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[ニュース分析] 平和的デモの「平和」が意味するもの

登録:2015-12-11 02:01 修正:2015-12-12 07:19
「ペク・ナムギ農民の快復祈願と民主回復、民生再生のための汎国民大会」が開かれた5日午後、ソウル中区清渓川路で「覆面禁止法」に対する抵抗の意味を込めて美容マスクパックを付けた市民たちがプラカードを持って行進をしている=キム・ミョンジン記者//ハンギョレ新聞社

 「決められた集会場所と行進経路を外れた場合は、交通渋滞や事故を誘発する不法占拠に当たるが、これを全く守らず“平和的”行進としながら、むしろ警察のせいにする認識が広まっている。このためにもたらされる不便を、集会場所周辺を通るドライバーと市民の歩行者たちに押し付けているという事実は、眼中にもないようだ」

 先月30日、イ・サンウォン警察庁次長があるメディアに載せた寄稿文の一部だ。イ次長は「決められた法の枠組みの中で、互いを思いやる先進国集会文化ではなく、相手だけを責める我田引水な主張」だと付け加えた。しかし、世界の憲法裁判機関の協議体である「ヴェニス委員会」と、欧州安全保障協力機構の「民主制度と人権事務所」は、その見解に反論している。

 これら団体が2010年に発表した「平和的集会の自由に関する指針」によると、「平和的という表現は、手間を取らせたり(annoying)、気分を害する(give offense)行為、さらには第3者の活動を一時的に中断(hinders)あるいは妨害(impedes)、遮断(obstructs)する行為までも含めて解釈されるべきだ」と定義している。

 外国の集会・デモの管理政策を研究してきたキム・ギョンベク誠信女子大学融合保安学科教授は「多くの先進国の警察と市民は集会・デモにより、一定の不法と不便が発生するのは、『集会・デモのダイナミズム』という概念のもと、当たり前こととして受け止めており、これを甘受することを義務だと考えている」とし「不便の程度が容認できない程度だとしても、違法として規定するよりは対話を通じて不便の程度を調整する方法でほとんどの問題を解決している」と説明した。

 韓国も大きく変わらない。大法院(最高裁)は2009年7月に「未申告集会」を開催して3歩1拝行進で交通に不便をもたらした容疑(集示法と道路交通法違反など)で起訴されたプラント労組組合員の裁判で「集会やデモにより、やむを得ず、ある程度の騒音や通行の不便などをもたらされる場合があるため、参加していない一般国民もこれを受忍する義務がある」と判示した。ハン・サンヒ建国大学法学部教授は「憲法が集会・デモの自由を保障しているのなら、国民にそれに伴う不便を寛容するように義務が付与されたものと考えるべきだ」と説明した。

ホ・スン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-12-10 22:03

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/721415.html 訳H.J
第2次民衆総決起大会参加者が5日午後、ソウル広場で集会を終えペク・ナムギ農民が入院しているソウル大学病院に向かって鍾路1街交差点一帯を行進している=ニューシス

※平和的集会による不便めぐる判例と国際基準

 「集会やデモは、多数の人たちが共同の目的のために会合し、公共の場所を行進したり、威力や勢いを見せて不特定多数の人たちの意見に影響を与えたり、制圧を加える行為として、その会合に参加した多数の人たちや参加していない不特定多数の人たちに意見を伝えるために、ある程度の騒音や通行の不便などが発生するのはやむを得ないことであるため、集会やデモに参加していない一般国民もこれを受忍する義務があると言える」(大法院2009年7月23日)

 「1.集会の自由は、個人の人格発現の要素であると共に、民主主義を構成する要素であるという2重の憲法的機能を持っている。 (中略)集会を通じて国民が自分の意見と主張を集団的に表明することで、世論の形成に影響を及ぼすことから、集会の自由は、表現の自由とともに民主的共同が機能するのに不可欠な基本的な要素に当たる。

 2.集会の自由によって保護されているのは、「平和的」または「非暴力的」集会だけである。(中略)憲法は集会の自由を国民の基本権として保障することで、平和的集会そのものは公共の安寧秩序に対する危険や侵害として評価されてはならず、個人が集会の自由を集団的に行使することにより、必然的に発生する一般的な大衆の不便や法益に対する危険は、保護法益と調和をなす範囲内で、国と第3者によって受忍されなければならないということを、憲法自らを規定しているのである。

 4.集会の目的・内容と集会の場所は、一般的に密接な内的な連関関係にあるため、集会場所の選択が集会の成果を決める場合が少なくない。集会場所がすぐに集会の目的と効果について重要な意味を持っているため、誰もが『どのような場所で』自分が計画した集会を行うかを原則として自由に決められてからこそ、集会の自由が初めて効果的に保障されるものである。したがって集会の自由は、他の法益の保護のために正当化されない限り、集会場所を抗議の対象から分離させることを禁止する」(憲法裁判所2003年10月30日)

 「平和的集会だけが保護される。集会の主催者らの主張が平和的な意図を表明しており、手段が非暴力的であるとき、その集会は平和的集会として捉えられるべきである。『平和』という概念は、手間を取らせたり(annoying)、気分を害する(give offense)行為、さらには第3者の活動を一時的に中断(hinders)ありいは妨害(impedes)、遮断(obstructs)する行為までをも含めて解釈されるべきだ」(世界憲法裁判機関協議会ヴェニス委員会と欧州安全保障協力機構の民主制度と人権事務所の「平和的集会の自由に関するガイドライン」)

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