その日以来、頭の中を駆け巡っている言葉がある。朴大統領が7月21日、国家安全保障会議でしたいくつかの話だ。
「ここにいらっしゃる皆さんも召命(王が臣下に下す命令)の時間まで、義を通すことには非難を避けず、苦難を友として堂々と所信を守ってください」
「召命の時間」、「義を通す」、「苦難」とは聞き慣れない表現だ。召命は人が神の仕事をするため神の御呼びを受けることを指す。義を通すという言葉も聖書によく出てくる。義人が10人いればソドムとゴモラは滅亡しなかっただろう。
マスコミは朴大統領の言葉がウ・ビョンウ民政首席の信任を再確認したものと解釈した。チョン・ヨングク報道官はそれを否定している。「国家安保の安全を守らねばとして召命と言った」という。そうだろうか?国家安保が召命、義、苦難と何の関連があるというのか。いくら聞き直しても牧師の説教に思えてならない。
<味方には善意という寛大な心情倫理を適用し、相手には厳格な法律の規定を示すだけでなく、はなはだしきは悪意があるという前提で見る場合が少なくない。こうした考え方の背後に潜んでいるのは善悪二分法の白黒論理だ。>
一時は朴大統領を補佐したユン・ヨジュン元環境部長官が2011年に著書「大統領の資格」で指摘した内容だ。今の朴大統領を予想していたかのようだ。
朴大統領の宗教的な考え方はどこから来るのだろうか。
それはまず、死であろう。彼女の人生にはいつも死が見え隠れする。母が銃に撃たれて亡くなったのが22歳、父が銃に撃たれて亡くなったのが27歳の時だった。彼女自身も顔をナイフで切られ死の危機に瀕した。2007年に出版した自叙伝「絶望は私を鍛え、希望は私を動かす」の序文で2006年の襲撃事件を詳細に記している。
<これから先の人生は天が私にくださったおまけと思った。まだ私には言いたいことが残されているため、続けることができた命が与えられたと思えば、これ以上失うものも、これ以上欲を出すこともないという気持ちが自然に湧いてくる。長いといえば長く、短いといえば短い私の人生は2006年5月に第1幕を降ろした。>
実に悲壮だ。余生は課題だというのだから。
次に、チェ・テミン牧師(1912~1994)の存在がある。彼は牧師と呼ばれたが按手を受けたことがない人物だった。1974年に母親を失った傷心の朴大統領に接近した。「国母」を追い風に1975年、大韓救国宣教会(救国奉仕団、新しい心奉仕団)を結成して総裁を務めた。幾多の不正疑惑がそこで起きた。彼は帝政ロシア末期のラスプーチンに比較された。朴正熙(パクチョンヒ)元大統領暗殺後も、彼は朴大統領を支援した。朴大統領は「チェ牧師が私の困難な時期を助けてくれたことを感謝する」と述べたことがある。2014年末の秘線(陰の実力者)国政介入疑惑を呼んだチョン・ユンフェ氏は彼の娘婿だ。チェ・スンシル氏が娘だ。
朴大統領が自分の側近に防衛的な姿勢であるのもチェ牧師のためだとする説がある。
「中央情報部がチェ・テミン牧師の不正を収集して朴正熙大統領に報告した。朴正熙大統領は金載圭(キムジェギュ)部長の関係者、そして朴槿恵大統領まで呼び、直接調査をした。直接尋問をしたのだ。ところが中央情報部はこの席で、不正の実体を十分に立証できなかった」
当時の大統領府関係者の証言だ。悔しさがトラウマとして残ったのだ。朴大統領が大統領府3人組とウ・ビョンウ民政首席秘書官などに対する批判を自分に対する攻撃と考える理由は、トラウマのためである可能性がある。
心配になってしまう。世俗の政治指導者が宗教的思考をすると、どれほど恐ろしいことが起きるか歴史は証明する。政治的反対者を絶対悪と主張して命を奪った。宗教の名で犯した野蛮である。もちろん朴大統領がそんなことをするはずがない。だが、善悪二分法の思考は、あまりにも危険だ。
対話と妥協は政治の核心だ。宗教で悪魔との対話と妥協は罪悪だ。自分と考えが違う与党非主流、野党、マスコミ、国民が朴大統領には悪の勢力に見え始めているのではなかろうか。もしそうなら大変なことになる。
5日間の休暇を終えれば、朴大統領は再びテレビによく姿を現すだろう。彼女は自分が利口でゆっくり仕事をすると考えているようだ。実は反対なのに。朴槿恵大統領を見ていると、ぞっとする時がある。なぜなのだろうか。
韓国語原文入力:2016-07-27 21:34