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[ルポ] サハリン同胞の住む家はどこにあるのか?

登録:2014-12-02 19:16 修正:2014-12-03 03:38

20年以上日本政府の人道的支援に頼った
その帰国事業さえも来年には終了予定
国家が放置している在外国民に対する責任を問うべき

南サハリン地域における残留同胞の現況。//ハンギョレ新聞社

 「今朝、義弟が亡くなりましたので 」

 電話の向こうでヤン・ユンヒ氏(73)が涙声で言った。11月19日午後、彼が老人会会長を務めている京畿道安山にある故郷の町で会う約束となっていた。彼は急いで地方に向かっていると説明し申し訳ないと言った。ヤン氏も、彼の義理の弟も、永住帰国したサハリン同胞だ。「亡くなった人の子孫たちがモスクワとサハリンから訪れてから一週間も経たないうちに息を引き取ったのだから、彼らも大変だね」 故郷の村の老人会のオフィスで会ったパク・フンジャ老人会事務局長(75)が事情を伝えてくれた。

足し算はなく引き算ばかりの村

 死神はコヒャンマウル(故郷村)をうろつく。2000年に初めて永住帰国した時980人だった村の住民数は、昨年末730人に減り、すぐに692人となった。1945年8月15日以前に生まれた者だけに永住帰国が許されたので、平均年齢は78.6歳。月に3、4人が亡くなる。村には出し算がなく、引き算加ばかりだ。

 安山市常緑区ヨンハ公園路39番地。「コヒャンマウル」で有名なここは国内でサハリン同胞が最も多く暮らす集落である。10階建のアパート8つの棟の入居者は皆サハリン同胞だ。1930〜40年代、日本は朝鮮人を樺太(サハリン)に強制動員し、炭鉱や伐採場、軍需工場などで奴隷のようにこき使った。第二次世界大戦で負けた日本はサハリンを離れる際、朝鮮人を置き去りにした。サハリンに残った4万3千人あまりは難民となった。無国籍者で暮らすうちにロシア国籍を取得した者もいたが、ほとんどは堪えきれない故郷への思いを胸に生きていた。

 日韓の赤十字社の主導で1997年からサハリン残留同胞に永住帰国の道が開かれた。韓国政府は国民賃貸住宅と基礎生活受給者に与える生活費・医療費などを、日本政府は帰国の航空運賃と生活用品の購入費(140万ウォン)や帰国後のサハリン訪問費用等を支給する。ただし永住帰国対象は1世(1945年8月15日以前に生まれた者)に限定された。それも(一世とその配偶者あるいは障害をもつ子供など)二人一組でないと賃貸住宅に入居することができない。現在、国内にはサハリン同胞3100人(2013年末基準)が25地域に散らばって暮らしている。

 コヒャンマウルは寂しかった。車椅子に乗ったお年寄り達が医学養保士の助けを借りて散歩をする姿がちらほら目立ち、厚いコートを着込んだお年寄り何人かが日向ぼっこをしているだけで、活気が見られない。それもそのはず、永住帰国は子孫たちには許されていない。永住帰国が「21世紀の姥捨て山」と呼ばれる理由だ。孤独と病魔と戦っていた人の中には、耐え切れずサハリンに帰る道を選んだ者もいた。2012年には忠清北道でうつ病を患っていたサハリン同胞が自ら命を絶った。

 「我々は、幸い安山市役所から出向いてくれるから助かるけど、他の地域では書類一枚発給してもらうにも言葉が通じなくて本当に大変ですよ」(パク・フンジャ事務局長)。福祉館2階には幸福学習館があり、毎日様々なイベントが開かれる。この日の午後にもお婆さん40人余りが講堂に集まって糖尿病管理をテーマにした講演を聞いた。安山市と京畿道は、毎年幸福学習館に5千万ウォンの予算を割り当てている。1階には漢方治療室やサークルルームがあり、廊下でつながった向かい側の建物には、麻雀などができるお婆さんの部屋、お爺さんの部屋が別々に用意されている。

永住帰国したサハリン同胞が最も多く暮らす京畿道安山市常緑区にある「コヒャンマウル(故郷村)」で11月19日お爺さんたちがハリンで楽しんでいた麻雀をしている。//ハンギョレ新聞社

病気にでもなったらサハリンの子供達に頼らないと

 一緒に集まって暮らしているから寂しさも紛らわされるが、それでもサハリンに残してきた家族がいつも気掛かりだ。もう一つの「(一家)離散」である。マンダリン演奏の練習をしていたイ・ヨンビン氏(78)は、心臓病を患っている妻のために2012年になってようやく永住帰国した。「韓国に来てすべてが楽です。母国だから人種差別もないし。無国籍者は、国籍がないという理由だけで、ロシア人に比べて3分の1の給料しかもらえませんよ。弟たちも来たがったけど、1945年以降の生まれだから来られませんでした」。

 

 サハリンには、いまだに3万人の残留同胞がいて、その中には、永住帰国対象の1世も1千人にのぼる。30代に夫と死別したバク・フンジャさんの義妹も配偶者(あるいは障害を持つ子供)がいなくて永住帰国ができなかったという。「韓国に来たがっていますよ。私たちと同額でなくても、いくらか生活費を補助してあげてほしいです。ロシア政府からもらう年金はやっぱり少ないからね。物価は高いし」。日韓政府は永住帰国者ではないサハリン残留同胞には、いまだに借りが残っている。永住帰国も来年は事業を終了する予定だ。11月6日、サハリン現地で開かれた永住帰国事業説明会でバク・スンオク駐韓離散家族協会長は「永住帰国を希望する一世が一人でもいれば、引きえ続きプログラムを実施すべきだ」と強調した(『セ高麗(コリョ)新聞』報道)。

