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民主政府を踏みにじった満州国将校朴正熙政権‘反歴史性’甚大

登録:2012-10-19 09:08 修正:2012-10-19 10:16



‘維新40周年’維新体制を考え直す④ <ㅠㄱ>

地下に埋められた光復(解放)運動 先烈たちはおそらく目を瞑れないことだろう

カン・マンギル/前尚志(サンジ)大総長・歴史学者

 日帝強制占領期間には光復軍の敵だった日本帝国主義傀儡満州軍の将校であった。 解放後には韓国軍の将校になって4・19 ‘革命’で成立した民主政権を一夜にしてひっくり返し、その統治権を奪取した。 この軍事クーデターの主役である朴正煕少将は軍服を脱ぎ民政に復帰するとして実施した1963年の大統領選挙で野党候補にかろうじて勝ち政権を維持した。 1971年にも野党候補に再び辛勝し政権を維持すると、1972年には突然7・4南北共同声明を発表に続けて‘維新’というものを強行した。

 維新とは本来歴史を新しく前進させるという意だ。 ところが、ある日突然全国に非常戒厳令をおろし国会を解散して大学を閉鎖して全国を険悪な雰囲気に追い詰めながら‘維新’をやると言った。 それからは‘維新’勢力が選定した有権者だけが体育館に集まり朴正熙を任期5年の大統領に選出し、国会議員3分の1を‘維新’大統領が任命した。 任期5年と言ったがいわゆる体育館選挙を通した事実上の終身執権体制を樹立したのだ。

 たとえ一時の失敗と不運により近来半世紀間も他人の強制支配を受けたとは言え、歴史の長い文化民族社会で、血書を書いて自発的に侵略軍側に立った人物が解放されたこの地でクーデターにより終身執権を試み強行したことがいわゆる‘維新’というものだった。

 日帝強制占領期間を通じて独立闘争に献身した烈士は、解放後の祖国が南北に分かれ対立して戦うことになるとは、しかも自分たちの敵だった日本軍や、その傀儡満州国軍に身を置いた人物が解放された祖国で政権を奪取し独裁する状況になろうとは。それこそ夢にも思わなかっただろう。 光復(解放)運動烈士が命を捧げて取り戻した祖国の大地が、南北に分かれて戦い、その上 敵側に立った者が解放されたこの地で政権を強奪して独裁政治をするとは、烈士たちはおそらく地下でも目を瞑れないことだろう。

 解放後の我が民族社会が、そして日本帝国主義の傀儡満州軍将校出身の朴正熙の政権が、光復(解放)運動に命を捧げた先烈たちに犯した歴史的罪悪がまだある。 私たちの南側政府が米国の強力な要求によってかつて侵略者だった日本と国交を再開したのがまさに朴正熙政権の時であった。

 日本との国交を再開するにあたって最も重要な問題は、日本帝国主義の半世紀にわたる私たちの土地に対する支配が強制支配であり、したがって日帝朝鮮総督府の統治が不法行為だったことを明らかにすることだった。 なぜなら朝鮮総督府による私たちの地に対する統治を合法的行為と認定すれば、日帝の武力占領に対する我が民族の抵抗が、すなわち我々の独立運動が合法的統治に抵抗した不法行為になってしまうためだ。 ところで朴正熙政権が日本の強制支配から解放された私たちと日本の間の国交を再開しながら、日本帝国主義の私たちの地に対する支配が不法だという事実を問い質し明らかにできないことによって、私たちの光復(解放)運動先烈たちの独立運動を日帝の合法的統治に対して犯した不法行為にしてしまったのだ。 歴史的に見れば満州軍将校出身の朴正熙政権の反歴史性がどれほど大きいか、決して言い尽くせないほどだ。 2010年に韓国・日本両国の良心勢力が‘併合’条約無効を宣言したが、真の友好関係樹立のためには両国政府が共に解決しなければならないことだ。

 光復軍出身で朴正熙政権と対抗したチャン・ジュナの死が最近再び問題になっているが、朴正熙と同年輩であるチャン・ジュナ、キム・ジュンニョプなどは日帝の学徒兵として中国に強制的に連れて行かれ命をかけて脱出し我が光復軍になった。 我らの敵だった日帝の満州国将校として侵略戦争に加担しながらも解放された祖国でクーデターにより政権を奪取して‘維新’独裁を行う朴正熙政権をチャン・ジュナは容認できなかった筈であり、そのことが彼の死と連結されたのかもしれない。 歴史は正直だから、真実は否応無く明らかになるはずだ。

カン・マンギル/前尚志(サンジ)大総長・歴史学者

https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/556434.html 韓国語原文入力:2012/10/18 22:43
訳J.S(1940字)

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