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[ハンギョレ21 2012.09.03 第926号] サハリン集団自殺の秘密

[クォン・ヒョクテのもう一つの日本]
ソ連軍の上陸に毒を飲んで自殺した少女たちの碑文から日本軍の「命令」削除
ソ連軍を加害者に、日本人を被害者と描いて戦争責任回避を図る


日本社会が恐怖心を抱いているか嫌っている国や人種は主に隣人である場合が多い。おそらく北朝鮮、韓国、中国、ロシアなどが抜きつ抜かれつ順位を争うだろう。隣りあわせていて接触する機会が多いだけあって理解の幅が広がって仲良くすることもできそうだが、現実はこれとは正反対の場合が多く、時には険悪な言葉が行き交ったりもする。政府間の関係と民間交流は違うので、外交的な摩擦が個別の人間関係にまで影響を及ぼすことのないように祈っているが、政府間の関係から自由ではいられないのが現実なので両者を区別するにも限界がある。 日本の帝国主義が生んだ領土紛争

距離が近いだけあって利害関係が衝突しがちであるのがその理由だ。最近、東北アジアで領土をめぐって様々ないざこざが起こっているのもこのような観点から見ることができる。少し距離を置いてこの問題を見ると、領土のいざこざはただ国同士のエゴがぶつかる現象であるだけのように見える。しかし、詳しく見ると韓国、中国、台湾、ロシアに対して日本が自国の領土と主張する独島(ドクト)、尖閣(釣魚島)、クリル列島の4つの島もすべて19世紀以降日本帝国主義の対外膨張の歴史と切り離せないということがわかる。この点については既にこの連載で詳しく扱ったので(874号、「尖閣か、釣魚島か」)ここでは繰り返さない。しかし、種を蒔いたのは日本であるという事実は指摘しておかなければならない。従って、領土のいざこざは現在の日本が帝国主義の歴史をいかに清算するかという問題と切り離せない。もちろん帝国主義は西欧が元祖なのでこれを骨の髄まで真似した日本だけの責任ではない。しかし、西欧は主に遠隔地帝国主義であったのに対して、日本は隣接帝国主義であったため、隣国との紛争を増幅させた面はある。従って、領土のいざこざは基本的に日本が過去の戦争と侵略行為をどのように見ているかが表す試金石だ。

事実、近代以降にアジアで起きた大小の戦争において日本は常に当事者であった。日清戦争、日露戦争、満州侵略、日中戦争、太平洋戦争など、そのいずれにおいても日本の側から戦争をしかけた。それも大抵は奇襲攻撃だ。しかし、これらすべての戦争で第二次世界大戦末期の沖縄を除くと、現在日本領と呼ばれる地域で戦闘が行われたことはなかった。日清戦争、日露戦争は朝鮮半島と中国が主な戦場で、満州侵略や日中戦争は中国が戦場だった。第二次世界大戦の主な戦場は東南アジアだった。このように見ると、日本社会は隣国やその人々に被害を与えたことはあっても、国家的次元で被害を受けたことはない。

しかし、奇妙なことに日本の一角からはこれら隣国が日本社会を攻撃するかもしれないという不安感を露骨に明らかにする声が聞こえてくることだ。このような声が領土のいざこざを増幅させる原因として作動する。韓国人や中国人が日本帝国主義の復活の恐怖心を持っていることは客観的事実とは関係なく、少なくとも歴史の記憶からして自然なことだ。しかし、日本社会が朝鮮半島や中国が日本を攻撃するかもしれないという心理的恐怖を持つということは理解に苦しむ。「鐘路(チョンノ)で頬を打たれて漢江(ハンガン)で腹いせをする」ということわざのように、西欧帝国主義に対する恐怖が隣国に対する攻撃心理として現れたという説明も可能だ。心理学で言うところの「攻撃の置き換え(Displaced Aggression)」だ。あるいは、「泥棒の足がしびれる」ということわざのように、日本が持っていた膨張主義への欲求を隣国も持っているであろうという邪推が隣国に対する恐怖を生み、これが隣国に対する嫌悪感として現れたという分析も可能だ。心理学で言うところの「偽の合意効果(False Consensus Effect)」だ。理由がどこにあろうと、かつては酒の席などでのひそひそ話だったヘイトスピーチが最近公的な言説として現れて隣国に対する恐怖と嫌悪を過剰包装して流布することが流行のように広がっていることは否定できない事実だ。「マンガ嫌韓流」や「マンガ中国入門 やっかいな隣人の研究」などがその代表例だ。このように絶えず隣国による日本への侵略の可能性を繰り返し主張して嫌悪と恐怖を煽って日本人の大同団結を喚起することは恐怖がコミュニケーションの説得力を高めるという公告理論の「フィアー・アピール(Fear Appeal)」に比肩されるかもしれない。






7月18日、明治神宮での参拝を終えて出てくる明仁天皇。前の天皇であった裕仁が1968年に北海道の「九人の乙女の像」を訪問したことが亡くなった九人の乙女の話を美化するきっかけとなった。ニューシス AP


ソ連・ロシアに対する恐怖が格別な理由


それにもかかわらず特に日本社会が旧ソ連やロシアに対して持っている恐怖と嫌悪感はヨーロッパのそれ以上のものがある。どうしてだろうか?もちろん歴史的根拠がないわけではない。日露戦争後の下関条約を通じて獲得した遼東半島をロシア、フランス、ドイツの圧力で返還させられたことがあるためだ。歴史教科書に登場するいわゆる「三国干渉」だ。当時、ロシアに復讐を誓う意味を込めて「臥薪嘗胆」という言葉が流行したというから、敵対感の大きさがいかほどだったかは推して知るべしだ。そしてこの敵対感がその後の日露戦争の火種になったことはよく知られていることだ。しかし、これだけでは三国の中でなぜロシアに対してだけ敵対的であるかを説明できない。さらに三国干渉の時に反露勘定があったとしても、中国の領土を巡って行われた騒動であるので、今に至ってこれで日本社会が悔しがらなければならない訳はない。

