■ 法律闘争開始
M氏は三つの争点で戦いを始めた。第一は「なぜ難民審査さえ受けさせないのか」だった。
2013年7月1日「アジア国家として初」という修飾語を付けて難民法が施行された。 難民法は大韓民国内にいる外国人全員に難民申請をできるようにし、申請さえすれば難民認定の可否決定が確定するまで大韓民国に合法的に留まることができる資格を与える。
同時に大韓民国内に入ってから難民申請できる道も開いた。見た目には申請人のための迅速解決手続きと見える。しかしM氏のように入国してから申請する場合、正式難民審査に付託するか否かに関する審査、すなわち事前審査を受けなければならない。段階がもう一つ加わるという意味だ。 難民を受け入れることより、“疑わしい人物”を取り除くことに慣れている韓国法務部は、この手順を通じて難民になろうと思う者を送還している。 難民認定審査の機会自体を封じ込める“不付託決定”は、難民協約第33条、「国境での拒否」に該当する違法処分という批判が強い。
2013年11月28日、M氏は「難民認定審査不付託決定取り消し」を要求する訴訟を提起した。 1審と2審はともに彼の主張を支持した。 裁判所は「難民認定審査不付託決定は、申請者が難民認定制度を乱用していることが明白と認められる場合に限って下されなければならない。多少疑いの余地がある時は、難民認定審査に付託して慎重に審査を受けるようにすることが正しい」とした。また、裁判所は「他の入国理由を掲げて国内に入国し、ある程度の期間が経過した後に難民申請をした場合と比較した時、入国当時から難民申請することを不利に待遇する理由はない」として「難民でないこともありうるという疑いだけで不付託決定が乱用されてはならない」と明らかにした。
第二は「なぜ閉じ込めるのか」だった。2012年基準で1万3468人の入国拒否者が移動の自由がない送還待機室に“拘禁”されてきた。 政府はM氏のように戻る自由がない難民申請者にも「望めばいくらでも帰国して自由の身になれる」という論理で拘禁を正当化してきた。
M氏は人身保護法が禁止している収容に該当するとし裁判所に救済を請求した。 1審では負けたが2、3審は彼の手を挙げた。 裁判所は「送還待機室は明確な法的根拠がない収容施設だ。 請求人を送還待機室に何と5カ月も待機させたことは、その期間に照らして甚大な身体の自由制限で収容であるので違法だ」と判決した。
昨年5月2日、M氏は送還待機室から乗り換え区域に解放された。 だが、入国不許可状態は維持された。M氏が入国できずに乗り換え区域内の免税店を行き来していたが約20日後に法務部は彼を入国させた。 法務部関係者は「あまりにも長期間拘禁されていた状態なので弁護人と協議して入国を許可した」と説明した。 現在、送還待機室は自由な移動を保障している。
第三は「なぜ弁護人との面会を阻むのか」だった。送還待機室に拘禁された外国人は、外部のその誰とも会うことはできない。 会えるのは事件担当領事など各国の外交官のみだ。 外部と疎通できる唯一の手段は公衆電話だけだ。 M氏の弁護人は電話で彼との疎通を続け、昨年4月25日に弁護人面会を申し込んだ。 だが「先例がない」、「弁護人面会を許可する義務も権限もない」等の理由で拒否された。
弁護人は身体の自由が国家から拘束された人間の弁護人対面権を保障した憲法12条を根拠に、憲法訴訟と効力停止仮処分申請を提起した。 昨年6月5日、仮処分を認容する決定が下された。 憲法裁判所は「申請人が訴訟提起後5カ月以上弁護人に面会できず、公正な裁判を受ける権利が深刻に制限を受けている。 弁護人面会を直ちに許容するにしても、出入国管理、乗り換え区域秩序維持業務に特別な支障を招くとは見難い」として認容の理由を説明した。
至難な闘争の末にM氏は先月10日に正式難民認定審査に付託された。 決定までには通常6カ月かかる。 韓国難民史に永遠に残る判例を残したが、本人は難民認定を受けられない場合もありうる。 彼が要求したことは「審査を受けられるようにしてほしい」ということであったためだ。 M氏の弁護を引き受けた公益法センター アピールのイ・イル弁護士はこう話す。
「最近、違法な不付託決定に抗して戦おうとしている難民申請者が弁護人との面会約束を取ったのに、経緯不明で送還された。 多くの難民申請者が審査の機会さえ与えられずに送還されている。 そのような決定が招きかねない恐ろしい結果に対して、政府はどのように責任を負うのだろうか。 そんな風に人間を簡単に送りかえしてはならない」