化過程においては「努力しなければ落伍するよ。落伍者は気の毒だが、自業自得だからね」という市場的な業績主義を金科玉条のごとく完璧に身に付けるのではないでしょうか。そんな彼らは、後にホームレスを見かけても、ホームレスたちを量産する社会が犯罪的だと考えるより、「努力しなかった人のようだ」と言って何事もなく通り過ぎることでしょう。古代ギリシャ人たちが奴隷たちを見て「運命の女神がそのように決めたようだ。奴隷は生まれながらにして自由人とは違う」と思ったようにですね。生まれながらの惻隠之心、他者の痛みに共感する能力が踏み躙られ、それに代りたとえば国民国家の資本主義的な「機会均等」に対する是非之心が「良心」の席を占拠するようになります。平均的な南韓人は竜山惨事より権力層の子弟たちの兵役不正の方に対して遥かに怒ります。「成功」を争う「出世」の市場で誰かが軍隊に行かなかったお陰で 自分や自分の子供より有利なスタートラインに立つことは、勝者独食・優勝劣敗のジャングルでの深刻な「反則」なのです。ところが民衆を抑圧、弾圧する機動隊に差し出されるかもしれないし、下手をすると米帝の対北、対中侵略で弾除けとして利用されるかもしれない「軍隊」に一体どうして入らなければならないのかという問題意識はほとんど始めから踏み躙られてしまったようです。ナチスが共産主義者やユダヤ人、スラブ人たちを殺すことを「良心に反するもの」とは見做さなかったように、私たちは「我が国」とそのひもにあたる米帝のためにする殺人や殺人の準備を罪悪と見做していません。
我が国でこの奇形的な社会病理を心から傷み問題視する「良心」の持ち主が現われるのは、実は例外、もしかすると奇蹟に近いことです。社会化の過程において社会化の対象者が他者に対する惻隠之心、思いやりを忘れるよう圧迫するために、この社会が総力を挙げているからです。南韓の大学に進学する脱北者たちが最も驚愕することは何かご存じでしょうか。北朝鮮や中国、ソ連の学生たちとは違い、南韓の学生たちが死んでも自分のノートを貸さないということです。正常な、つまり資本主義的な競争意識を内面化する過程がまだ南韓のようには進んでいない社会の出身としては、組職生活の第一原則が上司に対する競争的な諂いと比較的弱い構成員に対するいじめや無視である南韓社会は実は「社会」には見えないのです。これは「社会」というより、野獣化した個人たちの機械的な組み合わせにより近いといえましょう。ところが、私たちにはこれは正常、私たちが唯一知っている現実です。ナチス・ドイツの「正常な」独逸人たちがソ連やポーランドから徴用されてきたOstarbeiter(「東からの労働者」)に「仕事は難しくないか」と心配してくれなかったように、ソウルの食堂で一日12時間以上働かされている延辺のおばさんに私たちは「生活は大変ではないか」と普通は聞かないものですね。数十万の外国からの「類似奴隷」たちが私たちの暮らしをもっと豊かにしてくれることは私たちにとっては当たり前のことです。業績主義的に見える世界秩序の中において彼らの出身国が私たちのそれに比べて落伍者にみえるからです。ああ、私たちの真の姿を客観的に見られる目は、もはや社会化の過程で見えなくなってしまうのです。また、良心の目が眩まないとこの地獄でうまく耐え抜くことはできないのです。他者の死骸を踏み台にしてです。
薬のせいで頭がふらふらしてこれ以上は書けそうにありません。それでも特に南韓で育つ子供たちが受けなければならない反人間的な訓育、そして彼らが耐えなければならない学習労働の量を考えると心が痛んで何もできないほどです。一体こんな人体実験はいつまで続くのでしょうか。
原文: http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/50211 訳J.S