政治ブローカーのミョン・テギュン氏は昨年10月、あるメディアのインタビューで、尹錫悦(ユン・ソクヨル)氏が大統領になった理由について、「(本人が)生き残るためだった」と主張した。国家安保と国民生活の最終責任を負う重大なポストである大統領になった理由が自分の生存のためだとは、そんなことがあり得るのかと疑問に思った。だが、これまでの行動を見る限り、とんでもない話ではないような気がする。しかも、ミョン氏は尹大統領夫妻と内密な対話をしてきた人物ではないか。
12・3非常戒厳宣布以降、一連の事件を目の当たりにして、この発言を再び思い出した。与党「国民の力」のハン・ドンフン前代表が書いた本によると、昨年12月10日頃、尹大統領は辞任要求に次のような立場を示したという。「結局は弾劾に向かうだろうが、党がこれ以上防げないというときまで、何度も弾劾を否決させてほしい」。当時は国会の1回目の弾劾訴追案が否決された直後だった。国中が衝撃に陥り、経済と外交での不安が募る切迫した状況でも、自分の安危だけを考えていたのだ。尹大統領の本音は、高位公職者犯罪捜査処と警察の逮捕状執行過程でも明らかになった。警護処の官邸封鎖で1回目の逮捕状執行(1月3日)が取り消され、公権力間の初の衝突事態が懸念されていた7日、尹大統領はキム・ソンフン警護処次長にこのようなショートメッセージを送った。「国軍統帥権者(尹大統領)の安全だけを考えろ」
このように尹大統領の自己中心主義は想像を絶する。自分を守ってくれる警護員と正当な公務執行をしようとする警察がどうなろうと、国民が二つの陣営に分かれようと、経済と外交がどうなろうとかまわないという態度だった。ただ自分(そして妻)さえ生き延びれば良いという魂胆だった。
弾劾審判の最終陳述は、尹大統領の素顔をさらした決定版だった。意図的な嘘と確証バイアス、そして扇動が並べ立てられた最終陳述は、生き残るための狡猾な策略だった。嘘は嘘を生むものだが、そのため満天下に明らかになった犯罪行為まで自身が編み出した「もう一つの物語」に無理やりに組み入れた。自分には全く非がなく、すべてが野党や労働団体など反国家勢力が北朝鮮の指令を受けて自分を引き下ろそうとする工作だということだ。大衆は小さな嘘より大きな嘘をより早く信じる。「十分繰り返せば近いうちに信じるようになる」という独裁者アドルフ・ヒトラーの扇動教本が思い出される。
さらにぞっとするのは、自分の信念に合致する情報だけに注目し、その他の情報は無視する確証バイアスを裏付ける内容が目立ったという点だ。不正選挙陰謀論がその代表的な事例だ。その上、尹大統領は西部地裁で暴動を起こした青年たちなどにすまないとしながらも、再び市民を扇動した。多くの市民が強いられる苦痛は意にも介さないようだった。
ただし、尹大統領は戒厳宣布がなぜ12月3日だったのかについては沈黙を守った。ちょうどその前日に「(尹大統領関連の話が録音されている)自分の携帯電話を公開する」というミョン氏の爆弾宣言が出てきて、(尹大統領夫人の)キム・ゴンヒ特検法再議決表決を一週間後に控え、親ハン・ドンフン派で賛成を示唆する発言が出てきた時だった。「政権の聖域」キム・ゴンヒ女史に対する包囲網が迫ってくる決定的瞬間だった。
内乱事態を通じて権力とは果たして何かを考えさせられた。ノーベル文学賞受賞者である英国の思想家エリアス・カネッティは、権力の本質を見抜いた著書『群衆と権力』で、「生き残る者が権力者」だとして、このように述べる。「権力の非常に古くからの構造、すなわち権力の心臓部は、まさに権力者が自分以外のすべての人々の命を代償に自分自身を保存することだった」。カネッティは、不安と動揺が高まった1920~30年代、結局ナチズムとファシズムが跋扈したドイツやオーストリアなどで青年期を過ごした後、群衆と権力の本質を探求することに一生を捧げた。彼の洞察力に頼れば、尹大統領の行動もかなり説明がつく。尹大統領は自分の生存のためなら手段と方法を選ばなかった。政敵は全員捕まえるよう命令した。親衛クーデターが成功していたら、もっと多くの人々が犠牲になったに違いない。北朝鮮の攻撃を誘導して戦争でも起きていたら、どれほど多くの人が犠牲になったかを考えると、ぞっとする。
尹大統領は最終陳述の後も、弁護人を通じて扇動を続けている。まるで生きるためにもがきながら建物と森を破壊する怪物のようだ。尹大統領は短い在任期間にもかかわらず、すでに政治や、経済、外交、歴史、医療、科学、検察、軍隊など韓国社会の多くの領域を大きく破壊した。もはや自分ではなく、共同体のために偽りの扇動をやめるべきだ。状況を悪化させているのは、このような民主主義の破壊者をかばう与党の行動だ。一部の議員が「憲法裁判所を叩き潰そう」という妄言を吐いても、指導部はそれを制止しない。それが自分の墓穴を掘る行為であることが分かっていない。無責任で鈍感な「国民の力」の指導部が韓国の民主主義をさらに危険にさらしている。