「記者さんはどうして私らよりも世の中の事を知らないの。私らは放送見ているだけでもこんなに知ってるのに」
先月25日午前、京畿道城南市盆唐区亭子洞のある団地の敬老センターで会った60代後半のイム・キョンジャ氏(仮名)は、最近チェ・ユンヒ前合同参謀本部議長が検察に召還された事件を、自分の豊富な時事関連の常識を披露しながら誇らしげに語った。イム氏を含め3、4人のお年寄りが、ちょうど「TV朝鮮」(事業者は朝鮮日報)を聞きながら話を交わしていた。 彼らが「世の中の出来事」に接するほとんど唯一の通路は「総合編成チャンネル」(地上波局並みの総合編成が許可される保守紙運営のケーブルテレビ局)の時事トーク番組だ。 昼間の時間はいつも「TV朝鮮」や「チャンネルA」(事業者は東亜日報)を点けているという。
地上波放送の空白時間帯に時事トーク番組を集中
高齢層が世の中を見る窓として
野党・労動界を批判する度に「そのとおり!」
八十を過ぎたというキム氏は「わしらのように(これといった仕事がなく)飯炊いて食べるのが仕事の人たちは、放送を見て世の中の事を知るんだ」と言った。また「地上波放送のニュースはあまりに短くて何を言ってるのか分からなかったけれど、総編(総合編成チャンネル)の放送は何人もの人が出てきて長く話すから理解しやすい」とも話した。 「快刀乱麻」(チャンネルA)、「パクテジャン」(「TV朝鮮」の時事トーク番組「イシュー解決師パクテジャン」)、「キム・スンニョンのニューストップテン」(チャンネルA)など、よく視る総編番組をずらりと並べ立てる。 イム氏は、「以前はニュースみたいな番組はほとんど見なかったけれど、総編ができてからは私ら、ちょっと“有識”になった」と言う。
何よりも総編は、彼らに「誰が悪い奴なのかを教えてくれる放送」だった。 “デモ”(先月14日の民衆総決起集会)を引き起こした人々、これを主導し曹渓寺(チョゲサ)に身を隠したハン・サンギュン民主労総委員長、彼らを庇う文在寅(ムン・ジェイン)新政治民主連合代表、大統領を調査するというセウォル号惨事特別調査委員会などが主に“悪者”として糾弾された。 これらの“悪者”が一人ずつ批判のまな板に載せられる度に、老人たちは「そのとおりだ!」「そうだ!」と、積極的に同調した。
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「スズメをキジだと言い続ければキジになってしまうように…」
これと言って見るものもない平日の昼間
退屈しのぎに見ているうちに日常化
「絶対知らなきゃならない内容ではないが
聞こうとしなくても耳にすうっと入って来るから…」
「総編は一方に偏向しており
地上波は批判も視点もない」
地上波が総編のフォーマットをコピーも
ジャーナリズム下向平準化の恐れ
「放送が政府・与党側に偏っているとは思いませんか」と尋ねると、彼らは強く否定した。キム氏は「何人も出てきて話すから、放送は特に偏るようなことはない。野党性向の人たちが出てくれば、いつも否定的な話、足を引っ張るような話ばかりするから聞きたくなくなるだけだ」と言った。イム氏は「私らは与党側でも野党側でもない無党派だ」と言い、「放送で誰が悪い奴なのか教えてくれれば、私らのようなアリ部隊は選挙でそういう人たちに投票しないようにすればいいんだ」と言った。 総編はここの老人たちにとって、世の中を見る窓であり分かりやすい学習書であった。そして右側ではなく“中心”だった。
先月24日午後2時半頃に訪ねたソウル鍾路区鐘路3街近くのある食堂。壁に取り付けられた大型テレビからはチャンネルAの時事トーク番組が流れていた。 店の“チャンネル選択権”を握っているという事業主のシン氏(56)は、 「この時間帯にはいつもこの番組をつけて置く。これが終わればMBN(事業者は毎日経済新聞)に変えて、夕方6時になれば「6時、我がふるさと」を皮切りに地上波放送を主に見る」と話した。 「昼の時間帯には他のチャンネルに見るものがないし、時事番組をつけて置く方がいいので総編を見る」という。 「ニュースをつけてくれ」という客の注文も多くて、そんなチャンネル選択に一役買っているとも話す。
シン氏は総編の時事番組について「地上波ニュースより現実的で直接的だ」として、甘い点数を与えた。「地上波は何と言っても公営放送だから、言うべきことを全部言えない感じがする。政府批判は見当たらないし、政府が言うことをただそのまま聞かせてくれるといったレベルだ」と言った。 一方、総編は「どんなテーマでも手加減なく話し、その中にしんらつな批判がある」と話す。 例えば選挙があれば、地上波ニュースでは現実に存在する地域的状況等をあからさまに言ったりはしないが、総編は誰がどこに出馬して、どんな背景があるのかなどを細々と伝えてくれるというわけだ。
その一方でシン氏は「総編が一方に偏向している」という指摘にも同意すると言った。 「非常に強い表現で一方をしんらつに攻撃するが、そういうふうにすれば相手を“アカ”に仕立てやすいじゃないですか。 だけど、今どき“アカ”なんているだろうかという気がすることがあります。私が世の中をよく知らずにいるのではないかという気もするし…」。シン氏は今の世の中は「進歩(革新)」と「保守」ではなく、「中道保守」ともう少し極端に進んだ「完全保守」に分けられると見る。 「完全保守の人たちが総編にたくさん出演して無理な主張を繰り広げるのは少し改善して欲しいと思う」とも言った。 一方、地上波放送については「何の批判も視点もない政府放送のようだ」と批判した。 シン氏にとって、総編は偏向的ではあるが言うことは言う批判言論だった。
