"(発覚することを)最も恐れたのは慰安所事件だった"
"(日本現地軍の)軍需部などと強硬に談判して、約70万円を受け取り各村長を通じて住民たちに対する工作に使った。"
太平洋戦争敗戦直後、インドネシアに残った日本軍部隊が現地で運営していた慰安所の実体を隠すため、金で住民たちを買収したという旧海軍下士官の証言が1962年の日本法務省による調査記録を通じて確認された。 朝鮮人女性たちが日本軍によって慰安婦として強制的に動員されたことを示す証言ではないが、当時日本軍が現地女性たちを強制的に動員し、これを深刻な戦争犯罪として認識しており、それを隠すために金で住民たちの口をふさいだことを示す非常に貴重な証言だと判断される。
<東京新聞>は23日、林博史 関東学院大教授(日本近現代史)が日本国立公文書館で捜し出した1962年8月付け日本法務省による調査資料を引用してこのように報道した。 日本法務省の調査でこのような証言を残した人は敗戦当時インドネシアに配置されていた旧日本海軍兵曹長と確認されている。 彼はインドネシアで日本軍が現地の人々を慰安婦として強制動員した実態について「(軍が慰安婦として)現地人など約70人を連れてきた」 「その他にも約200人を部隊の命令で連れてきた」等の証言を残している。
しかし彼はこのような強制連行の疑惑に対しては処罰を受けていない。 処罰を恐れた彼が軍当局から提供された資金を使って住民たちを懐柔したためだ。 彼はその過程に関して「軍需部と強硬に談判して約70万円を受け取り、各村長を通じて住民たちに対する懐柔工作に使った。 この作業が功を奏したと見られて(慰安所関連問題に対しては)一件も訴追がなされなかった」と明らかにした。 結局、彼は1947年8月にオランダがインドネシア パタビヤ(現ジャカルタ)で行ったB・C級戦犯裁判で住民に対する暴行などの容疑で懲役12年の判決を受けるに留まった。 彼はこれについて「起訴された10件余りの事件は全て住民たちを殴ったり蹴ったりした事件のみだった」と証言している。
日本軍がインドネシアで犯した慰安婦強制動員事件の中で最も良く知られたものは、ジャワ島スラマン州収容所に監禁されていたオランダ国籍の女性35人を慰安所に強制連行した事件(B・C級戦犯バタビア裁判第106号事件-日本軍の敗戦以後、インドネシアに復帰したオランダ当局が主導した戦犯裁判)がある。 この事件に関係した旧日本軍中将と少佐等の将校5人と民間人4人が強姦罪などで起訴され死刑などの処罰を受けた。
日本の右翼らはこの事件に対して「強制動員の事実が明らかになった後、日本軍が関連施設の閉鎖を命令した。 これは非常に例外的な事例だったにすぎない」と主張している。 しかし今回発掘された新たな証言を通じて、日本軍が現地女性たちを強制動員した事例が相当にあったし、敗戦後に住民たちの口を塞ぐために金をばらまきながら組織的に動いたという事実が確認された。
しかしこの証言に対しても日本の右翼らは、当時法的に日本国民だった "朝鮮人女性たちを対象にした強制動員はなかった" という言い方で逃れようとする可能性が高い。 彼らは最初は‘慰安所はなかった’と主張しておき、軍が慰安所開設・運営過程に直接介入していたことを示す証拠が出てくると‘強制動員はなかった’という主張に変えた。 そうするうちに最近では占領地であった東南アジアでこれを証明する資料が相次いで明らかになると‘朝鮮人を対象にした強制動員はなかった’という風に責任を避けようとしている。
この資料に対して日本法務省関係者は「すでに資料を国立公文書館に移管したので確認できない。 責任ある返答はできない(できる立場ではない)」と答えた。 しかし林教授は<東京新聞>とのインタビューで「河野談話が認めた軍の関与を証明する上で大変重要な資料」と明らかにした。
東京/キル・ユンヒョン特派員 charisma@hani.co.kr