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[朴露子ハンギョレブログより] 私は全体主義社会を生きている

登録:2013-03-26 00:02 修正:2013-03-26 06:00
朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授

 私は現在ひどい肺の痛みに悩まされています。そのせいか、職場にも行けず、家で私の生きている社会に対する、私のやや悲しい印象を一つ一つゆっくりと消化しているところです。 私が13年前にノルウェーに移住してきた時は、「普通の資本主義より遥かに暮しやすい社民主義の国家」に行くという自負を強く抱いていました。「暮しやすい」のは相変らず事実ではあるものの、私は今家の窓から降っている雪を見つめながら、この「楽さ」に潜むある種の全体主義的な実体を如実に感じています。

 全体主義のように、一般的にソ連や北朝鮮を指し示す言葉を、敢えて世界で人間啓発指数の最も高いここ(http://en.wikipedia.org/wiki/HDI_index)に対して使うなんて、あまりの妄言ではないかという反論が当然予想されます。しかし世の中の通念とは異なり、国家/資本が被支配者たちの「すべて」を統制し尽くし、被支配者の支配関係に対する反発などがまったくできなくなっているという意味での全体主義は、必ずしも「高い生活水準」と衝突するものではなく、逆にむしろ「高い生活水準」こそが真の全体主義の極めて重要な前提條件になると考えることもできます。飢餓に喘いだ30年代末のソ連では、全知全能とされていたその国家は、質の悪い自家製のウオッカを飲みながら「この官僚野郎め」に対するあらゆる悪口を言っていて、いつも工場や集団農場から何かを盗もうとする下っ端の労働者や農民の「すべて」を支配しようなどと考えることはとうていできませんでした。さしも多くの人々が収容所に連れて行かれたのは、それだけ下っ端の労働者たちの職場における様々なサボタージュのような抵抗から知識人たちの批判、抵抗まで、スターリン主義に対する反発がかなり多かったことの反証にほかなりません。これは「全体主義」というより、革命を受け継いだにもかかわらずその革命精神を否定した、民衆の身分上昇をもたらしたにもかかわらず残酷な手段で工業化を超高速で成し遂げた典型的な「左翼的権威主義」に過ぎませんでした。「全体主義」を敷くには、スターリン時代のソ連の支配者たちは被支配者たちの基礎になる物質的な要求さえも満たす資源があまりにも不足していたうえ、革命の(良い意味での)啓蒙主義的で解放的な遺産が未だ強く残っていたのです。これとは異なり、ノルウェーなどの後期資本主義の「先進国」たちは名実共に全体主義を敷くに値する良い位置に立っています。先ず箇条書きで私が肉眼で観察しうる「先進型全体主義」の特徴を簡単に考察してみましょう。

1.国家/資本の対民統制能力

 「超高速工業化」を当然必要としない後期資本主義の核心部社会は、資源総動員のためにソ連や北朝鮮のように経済を完全に国家化する必要もありません。その代わり -課税の次元で必要でもありますが- 個々人のあらゆる経済活動は漏れなく国家により把握されています。 税務署はあらゆる住民たちのすべての銀行口座を把握しており、たとえば本を書いて稼ぐなどの主な所得以外のいかなる「内職」をする場合でも、これについて税務署に必ず申告しなければなりません。口座にいきなり一定額以上のお金が入ってきたり、引き出された場合には、その背景や使途に対する税務調査が必ず行なわれます。旧ソ連や北朝鮮のように、庭先の畑できゅうりなどを育てて、市の立つ日に売り出し、そのお金で新しい服を何着か買うような生き方は、最早ノルウェーでは不可能です。自由な農民市場もなければ、農業関連の官庁に登録されていない農業生産や税務申告のない農産物の販売も想像できないからです。一体どちらが全体主義でしょうか。

 個々人の所得及び経済活動に対する完全な把握及び統制は、福祉国家の運用のためには欠かせないというなら仕方がないとしましょう。ところが、国家ないし資本が私について知っているか、知りうることは他にもたくさんあります。個人の社会保障番号(韓国の住民登録番号に相当)なしには薬局で極めて日常的な薬品以外の薬は買えないし、それとすべて電子化されている私の主治医との相談記録、及び私の入院治療関連の記録などで私の身体については「あらゆること」をすべて知っています。もし必要になれば、銀行のデータベースに残っている私のカード利用明細や通信社がすべて持っている携帯電話の通話記録などの関係網から旅行などの空間移動に関するすべての情報まですべて入手が可能です。「透明人間」? はい、まさに「透明人間」にほとんど近いのです。

2.被支配者たちの支配体制に対する肯定一辺倒の態度

 これは実は、上で話した「透明人間」よりさらに恐ろしい点です。私たちが完全な「透明人間」になったことに対して、多数が警戒心などを持っていれば別ですが、このような警戒心ないし憂慮などをノルウェーで発見することは困難です。世論調査は常に少しずつ異なるものの、概して75~85%のノルウェーの住民たちは自分たちが「幸せだ」と思っており、メディアがノルウェーのことを「世界で最も幸せな国」と褒め称える時、これを見て反発する人々はほとんどいません。財閥たちや政府が何をしようが、絶対多数は「私たちの民主社会では権力の悪用はありえない」と思い、あまり気にとめようとしません。ノルウェー版サムスンともいえる国営石油会社であるスタトイルがアルジェリア、アンゴラ、アゼルバイジャンなどといった最悪の独裁国家の独裁者たちと手を取り合って、その資源の掠奪の一翼を担っていようとも、ほとんど誰も関心がなく、ノルウェーの爆撃機が最近リビアで数万人の民間人たちを殺害したというニュース報道が流れても、これに関する話はほとんど聞くことはできません。「私たちの政府は善良な政府に違いない!」ああ、スターリンや金日成にとっては、このような無条件の「下からの擁護」は夢のまた夢の話でした。

 今から病院に行かなければならず、残った話は次回に回さなければなりませんが、私の結論は確実です。もしこの構造が何らかの危機的な状況でファッショ化されれば、たとえばイスラム信者たちを死の収容所に送ることに対する民間からの反対のようなものはおそらくほとんどないでしょう。ファッショ・ドイツでほとんど誰もユダヤ人の虐殺に反対しなかったようにです。まことにぞっとする話ですが、事実なのです。

http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/58248 韓国語原文入力:2013/03/20 18:50
訳J.S(2731字)

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