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【独自】韓国権益委局長の遺書…尹前大統領の妻のブランドバッグ「免罪」に苦しむ

登録:2025-08-07 08:28 修正:2025-08-07 11:53
カカオトークに残された文章、遺族が1周忌を前に公開 
「腐敗防止にささげた一生が否定された」 
「反腐敗法律の政治的悪用やめるべき」 
世宗市トダム洞の世宗忠南大学病院のシュイル楽園斎場で行われたKさんの葬儀。昨年8月9日午後撮影=キム・チェウン記者//ハンギョレ新聞社

 昨年8月に遺体で発見された国民権益委員会腐敗防止局長職務代理のKさん(当時51歳)は、死の直前まで「キム・ゴンヒ(尹錫悦前大統領夫人)のブランドバッグ(ディオール)受け取り事件」の権益委による終結処理のために心理的に苦しんでいたことが、ハンギョレの取材で確認された。

 同事件の実務責任者だった故人は、遺書形式で残したカカオトークのメッセージに「なぜ私がこのような状況にまで至ったのか、まだ理解できない」、「法の文言も重要だが、常識に反しない処理も重要だ」、「反腐敗法律の政治的悪用はやめるべきだ」などと記していた。事件処理の過程で感じた苦しみ、自責、無念などを吐露したとみられる。

■死の9日前にカカオトークのチャットルーム立ち上げ…「バッグの件は影響が大きすぎる」

 5日にハンギョレが遺族から確保したKさんのカカオトークのメッセージを見ると、同氏は遺体で発見される9日前の昨年7月30日から8月7日にかけて、同アプリの自分とのチャット機能を用いて「K○○が残す文章です」と銘打ったチャットルームを作り、26件のメッセージを作成していた。うち7件は家族と同僚に感謝や申し訳なさなどを伝える内容で、残りの19件には権益委のブランドバッグ受け取り事件の終結処理や腐敗防止制度などに対する自身の考え、無念さ、悔しさ、頼みなどが記されていた。Kさんは、これらのメッセージを実際に発送してはいない。

 Kさんがチャットルームを立ち上げたのは、権益委全員委員会がキム女史のブランドバッグ受け取り事件を「法律違反事項がない」として終結処理してから50日が過ぎた2024年7月30日。Kさんはその日、「尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領はキム・ゴンヒ氏のブランドバッグ受け取りの事実を監督機関などに届け出ていなかった」と報じたハンギョレの独自記事のリンクを最初のメッセージとして投稿していた。

 続いて3日後の8月2日、Kさんはチャットルームに、妻と子ども、同僚などへの別れのあいさつをしたうえで、ブランドバッグ受け取り事件についてのものとみられるメッセージを集中的に投稿。「バッグの件以外の事件は最善の結果が出たと私も自負しております」というメッセージをはじめ「5つの反腐敗法律の政治的悪用はやめるべきです。この大切な制度が政略的に利用されているのではないか、みな深く考えてみてください」、「機械的な平等ではなく、持てる者と権力者にはより厳格で、弱者にはもう少し人間的な姿勢を示す法律の適用が必要だと思います」などのメッセージだ。

 Kさんは死の前日の8月7日、最後に6つのメッセージを投稿。「バッグの件の影響がとても大きい。私の過ちは命でそそごうと思います。いくら考えてもその方法しかありません。なぜ私がこんな状況にまで来てしまったのか、まだ理解できません」というものだ。続けて「つまらぬ正義感と無能がすべてを台無しにしてしまった。私一人で委員会に対する政治的攻勢と非難がなくなるよう切に祈ります」と書いている。Kさんはこのメッセージを作成した翌日の午前、自宅で遺体で発見された。

昨年8月8日に世宗市の自宅で遺体で発見された国民権益委員会腐敗防止局長職務代理のKさんが、カカオトークの自分とのチャットに残した遺書の一部=K元局長の遺族提供//ハンギョレ新聞社

■「権益委、ブランドバッグ終結」に道義的責任、自責感じたか

 Kさんは、ブランドバッグ事件を終結処理した全員委の決定に同意していなかったにもかかわらず、実務責任者であり腐敗防止の専門家として道義的責任を感じ、自責の念を抱いたとみられる。2004年から20年間にわたって権益委で働いてきたKさんは昨年3月、腐敗防止局長職務代理に任じられ、3カ月後の6月に、すでに法定処理期限(最長90日)を過ぎていたブランドバッグ受け取り事件を権益委全員委の案件として提出した。当時、尹大統領夫妻の請託禁止法違反などの疑いが波紋を呼んでいただけに、Kさんは全員委がこの事件を捜査機関に引き渡すと予想していたという。

 しかし、法違反事項がないとして事件が「終結」したことに、Kさんは大きな衝撃を受けたという。その後、Kさんは食事もほとんど取らず、一日中部屋に閉じこもって自らを責め、苦しんだ。Kさんは家族に「この事件が終結処理されるとは思わなかった」、「腐敗防止分野にささげてきた私の過去がすべて否定された」などと言い続けていた。何よりKさんは、当時国会に何度も呼ばれ、自身の見解とは相いれない決定を実務責任者として擁護しなければならなかったことに、強いストレスを感じていたという。

 最終的にKさんは、実務責任者である自身が命を絶つことで、事件処理に対する道義的責任を取るべきという結論に至ったものとみられる。Kさんはメッセージに「最終責任は決定した(全員)委員会と、実務責任を負う私にあることを、もう一度強調しておきます」と記している。続けて「私一人で委員会に対する政治的攻勢と非難がなくなるよう、切に祈ります」と述べるとともに、同僚たちに「委員会のこのような状況がいつから始まったのか、現職者と今は出て行かれた方々、全員がじっくりと考えて下さい。これが私の最後のお願いです」という言葉を残している。

 遺族はKさんの死後、Kさんの携帯電話でこれらのメッセージを発見したが、不必要な政治的非難を避けるために公開を控えてきたと説明している。

キム・チェウン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1211789.html韓国語原文入力:2025-08-06 06:00
訳D.K

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