この3月は、東日本大震災と福島第一原子力発電所事故からちょうど10年、新型コロナウイルスの感染拡大が始まってからちょうど1年の節目である。震災や原発事故の教訓を学ぶことができたのか、未知のウイルスに的確に対応できたのかを振り返ってみると、日本は先進国ではなくなりつつあることを痛感する。日本の政策決定者は史上最悪レベルの原発事故から何も学ばなかったからこそ、ウイルス対策でも失敗を重ねている。2つの問題は密接につながっている。
10年を機会に原発事故を検証する多面的な報道が行われた。福島第一原発の2号機と4号機が爆発していたら、東京圏も放射性物質の汚染で居住不可能となり、数千万の人間が移住を余儀なくされるところだった。そのような破局が起こらなかったのは、本当に偶然が重なったからであることが明らかにされた。この事故が起きた最大の理由は、地震学者が巨大な津波への対策を求めた警告を発したにもかかわらず、政府も東京電力もそれを無視して、防波堤を築くとか、非常用電源を高い場所に移すなどの対策を取らなかったことであった。原子力発電をめぐる政策決定は、電力業界、それを監督する経済産業省、及び原子力工学の専門家からなる閉じたコミュニティ(日本語ではこれを原子力ムラと呼ぶ)であった。多面的な議論を自由闊達に行う民主主義的過程が不在だったことこそ、大事故の根本的な原因である。
新型コロナ対策についても、医療政策分野のムラが対策を取り仕切り、日本は国際水準に大きく遅れた。日本はPCR検査を抑制してきた。検査で感染が明らかになった無症状の人々が医療機関に押し寄せれば、医療体制が崩壊するというのがその理由とされた。徹底した検査と隔離で感染を抑え込んだ韓国や中国とは対照的な対策である。(日本でも、和歌山県は知事と技術職員の賢明な判断で徹底した検査によって感染を封じ込めることに成功した。)医学者からは政府の方針に対する批判もあったが、厚生労働省の技術系の官僚と一部の研究者が政策を取り仕切った。この構図は原発政策と同じである。現在、年初来の感染拡大は収まりつつあるが、減少傾向は止まっており、変異株による第4波の感染拡大が憂慮されている。
現在50歳以上の日本人は多かれ少なかれ、日本はアジアで最初に近代化した、敗戦の後も勤勉な国民の努力で奇跡的な経済復興を遂げた、科学技術で世界一流などのプライドを持っている。しかし、政策の現状を見れば、これでも先進国かと疑問を感じざるを得ない。ワクチンを自前で生産できず、輸入についても他国に後れを取っている。感染者との接触を確認するスマートフォンアプリ、COCOAは不具合が長期間放置され、使い物にならなかったことが明らかになった。政府からアプリの開発を受注した会社は業務を再委託し、受託した下請け会社はさらに再再委託していた。国民の生命を守るための事業でありながら、実施体制は極めて無責任である。
大学人として一言追加すれば、大学における研究を取り巻く環境は悪化する一方である。国立大学の予算は年々削減されてきた。大学の常勤ポストは減り、若者にとって研究者という職業を選ぶことには、巨大な経済的リスクが付きまとう。科学技術の水準低下は必然の結果である。
現状をいかに立て直すか。1960年代から80年代までの栄光の記憶を捨て去り、日本の政策決定システムの欠陥を直視することから始めるしかない。この点は日本における政治的対立構図とも関連する。進歩派は日本の欠点を是正するための変革を提案する。女性の権利を尊重すること、教育において子供の自由を確保すること、行政の透明化と多元的な議論を可能にすることなどがその要点である。保守派は日本の欠点を批判することには愛国的でないと反発する。だが、真の愛国心とは、自国の失敗を直視して、誤りを繰り返さないよう変化を起こす態度である。愛国心が現状肯定を意味するなら、日本の将来は暗いままである。
山口二郎|法政大学法学科教授