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祖国解放の歓喜を海が飲み込んだ…壱峻島に眠る朝鮮人131人の遺骨

登録:2018-06-01 09:37 修正:2018-06-05 13:49
先月31日、長崎県壱岐島の天徳寺で朝鮮人犠牲者131人の魂を供養する法要式が行われた//ハンギョレ新聞社

 「本来は母国に帰って幸せな生活をしなければならなかった人たちでした。いま故郷に帰れないならば、いったん遺体が漂流したここに安置するのがよいと思います」

 31日、日本の最西端長崎県壱岐島にある小さな寺の天徳寺で、1945年解放直後、故郷へ向かう船が沈没し空しく死亡した朝鮮人の遺骨131柱を祀った法要式が行われた。曹洞宗宗議会の池田大智議員は「大韓民国人芦辺港遭難者遺骨安座法要式典」の挨拶で「朝鮮人遺骨がいつか故国に帰ることを祈る」と話した。日本の厚生労働省は倉庫から朝鮮人遺骨131柱を白い箱39個に分けて入れて、この日島に移した。壱岐島は韓国人にとってなじみのある対馬よりもっと日本側寄りの朝鮮海峡の島だ。

 1945年8月15日の解放後、日本に住んでいた朝鮮人のうち140万人が朝鮮半島に帰還した。船が出発する福岡博多港と山口県下関港に一日1万~2万人ずつ集まった。帰国用の船便ははるかに不足していた。少なからぬ朝鮮人が故郷に行くために業者に金を与え、粗末な「闇船」に乗った。

31日、長崎県壱岐島の天徳寺で行事の参加者らが朝鮮人犠牲者の遺骨を移している//ハンギョレ新聞社

 小さな木船にぎっしり乗って故郷に向かった彼らを待っていたのは、台風だった。1945年9月17~18日に枕崎台風、10月11日に阿久根台風という大きな台風が九州地方を襲った。難破した船で犠牲となった朝鮮人の遺体は、潮流に乗って壱岐島と対馬の海岸に押し流された。地域住民が海岸に放置された遺体の一部を収拾して埋葬した。30年あまりが流れる間に、遺体の存在は世界で徐々に忘れられていった。

壱岐島の位置//ハンギョレ新聞社

 壱岐島などに放置されていた朝鮮人の遺体の存在が注目されるようになったのは、深川宗俊という日本人のためだ。広島三菱重工業で朝鮮人労働者の労務管理をした深川氏は、広島駅で見送った朝鮮人労働者264人全員が帰国できなかったという事実を知り、行方を追跡してきた。深川氏は壱岐島に埋葬された朝鮮人の遺体が広島三菱重工業の強制徴用被害者たちと知り、1976年に埋葬地を掘り起こした。深川氏の予想と異なり、遺骨からは会社のバッジなど三菱重工業との関連性を示す手がかりは出なかった。その代わり、子どもを抱きしめた母親の遺体などが見つかった。続いて日本政府は1983年、自主的に対馬で朝鮮人遭難者の遺骨を発掘した。日本政府が自ら朝鮮人遺骨発掘に取り組んだ非常に珍しい事例だった。

 この日再び壱岐島に帰ってきた遺骨は、このとき発掘された壱岐島の遺骨86柱と対馬の遺骨45柱だ。これらの遺骨はこれまで日本の寺4カ所を巡り巡って2003年に金乗院に安置された。最近金乗院の施設の改善補修工事の関係でこれ以上の保管が難しくなり、壱岐島への返還を粘り強く要求してきた壱岐島査察天徳寺への帰還が現実化された。

 厚生労働省は当初、遺骨を厚生労働省の保管室に一時移した。 しかし、天徳寺と'遺骨返還宗教者〮市民連絡会'が立ち上がると遺骨を朝鮮半島に近いこの寺に安置することに同意した。天徳寺の西谷徳道住職はハンギョレに「一日も早く遺骨が故国に戻れるよう処置することを韓国と日本政府に求める」と話した。

 今も壱岐島と対馬には少なからぬ朝鮮人の遺骨が発掘すらされないまま眠っていると推定される。「壱峻日日新聞」を運営しながら長い間この問題を追跡してきた種田拓氏は、「1976年の発掘地近くのさまざまな状況を考慮すると、朝鮮人遺体76柱が埋められたところがもう1カ所あると思う」と話した。種田氏が指摘した埋葬推定地の近くには現在「大韓民国人慰霊碑」が立っている。韓国政府が直接連れ帰った遺骨は、東京の祐天寺に保管されていた朝鮮人軍人・軍属の遺骨423柱しかない。

 韓国政府の無関心の中、天徳寺は故郷を目の前にして死亡した朝鮮人たちの魂を供養するため、20数年間慰霊祭を務めてきた。1976年に壱岐島の朝鮮人遺骨発掘に参加した正木峰夫氏は「韓国と日本政府は長年『今は困る』と言ってきた。この遺骨の最終目的地は天徳寺ではなく、彼らの故郷だ」と話した。

壱岐島/文・写真 チョ・ギウォン特派員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/847163.html韓国語原文入力:2018-05-31 22:49
訳M.C

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