現在ロシアが実効支配している北海道北端のクリル列島の4つの島をその原因とする場合もある。しかしよく考えてみると、北海道とクリル列島は本来アイヌの人々の地であり、19世紀以降ロシアと日本が抜きつ抜かれつ占領を繰り返してきた所だ。アイヌの人々が悔しがっても日本人全体がロシアに対して敵対感を持つ理由には成り得ない。日本の反露感情を説明するときに欠かせないのはやはりシベリア抑留問題だ。第2次世界大戦終結後に中国東北部や内モンゴルなどから約60万人がシベリアに連れて行かれて強制労働をさせられて、その約10%が死亡したという。ロシアに対する怒りがこの経験から始まったということは想像に難くない。チャン・ドンゴンとオダギリジョーが主演した「マイウェイ」のエピソードに登場するシベリア抑留生活を見るとよくわかる。さらに日本が降伏を宣言する前の1945年8月9日にソ連側が中立条約を破って奇襲的軍事行動を敢行して被害を増大させたことも協定を一方的に破棄したソ連の行為をけしからんと思ったことだろう。

しかし、このような歴史的な経験を再生産して増幅させた各種手記や神話のようなものがより大きな役割を果たしたであろう。大体手記や神話でロシア兵士は窃盗や性的暴力を厭わない人間以下の「クズ」で、日本人はこれに抗う力なき一方的な被害者として描かれる。その代表的な例を見てみよう。

語られざる「九人の乙女の真実」

北海道の最北端、人口4万にも満たない都市、稚内にある稚内公園には「九人の乙女の像」がある。1963年に立てられたものだ。1968年には当時の裕仁天皇が訪問して名声を得た。碑文には次のように刻まれている。

「(1945年) 8月20日、ソ連軍が樺太の真岡に上陸を開始しようとした。そのとき突如日本軍との間に戦いが始まり、真岡は戦火と化した。その中で(電話)交換台に向かった九人の乙女らは、死をもって自分たちの職場を守った。窓越しに見る砲弾の炸裂、刻々と迫る身の危険、もうこれまでと死の交換台に向かい『皆さんこれが最後です さようなら さようなら』の言葉を残して、静かに青酸カリを飲み、自ら命を絶ち職に殉じた。潔いというよりもはかない、夢多き若き尊き花の命。」

樺太とはサハリンの、真岡はホルムスクの日本名だ。この碑文の内容どおりなら9人の少女交換手は撤収命令にも死を厭わず最期まで自らの持ち場を忠実に守ってソ連軍の「陵辱」から自らを守るために命を断ったということだ。このようにして「ソ連軍=男性=加害者」にたいして「日本人=女性=被害者」という構図が完成した。

そこで疑問が生じる。なぜ撤収しなかったのだろうか?撤収せずに死を選ぶほど電話交換手の仕事が重要だったのだろうか?なぜ死者はすべて女性だったのだろうか?青酸カリはどのようにして手に入れたのだろうか?実のところ、この碑文は修正されたものだ。

元々は「8月20日日本軍の厳命を受けた真岡郵便局に勤務する9人の乙女は青酸苛里を渡され最後の交換台に向ったソ連軍上陸と同時に日本軍の命ずるまゝ青酸苛里を飲み」となっていた。「日本軍の命令」という部分が削除されたのだ。実際、日本軍の命令があったのかは明らかでない。しかし、民間人に対する撤収命令が出されたにもかかわらず、彼女たちは撤収できない状況に置かれていたのだが、この状況は日本軍の意志に関係があることは明らかだ。さらにこの碑文には集団自殺に加わっていない3人の生存者についての言及がまったくない。自殺を選ばなかった生存者たちが自らの行為を「恥ずかしい行為」と受け止めるしかない構図が作られたのだ。沖縄やサイパンにおける集団自殺で現れる図式がここでも再現されているのだ。

映画やドラマで美化

彼女たちは公務中に殉職したとして1973年に政府から勲章を得た。そして靖国神社に合祀された。1974年には「氷雪の門」というタイトルで映画化された。ソ連のタス通信はこの映画を「ソ連国民とソ連軍を中傷謀略する反ソ映画」と非難した。また、2008年にはテレビドラマ化されて大きな反響を呼んだ。彼女たちを死に追いやった責任は日本という国が負わなければならない。それなのに、彼女たちの死を日本人として、または女性としての「純血」を守るための玉砕や散華と包装して生存者を「恥」に追いやる歴史を作りソ連に対する敵対感を増大させることで日本という国はこの責任から逃れた。このようなことが「平和と民主主義」を標榜していた1960年代以降に起きた。日本の作家小田実は、自らの戦争経験を元に死を玉砕や散華として包装する国家権力に対して無意味に戦わされ虫けらのように死んだと言った。小田実の望みどおり、九人の乙女の死が国家権力によって犠牲にさせられた虫けらのような死に戻る日は来るのだろうか。昨今の状況を見るとその道は遠く、険しい。

原文:http://h21.hani.co.kr/arti/COLUMN/151/32817.html 翻訳:Y.U.