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[世相を読む] 彼らも生きられる世の中を/金東椿

登録:2012-11-13 08:05 修正:2013-01-29 10:18
金東椿(キム・ドンチュン)聖公会(ソンゴンフェ)大社会科学部教授

 修学能力試験(修能)を翌日に控えた去る7日、大邱(テグ)で自身が処した現実を‘あまりにみじめな風景’と書いたある二浪生が投身自殺した。 京畿道(キョンギド)坡州(パジュ)のあるアパートで両親が仕事に出て行った間に火事になった家から障害者の弟を助けようとしていた姉が10日程意識不明状態になり結局同日死亡した。 その前の9月15日には現代自動車非正規職労働者イ・某氏が‘不法派遣正規職転換’が難しそうだと悲観して自殺した。

 亡くなった子供たちの両親は「ひどい両親から生まれて…私たちのせいで申し訳ない」と嗚咽した。おそらく自身のみじめな境遇を悲観した青年も、現代自動車非正規職労働者も全て自身に下された苛酷な‘刑罰’に耐えられずに希望を失ったのだろう。 良い成績をとれなかったのも個人のせい、子供たちを火事で死なせたのも学歴の無い貧しい両親のせい、非正規職として10年仕事をしてきたのも自分のせい、三星(サムスン)半導体会社で仕事をして白血病に罹って死んだのも個人の不注意や不幸な巡り合わせのせい、大学講師を10年しても教授になれないのも‘実力不足’という恐ろしい判決の前に私たちの社会の‘無能な者’たちは静かに死んでいく。

 去る半世紀以上、私たちの社会は個人の責任、家族の責任の論理で動いていたし、その土台には勝者一人占めの制度、競争出世主義教育制度と市場主義イデオロギーがある。 特に外国為替危機以後、その論理はさらに強化され、李明博政府になって猛威を振るった。 李明博政府は全国の学生たちと教師たちを‘スペック積み上げ’戦争に追い込んだ。 ところで2012年ソウル大入学生分布を見れば‘実力’の実状がそのままに明らかになる。 ソウル大入学生の65.7%が15ヶの特別目的高校と江南(カンナム)3区の出身であり、ソウルの区別平均入学生数は区別所得あるいはアパート価格とほとんど一致することが明らかになった。 少数の例外はあるだろうが‘実力’というものは事実上、両親の学歴と財力に決定的に左右されるという事実が明らかになった。

 それでも私たちの社会で‘バック’とか‘貧しい家の長男’に生まれて家族の全幅の支援のおかげで出世した人々は、自身は何の責任も負わずに、恵まれなかった弟妹が体験する苦痛と不幸を当事者の責任で処理している。 外国為替危機当時、無理な外資借入で国家を不渡りに追い込んだ一部の大企業と銀行は莫大な公的資金を受け取り回復したにもかかわらず、自身に競争力があったために成功したと自慢している。 貯蓄銀行不渡りで数万人の小額預金者が言うに言えない苦痛を味わっているけれど、その金でバカ騒ぎを演じた金融機関監督機関の高位職、政治家たちは処罰を受けるどころか国民の税金で預金者への補償をしようと主張している。

 実力がなく金もない個人には無限責任と苛酷な処罰を、実力を備えた強者には責任免除と赦免という贈り物を与えてきたのが韓国のシステムだ。 ところで、もうこういう古い論理とシステムでは国家を支えられないという点が明白になっている。 韓国が経済協力開発機構(OECD)会員国中で最高の自殺率を記録する国という事実が、果たして韓国がOECD国家中で最低の公共支出国家だという点と無関係なことであろうか? しかも独居世帯が全体の4分の1を占める時代に、家族の責任論理が受け入れられるだろうか?

 前回の米国大統領選挙でも個人の責任を前面に掲げたロムニーに対し、政府の積極的な役割を強調したオバマが勝利した。 中国でも‘公平’が習近平時代の最大イシューとして登場しているという。 目前に迫った私たちの大統領選挙の時代的イシューもやはり去る半世紀間の個人責任、家族責任論から‘正義’に基づいた公共責任論へどのように移行するかの問題に集約される。

キム・ドンチュン聖公会大社会科学部教授

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/560173.html 韓国語原文入力:2012/11/12 19:16
訳J.S(1741字)

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