朴裕河(パク・ユハ)世宗(セジョン)大教授の『帝国の慰安婦』を巡る議論がますます深まっている。日本軍慰安婦被害者の告発、裁判所の34カ所削除判決に続き、先月18日に検察は朴教授を慰安婦被害者に対する名誉毀損容疑で起訴した。さらに韓日両国で韓国検察の起訴が表現の自由を侵害したと批判され、朴教授を支持する知識人の声明が相次いで発表された。 一方、9日には研究者や活動家380人が『帝国の慰安婦』内容を批判し、朴教授と彼女を支持する研究者に対し公開討論会を提案した。
まず筆者は、国家が法の定規で市民や学者の表現・研究を断罪することに明確に反対する。 慰安婦被害者が被害者であり生存者として、証言と討論を通じてこの本の問題を明らかにして反論することが、慰安婦問題に対する一層真剣な社会的討論に進む代案と考える。 だが、被害者が直接パク教授を告発したという点で、今回の事案を国家権力による表現の自由弾圧とだけ見るのは難しいという点も考慮しなければならない。 検察起訴後、焦点が表現の自由問題に移り、本の内容に対する議論が後まわしにされている点が特に残念だ。
この本を読んでみよう(初版本が良いが、削除本でも論旨は同じだ)。パク教授は家父長制と貧困のために苦痛を受ける女性たちを騙して慰安婦として連れて行った朝鮮人業者の役割を詳細に示し、慰安婦強制動員が「我々(朝鮮)の内なる協力者」の犯罪だと強調する。 天皇や日本政府に「法的責任」を問うことは難しく、植民支配と関連した「構造的な罪」に「道義的責任」を問えると主張する。 この論理では、慰安婦制度が戦争犯罪であり、戦争を設計・指揮し慰安婦動員を指示した天皇と軍司令部が主犯として法的責任を負わなければならないという真実は消えてしまう。
さらに、本は日本の軍人と慰安婦の切ない愛と日常を強調して、朝鮮人慰安婦が日本軍と同志的関係にあり、日本軍隊に対して愛国意識を有していたと主張する。 だが、その根拠は貧弱だ。 日本のジャーナリスト千田夏光の『従軍慰安婦』に登場する日本人慰安婦の証言を朝鮮人慰安婦の愛国意識に飛躍させたり、日本人作家の小説に登場する内容を歴史的史料のように解釈する。
初期作『ナショナル アイデンティティとジェンダー』で日本の作家、夏目漱石の民族・帝国主義者、男性中心主義者の容貌を批判的に考察した朴教授は、その後韓国の抵抗的民族主義に対する批判に傾いた。『反日民族主義を越えて』『和解のために』『帝国の慰安婦』と続いた彼女の研究は、日本の良心的知識人と市民の努力にもかかわらず、韓国の市民団体によってナショナリズムが拡大し、慰安婦問題の解決がさらに難しくなったという認識を見せる。 「私が知っている日本は、再び戦争を起こして他国を植民化する程愚かではない。(中略)問題にしなければならないことは、彼らの見えざる“野心”ではなく、我々に見られる“歪曲”の方だ」(『反日民族主義を越えて』) 。このような観点に立てば、戦時性暴行であり国家暴力、反人類犯罪である慰安婦問題に対する日本の国家責任も、良心的市民の努力にもかかわらず日本の政治指導者が右傾化の道を疾走している現実も正しく見ることはできない。
論議の渦中に、さらに多くの人々が『帝国の慰安婦』を読んで討論に乗り出すことを提案する。 パク教授の公開的な討論も期待する。 表現の自由論議を越えて、韓国社会が韓日関係、植民地の歴史、日本の右傾化と両国の民族主義に対してより一層深く省察する良い契機になるだろう。