大統領と政府は、この強大な経済権力と慣行化された不公正の海の上に浮いている小さい船程度なのかもしれない。しかし、選出された権力にできなければ、誰ができるだろうか?国民の70%が依然として文在寅(ムン・ジェイン)政府を支持している理由は、選出された権力の力で経済権力を制圧してほしいという期待の表現だ。
大韓航空とアシアナ航空の職員が、光化門(クァンファムン)広場でデモを行った。本当に昔だったら想像もできなかったことだ。彼らが会社から受けた不当な待遇が、どれほど深刻だったかを見せる事件に違いない。彼らは仮面をかぶってデモを行ったが、私たちはその理由をよく知っている。2016~2017年のろうそくデモの時に仮面をかぶって路上に出てきた人々はいなかった。被雇用者にとって雇用者は、大統領や国家情報院よりさらに恐ろしい。
ところが雇用者が独占大企業の世襲オーナーならば、被雇用者、下請け企業にとって彼の権力はほとんど閻魔級だろう。大韓航空のチョ・ヤンホ会長と二人の娘に対する逮捕状請求はすべて棄却された。検察の令状請求に多少の無理があったのかもしれない。しかし、労働者を拘束する時に判事がこのように拘束要件を忠実に検討した事例があっただろうか?中央労働委員会で不当労働行為と認められる雇用者は5%に過ぎず、有罪の99%も罰金刑だという。韓国で不正会計などで市場秩序をかく乱し、株式投資家をもてあそんだ雇用者や企業が退出したことがあったか?それでも「市場経済」は憲法的価値なのか?
復職を待っていた双龍(サンヨン)自動車の労働者の自殺者が30人に達し、建設下請け業者の社長が焼身自殺をした。彼らはなぜそうしたのだろうか?大企業の“横暴”を前にしてこれ以上耐えられないと思ったためではないか?すなわち、財閥大企業がいくら不当な問題を起こしても、それを是正できず、自身の無念を晴らしてくれる検察も裁判所も政党もないと思ったためだろう。これもまた航空会社職員の仮面デモのような現象だ。すなわち、企業権力は政治権力の上にある。
サムスンのトップ、イ・ジェヨンの控訴審で彼を釈放した判事は、イ・ジェヨンが朴槿恵(パク・クネ)大統領の強要を受けた被害者と見た。相変らず政治権力が“甲”であり、企業は“乙”という論理だが、おそらく朴正煕(パク・チョンヒ)や全斗煥(チョン・ドゥファン)政権時期ならば、この言葉は正しいかもしれない。「優秀な頭脳」を誇る判事が、時代の変化について行けないのではなく、今の実質権力をきわめてよく知っていると見なければならないようだ。すなわち、私たちの社会に財閥大企業と建物オーナーの横暴が蔓延した理由は、彼らにきわめて有利になっている諸般の法、政策が施行され、彼らがそうした法すら守らなくとも、ほとんど処罰されなかったり、きわめて軽微な処罰だけを受ければ済むためであり、政府、裁判所、そして報道機関と大多数の法学者と経済学者が、それを擁護し続けているためだろう。
韓国で財産権と経営権は神の戒律に近く、それを最終的に確認するのが最高裁(大法院)と憲法裁判所だ。ところが、韓国の司法府の信頼度は26%前後で、経済協力開発機構(OECD)でほとんど最下位であり、政府と政界に対する信頼度もほとんど同水準だ。国民が考える正義、公正の感情は、司法府や政界の考えとは完全に違う状況だ。国民の多くは大企業の寄与も認めるが、彼らの横暴とそれを擁護する司法府や政界はきわめて不当と考えている。彼らは普段は黙って不満を抱いて生きているが、実際に自身がどん詰まりに追い詰められた時には極限行動をとる。
2016~2017年のろうそくデモで表出された国民の要求を一言に要約すれば、“公正”だった。彼らが考える公正は、すなわち強者の横暴、特権、不当利得をなくすことだ。就職市場、路地商圏、中小企業の技術開発、租税制度など様々な領域で政治経済的強者が市場の力を持っていて、土地を独占しているという理由だけで富を得てきた慣行を矯正してほしいということだった。今、市中のお金はすべて不動産に集まっていて、庶民は使うお金がなく、自営業者はそろって没落している。ところが最近の不動産税制改編は挫折感を加えるだけだった。
もちろん大統領と政府は、この強大な経済権力と慣行化された不公正の海の上に浮いている小さな船程度かもしれない。しかし、選出された権力にできなければ、誰ができるだろうか?国民の70%が依然として文在寅政府を支持している理由は、選出された権力の力で経済権力を制圧してほしいという期待の表現だ。経済活性化は政治的意志だけでできることではないが、強者の横暴の根絶、不労所得の還収、経済的弱者の自力化のための諸般の措置、社会安全網の拡大は政治の領域だ。そして、こうした世襲資本主義、経済強者の蔓延した横暴を矯正せずに革新経済は可能だと思わない。
文在寅政府は今岐路に立っている。