 「あなた方にはわからんでしょう。外国で68年も暮らすってことが。冷や飯を食わされるのがすごく多いです。日本人が追い出されてソ連人が入ってきた時、ロシア国民証がない人は、住んでいる町から3キロ以上離れられませんでしたよ」。11月18日、ソウル江西(カンソ)区 登村(ドゥンチョン)洞 住公アパート4団地で出会ったハン・ムンヒョン氏(81)の声に力が入った。江原道高城(コソン)が故郷のハン氏は、炭鉱に強制徴用された父を追って7歳の​​時にサハリンに渡った。ハン氏と妻ギム・イムスン氏(78)は、2001年に永住帰国した。

 ハン氏夫婦には月に97万ウォンほどの生活費が支給される。基礎生活受給者に支給される生活費だ。1人世帯の支給額は月53万ウォンほどである。各種管理費と電気·水道代などを払うと食料品を買うにもギリギリの金額だ。ギム・イムスンさんは家が1階のため、冬には毎月15万ウォンもかかる暖房費が負担になると話した。一番の心配は医療費だ。糖尿病、椎間板ヘルニア、骨粗しょう症、関節炎など、すでに体は総合病棟である。まわりにはがん患者も多い。大きな手術でも受けるとなると、心配が先立つ。そんな時はサハリンに置いてきた5人の子供達に頼るしかない。

数回議論されたが、いまだ立法につながらず

永住帰国サハリン同胞の現況。//ハンギョレ新聞社

 「帰国する時は子供達と一緒に住む気で入ってきたよ。だけど、子供たちは韓国語が話せないから、ここでは生活できない。私たちの時は、朝鮮学校があったけど、子供たちの時は学校がなくなった」。キム氏は2世、3世に永住帰国が許可されたとしても、実効性があるかはわからないと、言葉を濁した。10月サハリン州韓人協会と地球村同胞連帯(KIN)、釜山慶南我が民族助け合い運動などは「サハリン残留同胞歴史文化センター」(仮称)と名もなき霊となった1世のための慰霊施設を建設するという了解覚書(MOU)を締結した。サハリン残留同胞の歴史をつないで、韓国語があまりできない2世代との架け橋を作るためだ。

 イ・ウンヨン地球同胞連帯事務局長は「韓日政府は、20年以上にわたって、日本政府の人道的支援に頼った永住帰国事業だけに専念している。日本政府は、法的責任は消滅したが、道義的責任からサハリン同胞のための費用を負担するという態度を取っており、韓国政府も、政府が国民の保護義務を果たせない状況でサハリンへの強制動員が行われたにもかかわらず、包括的な対策を講じしていない」と批判した。文化センターの建設費用をどのよう捻出するかは、政府と国会の意志にかかっている。

 19代国会では、サハリン同胞支援のための関連法案2つが足踏みしている。ジョン・チョルセジョンチ民主連合議員が2012年代表発議した「サハリン同胞支援に関する特別法」には、永住帰国者が少なくとも直系卑属1人を同伴できるように(永住帰国の対象を)拡大し、韓国語教育と職業訓練など、韓国定着のための費用を支援するなどの内容が盛り込まれている。ジョン・ウイファセヌリ党議員が2013年代表発議した法案は、サハリンに住む3万人の同胞が高麗人同胞に含まれることを明示して、彼らをサポートする複合センターを建て歴史資料を収集·管理しようというものである。これまでサハリン同胞関連法案は、数回に渡って国会で議論されたが、結局立法には結びつかなかった。

 「在サハリン韓国人の問題は、被害当事者である1世で終わる問題ではない。単に帰還と未帰還の問題ではなく、日韓請求権協定によって区別される韓国“国民”の範囲がどこまでなのかを問う、共同体にとっては最も根本的な問題」(ハン・ヒェイン成均館東アジアの歴史研究所)である。また大韓民国憲法は「国家は、法律の定めるところにより、在外国民を保護する義務を負う」(第2条2項)と規定している。ましてや個人の選択ではなく国の無力と放置によって強制的に連行された海外同胞たちに、大韓民国の国民としての地位を享受できるように保証するのは、国としてあまりにも当然の義務ではなかろうか。

60歳の高齢者に下された「韓国国籍」判決

 6月、ソウル行政法院(行政裁判所)は、これと関連し、有意義な判決を出した。サハリン同胞であるギム・ミョンジャ氏(60)が大韓民国を相手に出した国籍確認訴訟で、原告勝訴の判決を下したのだ。キム氏の兄は、永住帰国して江原道原州(ウォンジュ)で暮らしているが、無国籍であるうえ、永住帰国の対象である1世でもないキム氏は、ロシアと大韓民国、どこの国民にもなれなかった。金氏の弁護を引き受けたイ・サンヒ弁護士は「国籍確認訴訟を起こしたのは、サハリン同胞が生まれた歴史的な背景からして、国が何かをしなければならないという問題提起の最初の一歩である。サハリンだけでなく、強制徴用された在日韓国人や、朝鮮籍(韓国や北朝鮮国籍もなく、日本に帰化していない在日同胞)など、国が放置している国民に対する責任も振り返らなければならない」と指摘した。来年は日本の植民地から解放されて70年になる年だ。しかし、サハリン同胞をはじめとする強制動員被害者はまだ真の解放を迎えていない。

安山=文ホァン・イェラン記者、写真ジョン・ヨンイル記者(お問い合わせjapan@hani.co.kr)
http://h21.hani.co.kr/arti/economy/economy_general/38434.html 韓国語原文入力:2014/12/01 23:31
訳H.J(4321字)

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