本文に移動

[朴露子ハンギョレブログより]魯会燦(ノ・フェチャン)、そして階級政治の未来

登録:2013-04-01 23:57 修正:2013-04-02 06:41

 私は月刊誌『人物と思想』の今月号を受け取って、真っ先に読んだのは表紙を飾った人物でもあった魯会燦(ノ・フェチャン)元議員とのインタビューでした(このインタビューに関する簡単な言及は同雑誌社のサイトにもあります: http://www.inmul.co.kr/ )。私は長い間、魯会燦氏のことを「とても頭の切れる政治家」と思っていたこともあり、また今回の彼に対する司法の判決と議員資格剥奪については、支配者たちの最悪の暴力と思っていたこともあり、当然彼のインタビューから早速読み進めたわけです。インタビューのかなりの部分はまさに問題の司法判決を取り上げたものであり、この判決が出た後は韓国において司法の正義は死んだと思うのは果して私だけの状況把握でしょうか。「泥棒だ」と懸命に叫んだ人を捕まえ、ほぼ9年も苦しめた一方、企業家の仮面をかぶった泥棒と司法の仮面をかぶったそのヒモたち(?)をそのまま野放しにしたのは果して近代法治国家と言えるでしょうか? 私たちには司法はなく、特定の財閥らのために解決士の役を務める法曹界の「行動隊」があるのみです。とはいえ、今回の事件が起きなかったとしても、このことを疑うのは難しいですが。 司法権力者たちがこれまで経済権力者たちを扱ってきた経歴を見ただけでも明らかです。精神疾患(サムスン電子で働いている皆さん、皆さんののCEOは精神疾患者です!)で兵役を免除された李健煕(イ・ゴンヒ)級の犯罪経歴者がいくら脱税・背任などで有罪判決を受けても、一度も拘束されたことがない点だけを取っても明白です。

 期待通り、このインタビューではあまりにも利口な魯会燦氏はとても面白い話をたくさんしました。たとえば、国会議員になったら、国会の先輩たちに「アメリカとサムスンだけには触れないように」という警告を聞いた話等々。そうですね。自治体の議会程度の権限しか持っていない韓国の「国会」は、韓国の外交安保部門に対して核心的な影響を及ぼしている実体(アメリカ)と経済権力の実体(サムスン)に「触れれば」越権行為になるに違いないですね。それもそうですが、20年前までは「アカ」だけが口にできた「福祉国家」などの話を、今や保守の論客たちが次第に流用しているという話も極めて意味深長でした。とても面白いインタビューでしたが、このインタビューで語られたことより、語られなかったことは何かという点に注目すればさらに面白くなります。

 先ず「進歩新党」という党名はこのインタビューでは見つけることができません。「進歩正義党」は何回か出ていましたが。まあ「分党」過程における様々な後遺症だとしても、それよりもっと大事なことなどが沈黙の中にその姿を隠しました。たとえば、いくら探しても「社会主義」のような単語は見つかりませんでした。隔週刊誌『社会主義者』編集委員として人民労連の活動中に、盧泰愚(ノ・テウ)軍事独裁の魔手に掛かり監獄に入れられた魯会燦元議員の経歴を、たまに授業中に言及しながら韓国の労働/社会主義運動の足跡を教えたりする私のような人間には、これはとても残念なことです。あまりにも穏健すぎるフランスの(政権与党でもある)社会党も「社会主義」という看板を掲げているのに、韓国では野党の進歩的政治家はこの単語を禁則語扱いせねばならないのでしょうか。やや刺激的(?)ともいえる「社会主義」は仕方がないとしましょう。しかし、「階級」も、さらには「労働者」も、このインタビュー・テキストにはどこにも見当たりませんでした。「階級政治」の座を正体も不明な「進歩政治」(そういえば、盧武鉉や金大中なども自称他称「進歩」でしたね)が占めてしまい、いかなる階級的な未来ビジョンの座も「福祉国家」が占めるようになったのです。たった今ノルウェーのような例外を除けば、ヨーロッパのいたるところで恐慌の波に乗った新自由主義的な反動の攻撃を前にして次々と崩れていくあの「福祉国家」は、果して歴史の目的地であり、私たち皆が見なければならない二つとない夢でしょうか?

 達成できるものなら、「福祉国家」それ自体は当然に ―労働者の立場からすれば― 悪いとは言えません。一応、私たちが資本から勝ち取れる譲歩なら、半分だとしても私たちの勝利であり、そうした半分の勝利にしては「福祉国家」はかなり大きいものです。ところが、今私たちには権力層と「司法」をして「餅代検事」たちを調査・懲戒せしめ、魯会燦から暴力的に剥奪した議員職を回復させるだけの大衆行動を組織する力もありません。もし、私たちの目的が狂った「司法」の犯罪的な「判決」の是正ではなく、その問題の中心にあるサムスンに今より2~3倍以上の企業税を払わしめることであり、李健煕に60~70%の所得税を出さしめることが課題なら? 果してどれほどの大衆行動が必要でしょうか。そしてその行動を組織しようとすれば、階級政治を除いて可能でしょうか。この国の核心である工場のラインを止めるようなゼネストを除いて可能でしょうか。そのため、「福祉国家」をまともに取り上げようとするなら、たとえ小市民は聞きたがらなくても、「階級連帯」や「ゼネスト」くらいは論じなければなりません。また、魯会燦氏に一つ考えていただきたいことがあります。もしポスコがこの瞬間に原住民たちに対する殺人をも犯しながら暴力的に奪い取っている生活の場(http://dawn.com/2013/03/03/bomb-kills-three-posco-protesters-in-india-police/)にインド製鉄所を建設し、そこで低賃金労働力を搾取して発生した税金でインド人を排除した韓国「国民」のみの福祉国家が営まれたところで、それは果して80年代に弾圧を受けていた社会主義活動家・魯会燦の良心をもって受け入れられる事柄でしょうか。社会主義者なら、もっぱら「私たち」の民衆のみを顧みられるでしょうか。「万国の無産者」はいったいどこに行ってしまったのでしょうか。問題は、80年代の社会主義者たちが最早自分たちの初心を顧みたくなくなったことにあるようです。

 とにかく、魯会燦元議員のような穏健社民主義者たちも、韓国の階級政治を進めようとする人々にとっては明らかに「味方」であることは間違いありません。必要な時には連帯できる、そんな味方です。実は、極めて広範囲な階級的連帯こそが私たちをその「福祉国家」へと導いてくれるはずであり、最小綱領を共有し合う以上、そのような連帯は自然だと思います。問題は「福祉国家」などが最早魯会燦元議員には最小綱領ではなく最大綱領になっているかのような部分です。右翼社民主義者たちが一般的に「主流化」さあれていく傾向はあるものの、これほどまでに「主流化」してしまい、「国民政治家」になってしまったら、その後は連帯がやりにくくなるのではないかと心配になります。もちろん杞憂であることを願いますが。そして個人的な次元では、魯会燦元議員に今の自分を80年代末の運動圏の若い活動家、魯会燦の目で一度観察してみていただきたいものです。私もしばしば用いる心の修養方法ですが、本当に反省が必要な時には極めて役に立ちます。心から強くお勧めします。

http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/58523 韓国語原文入力:2013/03/26 20:51
訳J.S(3095字)

関連記事