キム・ハンギル議員(前共同代表)の離党により、総選挙を視野に入れた野党の競争構図の枠組みが出来上がった。文在寅(ムン・ジェイン)代表の「共に民主党」と、安哲秀(アン・チョルス)議員とキム・ハンギル議員の新党が、第1野党の座を巡り果てしのない対決を始めることになる。まだ数人の議員がさらに離党するだろうし、チョン・ジョンベ議員とパク・ジュソン議員の新党の影響も少なくないが、大きな構図は出来上がった。
第一野党の座を巡り正面勝負
全羅道の民心が天秤となる
共に民主党、人材発掘に総力
新党、首都圏で勢力拡張狙う
総選挙まで対決が続けば
支持層が離れ共倒れに
候補単一化要求強まる見込み
キム議員は3日、離党する際に「寿命が尽きた二大政党中心の政治の敵対的共生関係を崩していかなくてはならない」と述べた。彼の右腕とされるチェ・ジェチョン議員も離党時に「政治的多元主義をベースに憲法上の新しい政党秩序を構築する」と明らかにした。共に民主党(進歩)、新党(中道)、セヌリ(保守)が横並びする多党構造を追求する。キム議員に近い議員は「キム・ハンギル議員は第3地帯で両極端の勢力を排除し、セヌリ党の合理的な人材まで含み新しい政治勢力を作ろうとしている」と話した。
しかし二つの野党勢力の共存は不可能だ。総選挙が迫られる瞬間にすべての責任を負わねばならない状況になるからだ。与党との競争より野党どうしの争いがより激しくならざるをえない。
野党では過去に成功したモデルが2種類ある。1997年の大統領選挙と2002年の大統領選挙だ。 1997年が「湖南(<ホナム>全羅道地域)+忠清道」を基本とするなら、2002年は「湖南+嶺南(<ヨンナム>慶尚道地域)改革勢力」が骨格となった。共に民主党は、2002年をモデルにするだろう。湖南と嶺南の改革勢力を一つにまとめあげた後、反セヌリ連合戦線を敷く戦略を推進するものと見られる。
これに対し安哲秀新党の路線は、金大中(キム・デジュン)大統領が創党した新政治国民会議が手本となる。1996年の総選挙では79議席を得る程度で終わったが、イ・ギテク総裁率いる民主党を15議席の小さな政党に追い込んだ経緯がある。その後、大統領選挙で地域等権論を打ち出し忠清道を基盤とした自民連と協調して大統領選挙で勝利した。
安哲秀新党も、まず湖南を根拠地とすることに注力するだろう。湖南でで優勢になれば、その風は首都圏にまで北上し、第1野党になる可能性が高まるためだ。差があるとすれば忠清道という地域的連帯の対象がないため、中道層票を集めるのに総力をあげなければならない状況だ。
二つのモデルは衝突する。湖南がその激戦地だ。湖南抜きにいかなる構図も成立しない。安哲秀新党は湖南の現役議員が中心だ。チョン・ジョンベ議員から「安哲秀議員側に行く議員の多数は総入れ替え対象じゃないのか」と批判されるが、最小限の党規模を備え、湖南の「反文在寅情緒」を育てるには有効だ。一方の共に民主党は、対抗馬となる新しい人材を探している。理念的には革新的色彩がより強化されるものと見られる。今まで一つに固まっていた湖南も、理念的・階層的分化が促進されているのだ。誰が湖南を主導するか文在寅と安哲秀が争うように、湖南の保守と進歩も競争を繰り広げることになるだろう。
野党圏の支持者が早目にどちらか一方に傾けば、野党分裂の後遺症は最小限に抑えることができる。しかし、現在二つの支持層間に刻まれた感情の谷はあまりにも深く、当分は力の均衡が簡単に崩れそうにない。最悪の場合、3月26日の総選挙候補者登録締め切り後も続くことになりかねない。
そうなれば両党が共倒れすることになり、野党圏支持者の間で候補単一化を要求する声が高まるだろう。要請を受け入れない党には支持者が「票で審判する」ことにもなる。中央党次元の連帯でなくても、選挙区単位次元での候補単一化も予想される。
とはいえ湖南での競争構図は解消されない可能性が高い。漁夫の利を得たいセヌリ党が存在しないためだ。「湖南競争、非湖南連帯」の基本構図が出来上がることになる。
韓国語原文入力:2016-01-03 22:03