登録 : 2013.06.02 14:22 修正 : 2013.06.03 07:07

朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授

 数週間前、「尹昶重(ユン・チャンジュン)事件」にインターネットで接した時、真っ先に頭をよぎったのは、「こんな出来事を最近は「事件」としてみなすようになったのは不幸中の幸い」ということでした。 実際、90年代初頭、レニングラードとモスクワで韓国人観光客を相手にガイドをしていた時、私は「尹昶重」たちに数えきれないほど、ほぼ毎月のように遭いました。きれいにみえる女性ガイドに半裸ないしそれ以下(?)の姿の「社長」たちが手を出しながら、「よ、お前、俺に……やらせてくれたら百ドルやるよ!」と言ったりするのは、「日常」にすぎませんでした。白人の前では「社長」たちはやや縮こまる癖のようなものがあったのか、高麗人ガイドたちの被害が最も大きかったのです。彼女たちの中で長く働く人々はほとんどいなく、「何週間か働けば韓国学の勉強はもちろん、「韓国」という国号そのものが聞きたくなくなりそうだ。憎悪が高まるばかり」と言い残して、去っていく人々がほとんどでした。こんなことは日常的に繰り返され、私たちはそれが「事件」になりうるとはその時は思ってもみなかったのです。 崩壊していく、世界第3位の殺人発生率を誇る(?) 国ではセクハラくらいを「犯罪」として扱う余裕さえなかったからでしょうか。それとも、準核心部へと進んだ大韓民国の「成功」(?)を前にして、失敗した国の住民たちが感じざるをえない劣等感でしょうか。 実は、これはとても悲しい話ですが、尹昶重の過ちとは、その部類の男たちが踏みにじっても良い(?)国へ行って日常的に繰り返す所業を、主人の国へ行って堂々と(?)やってみたということです。まあ、習慣ほど恐ろしいものはありませんね。

 実は、尹昶重が特別なのではなく、あまりにも典型的という点こそが問題なのです。皆さん、私たちは内にいてあまり気付いていないかもしれませんが、実際は男根の支配する社会に生きています。ここでいう「男根」とは必ずしも男性の身体の特定部位を指すのではなく、家父長的な社会でその「特定部位」が連想させる「価値」(?)を意味します。たとえば、大韓民国の幼稚園や小・中学校を考えてみましょう。蔓延する暴力で男の子が被害を受ける場合、父母たちがよく対応する方法は?「君はどうしていつも殴られてばかりいるの?君も殴りなさい!テコンドーを習いなさい!」くらいです。皆がテコンドーを習い、前蹴り、横蹴り、ひねり蹴りなどのあらゆる技が上手になったからといって、校内暴力問題が解決されるわけでもないのに、とりあえず「我が子だけでも」「女々しく」我慢せずに男根らしく行動してほしいと切に願っているのです。もちろん、今日の韓国社会が若い男性に注文しているのは単なる「筋肉質」では決してありません。異種格闘技などのように、江南族たちの男性ホルモン分泌を助け、富める者を「ハラハラ」させなければならない様々な野蛮な「試合」に出る男性たちは主に下層民出身たちであり、彼らの男性性概念は中産層のそれとは対照的です。中産層の男性に要求されるのは体作りをし、適当に(!)イケメンのマッチョとして自分をデザイン(?)できるほどの技術やお金、流暢な英語、外向的で円満な、すなわち適切に順応主義的な性格(生真面目な志士は、韓国の中産層たちには「石器人」に見えるでしょう!)、そして何よりも稼げる「能力」です。つまり、必要な時はより強い男根に従わなければならないとする特性にも、教育や職場では常に仲間と競争しなければならないという不文律にも、彼ら「模範的な中産層男性」たちの男根主義的な性格はそのまま現われるのです。競争主義以上の男根主義的な「価値」もないのです。

 一体、韓国社会の中で男根が影響を及ぼしていない組職などあるのでしょうか。女子大生や女子助教たちが研究室のドアを閉めたまま(男性)教授と一対一で会話することを嫌う学校は、果して男根たちの攻撃から安全でしょうか。女性牧師がほとんどいない教会はどうですか。最も進歩的とされる長老派教会でも女性牧師の割合は8%にすぎず、彼女らの中にはほとんど飢餓線といえる150万ウォン以下の報酬を受けている人々が70%です(http://www.segye.com/Articles/NEWS/CULTURE/Article.asp? aid=20100831004028&subctg1=&subctg2=)。仏教は?勝りこそすれ劣ることはないでしょう。原則上、尼僧は曹溪宗の宗務院長など核心の職に就く資格(?)はないし、中世的な「八経法」は今も有効です。たとえば、いくら法臘の長い尼僧であっても、必ず比丘僧に先にあいさつしなければならない等々です(http://beopbo.com/news/view.html? section=94&category=100&no=74401)。ご承知の通り、「伝統」がセールポイントの仏教では「伝統」という美名の下、弊習をどこよりも敢えて直そうとしません。あるいは「女性神父」は初めから原則的に存在しないカトリックはいかがでしょう。そのため、私はソウルの街で教会の尖塔を見る度に、なぜか大きな男根にしか見えません。もちろん金持ちたちがあれほど好む江南の摩天桜はもっとそうです。

 私たちの社会はなぜこうなってしまったのでしょうか。元々儒教社会も男根主義が甚だしかったものの、戦争と朴正煕の総動員式の兵営社会が決定的に大韓民国を女性などの下位者に対する支配と金儲けに向けた「男根」を鍛え上げたのです。ここに競争優先の新自由主義がごく自然に、有機的に結合されました。昔の「国力伸張競争」「体制競争」などは今や個人単位のサバイバル・ゲームに変わってしまったものの、「もっと早く」「従順しなさい」「やればできる」「ぐずぐず言わずにやれ」等々はそのまま残ってしまいました。むしろ強化された感があります。形式的に「民主化」されてから20年余りが経ったというのに、あらゆる民主国家には当たり前の代替服務制が韓国にだけは入る余地がないのは果しておかしなことでしょうか。すべてが金儲け戦線の軍人にならなければならない模範的な新自由主義社会では、軍人になりたくないという男性が根本的に(男根のない?)「エイリアン」に映るだけです。これは、精神病院で「私はナポレオン!」と叫ばない人は直ちに白眼視されるのと同じ論理ではないでしょうか。

 数日前、私は橋下とかいう大阪市長の慰安婦関連の妄言を聞いて、こんなやつが民選の市長になりうる国はあまりにも危ない状態ではないかと怒りを感じながらも、日本の未来について心配しました。ところが、慰安婦などの弱者、被害者に対する妄言は日本の右派たちの特技(?)なのですが、「男性の性欲解消のために女性が動員されることを当然」とする男根至上主義者 橋下の根本的な考え方を、果して多くの保守的な韓国の男性たちは共有していないでしょうか。日本の右派の醜態は当然断罪・糾弾しなければなりませんが、より根源的には韓国人、日本人、そして世界のすべての人民たちが男根主義という資本主義型の家父長社会の基本的な弊害を果していかに乗り越えられるかについて討論し協力し合わなければならないと思います。

韓国語原文入力:2013/05/29 19:00
http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/59790 訳J.S(3085字)

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