原文入力:2012/05/06 19:28(1915字)
←チョン・ヨンジュ言論人
昨年4・27補欠選でハンナラ党が大きく敗北した後、党内外が騒々しかった時、ホン・ジュンピョ党代表はこのように嘆いた。 「李政府には政治的同志がいない。 政治的同業者がいるだけだ。」
‘政治的同志’ならば価値を基に結ばれた関係だ。 それなら険しい条件の中でも互いに慰め軽く叩きながら私的利害ではなく共同体のために情熱を傾ける。 反面‘政治的同業者’は文字どおり利害関係に基づき徹底して計算してやりとりし、計算が違えば人間関係も終わってしまう冷酷な商取引のようなものだ。 ドイツの社会学者テンニースの概念を借りれば、前者は‘ゲマインシャフト’(共同社会),後者は‘ゲゼルシャフト’(利益社会)ということになる。
セヌリ党、朝中東、権力親衛隊が掌握した放送、財閥、官僚集団、検察などが組み合わさっている守旧保守集団の作動原理は政治的同業意識または、利益社会の論理だ。 再び権力を奪われまいという熱い欲望と情熱でみな固く団結している。 戦争でもするかのように生きるか死ぬか式だ。 これは‘広報チラシ’であっても言論と言えるかという皮肉などにはお構いなしに絶えず世論を歪曲してきた朝中東の政治行為、史上類例のない長期ストライキで放送も組織もみな壊れつつあるにも関わらず眉一つ動かすこともなく後輩の首を切り続ける放送会社権力親衛隊、一方的捜査の達人である政治検察、‘狂牛病発生時直ちに輸入中断’広告のように口さえ開けば嘘を吐きだす官僚集団…。彼らにとって正義や共同善のようなものは幻影に過ぎない。
彼らにとって最も強力な動機付与は、すなわち危機に皆が固く団結するようにする力の根源はまさにゲゼルシャフト的利害関係、‘政治的同業者’としてやりとりする計算、権力と富を逃すまいという強烈な貪欲ではないだろうか。 彼らにとって最大且つ最も痛恨な教訓は‘失われた10年’だ。 民主政府10年間の剥奪感と飢餓を埋める方法はなかった。 どれほど権力と財物に飢えればチェ・シジュンなどMB核心側近の行動と不正腐敗がこのように想像を絶する水準になるだろうか。
守旧保守がどれほど激しく執拗だったかを私は直接経験した。 彼らは放送のために政権を奪われたと固く信じている。 朝中東をはじめとする多くの新聞は味方であるから、放送さえ掌握すれば政権を再び握ることができ、再び手にした政権は決して奪われないと堅く信じた。 それで朝中東に総合編成チャンネルまで与えた。 1997年、2002年の大統領選挙の時に政権を奪われた理由も、ろうそくデモの時に政権が山崩れのように崩壊の危機を迎えたのも、ひとえに放送のためだと固く信じた。 普段には与野党の仲も良くて和気あいあいとしていた国会文化体育観光放送通信委員会が<韓国放送>問題が出てからは‘戦場’になったと文放委員を務めたチョン・ヨンセ前民主労働党代表が回顧した。 守旧保守はそれほど熾烈だった。 私は<韓国放送>社長在任の間、そして解任される過程でその執拗さと熾烈さに舌を巻くほかはなかった。
総選挙が終わった後、最初に浮かんだ考えは守旧保守のこういう熾烈で強烈な権力欲望、それを可能にする徹底した同業者意識だった。 これに比べて野党圏は、特に民主統合党は価値に対する渇望も、同志的情熱も、軍部独裁時期にあった抵抗の純粋さも、戦いの熾烈さも消え失せたようだった。 ‘国会議員’という特権階級の獲得のために当選に没頭している、それで砂粒のように散って私欲だけを取りまとめる姿があちこちで目撃された。
総選挙後、そして最近の党内権力を巡り吐きだす言葉や見える様子、相手方の胸を穿つ苛虐行為を見れば、そのような思いが一層強くなる。 彼ら自らが問題の一つの重要な部分であり、従って総体的反省が切実に必要だが、自分たちはあたかも無誤謬の聖者であるかのように相手方の欠陥出しに余念がなかった。
加えて統合進歩党で繰り広げられているみじめな事態を見れば、今 野党圏に最も切迫したことは‘人間らしく生きる世の中’の価値を胸に再びごうごうと燃やすために心霊大復興会でも開き懺悔の時間を先ずは持つことであるようだ。 そうして信じた価値の実現のために本当に熾烈にならなければならない。 守旧保守は戦争を起こすように猛烈に戦っているではないか。
チョン・ヨンジュ言論人
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/531443.html 訳J.S