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開業38年で看板を下ろしたKFC1号店…ソウル鍾路2街「商圏一等地」の没落

登録:2022-01-04 02:15 修正:2022-01-04 08:36
ファーストフード「ケンタッキーフライドチキン」韓国1号店として38年間営業してきたソウル鍾路区鍾路2街の鍾路店が閉店した。3日午前、看板がすべて取り外された建物の前を市民が行き来している=カン・チャングァン先任記者//ハンギョレ新聞社

 1984年4月に韓国第1号としてオープンしたケンタッキーフライドチキン(KFC)鍾路(チョンノ)店が閉店した。鐘路の商店街の景気が低迷している中、新型コロナウイルス禍の長期化も重なったため、店舗経営の継続は難しいと判断されたためだ。

 3日の流通業界の説明を総合すると、ソウル鍾路区鍾路2街(チョンノイガ)のキョンヨンビルディング1~2階にあるKFC鍾路店は2日、最後の営業を終えて閉店した。3日午前に記者が鐘路店を訪れた時には、関係者が看板を外しており、店舗内では什器の片付け作業の真っ最中だった。KFCの関係者は「古い店舗のメンテナンス費用などを考慮し、より良い場所でより良い環境の店舗を開くために閉店を決めた」と話した。KFCの韓国国内の店舗は、すべて本社直営店だ。

KFC韓国1号店である鐘路店の1984年4月の開店式の様子=KFC提供//ハンギョレ新聞社

 KFC鍾路店は、「商圏一等地」と呼ばれた鍾路のど真ん中に位置する大型フランチャイズという象徴性から、人気ドラマでも紹介された名所だった。tvNのドラマ『応答せよ1994』の主人公ヘテとサムチョンポがビスケットを40個も注文し、女子大生たちと「合コン」をした場所がKFC1号店だ。1990年代の同店舗は、鐘閣(チョンガク)駅と鍾路3街駅の間のタプコル公園交差点という中心商圏に位置する若者たちの名所で、宣伝効果の高い「アンテナ店舗」として象徴性も大きかった。

ソウル鍾路区貫鉄洞の青年の通りに面する建物に空き店舗を示す紙がはってある。衣類ブランド「バンバン」の建物として有名だったこの場所は5年以上空き店舗のままだ=オク・キウォン記者//ハンギョレ新聞社

 しかし2010年代以降は周辺商圏が拡大したことで、鐘路2街は次第に衰退していった。向かいの鐘路3街側の益善洞(イクソンドン)が若年層のデートスポットとして人気となったほか、反対側の鐘路1街(イルガ)と光化門(クァンファムン)周辺の新築オフィスビルにできた飲食店は、サラリーマンの昼食需要を引き寄せた。新興商圏の間に挟まれた鐘路2街の「青年の通り」周辺は、遊興施設や酒を出す飲食店を始めとする大型フランチャイズ店のみが生き残った特色のない街となった。

 コロナ禍の長期化は鐘路2街商圏の没落を加速させた。鍾路3街から2街にかけて並んでいた留学予備校や語学学校が次々と閉校したため、残っていた生徒たちの往来も途絶えた。周辺の会社員たちの飲み会も制限され、酒を出す飲食店の売上げは地を這った。7年間にわたり食堂を経営してきたKさん(56)は「毎年お客さんが減るのを体感していたが、コロナ禍が深刻な時は夕食時にもお客さんがいない日もあった。今は従業員も置かず夫と2人で商売しているが、次のテナントを募集しても見つからないので、店をたたむこともできない」と話した。

鐘閣駅4番出口の目の前の4階建てのビルの全ての階に、テナント募集の張り紙が出ている=オク・キウォン記者//ハンギョレ新聞社

 実際に鐘閣駅の4番出口から鐘路2街交差点まで350メートルほど大通り沿いを歩いてみいると、2軒に1軒でテナント募集広告が見られるほど閑散としている。待ち合わせの場所だった鐘閣駅4番出口のすぐ前の4階建ての建物にいたっては、丸ごと空いている。2016年12月まで衣類ブランド「バンバン」が営業していた「青年の通り」の入り口にあるビルの1階は、5年以上も空室の状態が続いており、清渓川(チョンゲチョン)沿いにあるコーヒーフランチャイズ「ハリス」が抜けた4階建てのビルも、1年以上も扉が閉まったままだ。

 鍾路2街で不動産仲介業(テシン不動産)を営む公認仲介士のイ・ファヒョンさんは「鍾路商圏なので権利金もあり、賃料も比較的高いため、相談の問い合わせはあるが、実際に契約して店舗オープンに至るケースは珍しい。観光特区に指定された青年の通り一帯には業種制限のある建物もあるので、多様な業種の起業にも制約がある」と語った。

オク・キウォン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/economy/consumer/1025818.html韓国語原文入力:2022-01-03 17:59
訳D.K

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