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済州4・3、70年ぶりに“罪”の首枷から解放された

登録:2019-01-18 07:01 修正:2019-01-22 14:36
不当な公権力によって故郷を離れ、無実の罪で収監された済州4・3生存元受刑者18人が、70年ぶりに事実上の無罪を認められた。今月17日午後、済州地裁で裁判所の控訴棄却判決を言い渡された元受刑者18人が万歳を叫んでいる=済州/キム・ボンギュ記者//ハンギョレ新聞社

 「これまでご苦労様でした。裁判所の立場から、そう申し上げたいと思います。主文、被告人らに対する公訴をすべて棄却する」

 17日午後1時41分、済州市済州地裁201号の法廷。チェガル・チャン部長判事の「公訴棄却」という言葉に首を傾げていたヤン・グンバンさん(86)は「無罪も同然だ。我々が勝った」という弁護士の説明を聞いてから、やっと明るい笑顔を見せた。「ありがとうございます。ありがとうございます」。傍聴席からは拍手が巻き起こった。傍聴席の一番前の席に座って、判事の言葉に耳を傾けていたオ・ヒチュンさん(86)の目頭も熱くなった。オさんは無言のまま、白いハンカチで涙を拭っていた。「大きな荷物を背負わされてきたが、一瞬で解放され、涙がこみ上げた。嬉し涙でもあり、無念を晴らした涙でもあり…」。オさんは裁判後に開かれた記者会見で、他の被害者たちと一緒に万歳を叫んだ。

 同日、済州地裁刑事2部(チェガル・チャン裁判長)は1948~49年の済州4・3当時、内乱罪などで軍法会議(軍事裁判)に引き渡され、懲役1~20年の刑に服した元受刑者18人が申請した再審裁判で、公訴棄却の判決を下した。彼らの犯罪事実が何かを具体的に明示しないまま裁判にかけられただけに、公訴提起そのものが無効だということだ。当時、ヤンさんらは有罪判決を受けた後、故郷の済州を離れ、全国の刑務所に分散収監された。

 裁判所は公訴提起手続きを無効と判断した理由として、「公訴事実の不特定」と「軍法会議への付託手続きの未順守」を挙げた。裁判所は「受刑人の名簿や軍執行指揮書など関連文書には、罪名と適用法律が記載されているだけで、当時どのような公訴事実で軍法会議にかけられることになったかを確認する控訴状や判決文がない。被告人らは一貫して自分たちがどのような犯罪事実で裁判を受けたのか分からないと供述している」と指摘した。特に4・3当時、軍法会議が短期間で2530人に有罪判決を下したことを考えると、きちんとした捜査や裁判はなかったか不可能だったと判断した。裁判所は「当時25日間に12回行われた裁判で871人、15日間で10回行われた裁判で1659人が裁判を受けた。短期間にそのような多数の人を集団的に軍法会議に付託し、予審調査や起訴状謄本送達手続きがきちんと行われたとは考えにくい」と述べた。さらに「軍当局が当時、警察の意見を受け入れ、判決内容を事前にまとめたものと推定される」という「済州4・3事件真相調査報告書」の内容を引用した。

 生存する元受刑者たちは同日正午ごろから済州地裁ロビーに集まってきた。高齢で体が不自由な元受刑者たちは杖をついたり、車椅子に乗って裁判所に来た。療養病院に入院しているチョン・ギソンさん(97)とヒョン・チャンヨンさん(87)は、子どもたちが代わりに裁判に出席した。宣告時間が近づくと、明らかに緊張した表情を見せていた元受刑者たちは、約10分で判決公判が終わると、満面の笑みを浮かべて済州地裁の前に立った。彼らの前に横断幕が広げられた。「私たちはもう罪人ではない」

 「(海女たちが使う)網の中にずっと閉じ込められ、やっと解放されて、本当に晴れ晴れとした気分です。前科の記録も消え、おばあさんが元受刑者だった跡もなくなって、それが一番すっきりしました」。車椅子に座ったキム・ピョングクさん(89)が花束を持って明るく笑った。「無実の罪であらゆる拷問を受けました。今日のような裁判もなく、収監されました。それが胸のつかえになっていましたが、無罪判決を言い渡されました。これ以上何も言う事はありません」。パク・ドンスさん(86)が言葉を詰まらせた。

 裁判所は昨年9月、再審開始決定を下しており、検察はこれを“不服”としなかった。イム・ジェソン弁護士(法務法人ヘマル)は「当時の軍事裁判の総体的な不法性を確認したという点で、無罪判決よりはるかに進展したものだ。国家損害賠償請求訴訟を起こし、ほかの12人の生存している元受刑者に対する再審請求も検討する」と明らかにした。

済州/コ・ハンソル記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/878810.html韓国語原文入力:2019-01-17 20:45
訳H.J

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