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白血病の娘を見送って13年、サムスンから謝罪の手紙を受け取ったが…

登録:2020-04-24 09:46 修正:2020-04-24 11:32
故ファン・ユミさんの父親ファン・サンギさんが2017年3月6日午前、ソウル龍山区漢南洞のリウム美術館前で闘病時代の娘の写真のプラカードを持ってサムスン労災死亡労働者追悼の日の行進を準備している=イ・ジョンア記者//ハンギョレ新聞社

 今月21日、サムスン電子半導体工場で働き、急性白血病にかかって死亡したファン・ユミさんの父親、ファン・サンギさん(半導体労働者の健康と人権守護(パンオルリム)代表宛に、一通の手紙が届いた。サムスン電子のキム・ギナム代表取締役が送った謝罪の手紙だった。

 「故ファン・ユミさんと家族の皆さまが長い間苦しまれたのに、サムスン電子はこれに対しもっと早くから誠意をもってお応えすることができませんでした。その痛みをともに感じ、一日も早く解決するための努力が足りませんでした。(中略)苦痛を負ったすべての方々に深くお詫び申し上げます」。2007年3月6日にユミさんが亡くなって13年目にして、ファンさんがサムスン側から届いた初めての謝罪の手紙だ。パンオルリムに関連する被害者たちに同一の手紙が発送された。

 もちろん今回の手紙がサムスン側の初めての謝罪ではない。2014年5月、サムスン電子のクォン・オヒョン当時副会長(半導体部品部門長)が初めて公式謝罪をして頭を下げた。「弊社事業所で働いていた社員たちが白血病など難病にかかって闘病中であり、その方たちの一部は亡くなった。残念で胸の痛むことであり、この問題を解決すべきだったのにそうできなかったことをお詫びする」。だが、サムスン電子の半導体白血病被害者の会であるパンオルリム側は謝罪を受け入れなかった。「謝罪内容に半導体と白血病の因果関係を認める内容がない」というのが理由だった。ソウル瑞草洞(ソチョドン)のサムスン電子社屋前で、パンオルリムの長期座り込みが始まった。

ファン・ユミさんの父親、ファン・サンギさんが今月23日にフェイスブックに掲載した、サムスン電子から受け取った半導体白血病関連の初の「個別謝罪文」=ファン・サンギさん提供//ハンギョレ新聞社

 長い対立に終止符が打たれたのは2018年11月23日、公式謝罪を含む調停委員会の仲裁判定を双方が受け入れることで合意し、履行協約を結んでからだ。調停委員会の勧告を受け、サムスン電子の謝罪文も発表された。「サムスン電子はかつて半導体とLCD事業所で健康有害因子による危険について十分かつ完璧に管理できませんでした」という内容が新たに追加された。白血病発生の因果関係の認定ではなく、部分的な管理責任を認めた表現であり、苦労して折衷案ができた結果だ。仲裁案が受け入れられ、2015年10月7日に始まり1023日間続いていた座り込みも終わった。

 公式謝罪から17カ月後に被害者たちに個別謝罪文が発送された理由について、サムスン電子側は「仲裁協約では、パンオルリムに関係する被害者に対する補償を終えた半月以内に被害者たちに個別謝罪文を発送することにした。最近彼らに対する補償が終わったため、個別に謝罪文を送った」と明らかにした。仲裁協約が個別謝罪文の内容まで明記したわけではないが、今回の個別謝罪文の内容は以前と変わらない。2018年当時に「十分ではないが、サムスン電子の誓い」として受け入れるとしたファン・サンギさんのわずかに残っていた期待も崩れた。

 ファンさんは23日、ハンギョレの電話インタビューで、「ぼんやりした謝罪だ。受け取る立場としては謝罪なのかどうか明確なことが一つもなく、戸惑うばかりだ」と語った。ファンさんは「謝罪すると言ったが、どんな有害因子なのか、その成分と労働者の死亡との因果関係は何か、また産業安全管理をおろそかにした責任者に対する処罰はどうなるのかなど、具体的な言及がない」と、謝罪の真正性の足りなさを重ねて指摘した。個別謝罪文の発送で仲裁協約による支援補償と謝罪の手続きは終わったが、度重なる謝罪も被害者遺族の心を動かすことはできなかった。

 ファンさんにサムスン側の謝罪の手紙が届いた4月21日は、亡くなったユミさんの35歳の誕生日だった。

ク・ボングォン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/economy/economy_general/941836.html韓国語原文入力:2020-04-24 06:08
訳C.M

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