ここ20~30年の間、世界史が展開されてきた軌跡を振り返れば、新自由主義という、今私たちを支配している怪物は極めて自己矛盾的な、資本主義の一類型にしてもあまりにも怪奇な存在です。一度考えてみてください。歴史的に17~18世紀のヨーロッパにおける絶対王権の富国強兵的な論理を継承した資本主義は、外形的には自由放任を唱えていても、その本音、すなわち実質的な政策はほとんど重商主義的です。あくまでも戦争などの有事に備えて「我が」国家の工業をなるべく育成し、輸入代替が可能な主要商品をなるべく国産化させ、なるべく輸入依存を減らし輸出を増やすこと―これこそがまさに資本主義の「本来」の属性です。言い換えれば、政治・軍事上それが可能だった国々が―朴正煕の韓国のように―産業資本主義に成長し、諸般の事情から重商主義的な政策が取れる位置にはなかった弱い国々が、結局資源供給ないし完成品市場の役割に止まってしまうのが資本主義歴史の論理なのです。すなわち、「正常」です。彼らの世界の「正常」。ところが新自由主義は果していかがですか。株主たちの短期利益が中心になり、むしろ新自由主義国であればあるほど、工業はがらがらと崩れてしまいます。短期的には、長期投資を要する工業よりマージンがより大きい金融部門への投機が遥かに有望だからです。たとえば、新自由主義の模範国であるイギリスを見てみましょう。サッチャーが首相になった時、イギリスは―大体今の韓国のように―国民総所得の中で産業が30%も寄与する代表的な工業優先経済を保っていました。サッチャーとその後継者たちの人為的な脱工業化政策の結果は?今や工業は10%も寄与できず、「金融サービス」などが32%も占めています(http://www.guardian.co.uk/business/2011/nov/16/why-britain-doesnt-make-things-manufacturing)。残りは主に小売り業などの一般サービスです。
このような「経済」は目先の利益を追いかける株式市場の投機家たちには渡りに船かもしれませんが、今のような金融危機が深まれば間違いなく崩れてしまいます。大失業などの社会問題を引き起こしながら。総体的な危機が迫ってこなくとも、このような似非「経済」は工業部門の安定的な正社員たちが結局サービス部門のその日暮らしの非正規労働者に転落し、相対的に貧困化することを意味するのは言うまでもありません。イギリスでは、ホテル/食堂部門で62%の労働者、そして小売部門で約48%の労働者が各々低賃金労働力です。まあ、韓国では脱産業化する前に、1997年以後の労働者たちの大々的な非正規社員化により結局は類似した効果を出しました。労働、特に下請業者/派遣業者たちの労働を使い捨て商品化し、主要な財閥たちに、株式投機家たちと比較可能な利潤マージンをもたらしたわけです。社会的な結果については私たちはすでに承知しているものの、そんなことには財閥たちと彼らを代表する官僚たちはなんの関心もありません。
新自由主義の「短期性」は常識的には理解できない、そんな水準です。たとえば、最近の「アベノミクス」を見てみましょう。わずか1年前までは1ドル80円だったのが、今は100円を越えました。もっぱらお金をばら撒き短期的に内需を増やそうとしていますが、総賃金の傾向的な引き上げ、すなわち多くの労働者たちの強固な所得引き上げなしには、これはただもう一つの「バブル」を作ることにほかなりません。安倍はそれが分からないのでしょうか。株式バブル、不動産バブルなどが弾けるのをすべて見てきた世代なので熟知していると思います。それでもバカなことを続ける理由は? 何よりも短期利益が重要だからです。4大河川殺しで短期的に地価や建設景気を浮揚した後に長期的な環境災害をもたらした韓国の保守政治家たちは果して違うでしょうか。聞くまでもないことでしょう。
では、「未来」が最早いかなる意味も持たない、何ヶ月以上の未来は見ようともしない、このような狂った構造は果してどうして生き残れるのでしょうか。 新自由主義は一体なぜ可能なのでしょうか。皆さん、その秘訣は極めて簡単です。 抵抗らしい抵抗がまだなかったからです。 最大の抵抗とされているイギリスにおける鉱山部門のゼネスト(1984~85)や韓国のゼネスト(1996~97)、キャンドル・デモ(2008)なども、全国を麻痺させ体制転覆の現実的な可能性をほのめかす水準にまでは達しえず、体制転覆の可能性が見えない抵抗に支配者たちは最早反応しなくなりました。 また特に組織労働者たちの抵抗力がここ数十年間、傾向的に低下してきたことが最大の問題です。実は韓国の事例だけを取ってみても、組織労働者たちの総体的な抵抗のピークは1996~97年であり、その後は抵抗が分散しており、主に非正規社員たちの散発的な闘争形態として残されるようになりました。運動の総体的な力が急激に落ちてきたのです。
これが歴史法則といえば法則ですが、抵抗に最も積極的な労働者/未来の労働者たちこそが未来が少しは保障された、あるいはそのような保障の可能性の見える人々です。1968年のパリ、1987年のソウルの投石戦を起こした学生たちは、未来の失業を恐れなかったし、仲間たちと競争する必要を感じませんでした。そのため肩を並べて一緒に闘えたのです。韓国の1996~97年も、大々的な非正規社員化のすぐ直前でした。大々的な非正規社員化が成され個人対個人の絶対的な競争の構図に突き進んでいけば果してどうなるでしょうか。失うものが最早なく連帯が可能な人々、たとえば製造業の大工場/中間規模の工場の非正規社員たちは死ぬ覚悟で闘いに出ます。しかし連帯が物理的に難しい中小企業の非正規社員、あるいは失うものが多い正社員、そして正社員になる可能性が稀薄であっても、それでもそのわずかな可能性にかける大学生たちは、次第に闘争の場から遠のいていきました。こうして「保守化」が根を下ろしたのです。
しかし、もちろんこの「保守化」もあくまでも相対的です。結局体制が窮極的な内部の破滅に自ら達すれば、絶対多数は「失うものなどない」状態に追い込まれるようになり、そして闘争が始まることでしょう。問題は、資本主義は普通その失敗を覆い隠すために、このような瞬間が近づけばすぐ戦争を起こしてしまうことです。1913~14年の経済危機がまさに第一次大戦につながったように。