同じ日の午後5時頃に訪ねたソウル駅近くのある理容室では、MBNの時事トーク番組を点けていた。 50代の女事業主イ・ミギョン氏(仮名)は「事件事故など世の中の動きに関する話がたくさん出てくるので、主にこの番組をつけておく」と言った。 同じ時間帯に地上波には見るべき番組があまりないということも理由の一つだった。 政治・時事、芸能、事件事故など多様な主題についてやりとりする番組が大部分だが、自分の主な関心事は事件事故の方だと言った。 政治関連イシューにはあまり関心がない一方で“生活情報”に関心が高いというわけだ。 「詐欺事件のようなものは『今度は私が被害者になるかもしれないな』という気がするじゃないですか。 そういう時どう対処すべきかまで細かく話してくれるからいいですよ。 前職刑事や弁護士のような人たちが出てきて話してくれるから信頼もいくし…」
放送で得た情報は友人との対話にもかなり役立つと言う。イ氏は「放送に出てくる内容は必ず知っているべきことではないけれど、努力しなくても耳に入って来て分かるようになるので、いずれにせよ良いことではないか」と言った。 総編ができる前は主にラジオをつけていたと言う。 イ氏は「つけておけば勝手に流れてくるという点で似ている」として「そう見ると、ラジオが総編に取って代わられた格好だ。総編を見始めてからは、ラジオを一度もつけていない」と言った。 イ氏にとって総編は、親切な生活の同伴者であり習慣だった。
ソウル冠岳区新林洞のある大衆浴場の脱衣室でも総編をしばしばつけて置く。 25日午後6時頃に会った60代の事業主チャ・スンベ氏(仮名)は「ケーブル放送をあちこちチャンネルを回したりするが、「チャンネルA」や「TV朝鮮」をつけておくことが多い。たまにお客さんたちがそれを見ながら政治討論をしたりしている」と言った。
その一方で、チャ氏自身は総編に対して比較的批判的だった。 「ニュースばかりやり過ぎです。 事実上同じ内容なのに、このチャンネルでもその話、別のチャンネルでもその話だ。 パネラーも一方に偏った人たちばかり出てきて」。 チャ氏は「あまりに偏った話ばかり出てくれば、視聴者が影響を受ける可能性もある。スズメをキジだと言い続ければキジになってしまうということではないか」と言った。 彼は「総編が教養番組のようなものもたくさん作って、パネラーも多様な人々を出演させれば、もう少し見るに値するものになるだろう」と言った。
それでも総編を点けておくことが多い理由はなにか。 「同じ時間帯に他の放送にはあまり見るものがないからです」。 以前はケーブルでやってくれる地上波の再放送などを主につけて置いたが、総編ができてからは世の中の動きもちょっと聴いて見ようということでチャンネル選択が自然に総編側に向くようになったというわけだ。チャ氏にとって総編は、不満ではあるがこれといった代わりがない退屈しのぎだった。
まもなくスタートから4年目を迎える総編は、「総編ジャーナリズム」という言葉が生まれるほどに「低質放送」「暴言放送」という批判が激しい中でも、いつのまにか人々の生活の中に深く入り込んだ。 個々の世帯だけでなく飲食店、理容室、大衆浴場など人が集まる場所で総編チャンネルがついている姿も、もはや見慣れた日常になった。 地上波と隣接した“黄金チャンネル”、報道領域まで扱える「総合編成」の性格、地上波の空白と言える昼の時間帯攻略など、多様な要因が重なった結果と見られる。
キム・ギョンファン尚志大教授(マスコミ広告学)は、韓国社会の全般的な保守化に第一の原因を求めた。 総編は極右に近いほど保守的なメッセージを主に伝え、視聴者はこれを通して自らの保守的な考えを一層強化する。 どちらが先と規定することは難しいが、両者の間にはお互いを“拡大再生産”し合う粘っこい相関関係があるというのだ。 地上波放送の影響力下落も重要な変数だ。 キム教授は「総編は地上波放送が独占していたニュース領域に進出して、地上波が実施できなかった戦略を掲げて影響力を確保できた」と診断した。 総編は、内容の真偽は別にして、時事的なイシューとその背景を対話をするように身近な感じで伝達する形式の開発に成功した。 地上波放送の圧縮的で機械的な報道形式と時事番組の縮小による空白を総編が埋めたという分析である。
しかし総編の問題点は偏向的な内容と暴言に止まらない。 総編が根付くほどジャーナリズムだけでなく社会全般が「下向平準化」していく。 キム・ドンウォン韓国芸術総合学校映像院講師(マスコミ学博士)は「高齢者層では総編で出てきた内容がしばしば対話の素材になるだけでなく、パネラーが使う用語をそのまま使う現象も顕著になっている」として「しかも、地上波放送が昼の時間帯の番組で総編のフォーマットをコピーしてくる流れまで生まれて、韓国社会の対話方式と談論の地形が大きく変わりつつある」と指摘した。