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韓国の政権与党「国民の力」はいかに極右政党となったのか(1)

登録:2025-03-18 01:49 修正:2025-03-18 07:17
朴槿恵弾劾後、ファン・ギョアン体制で極右と結託 
2020年の総選挙敗北で「一時的に距離置く」 
「尹錫悦ポピュリズム」失敗で極右再活性化 
2024年の総選挙惨敗、内乱と弾劾を経て暴走
ソウル汝矣島の「国民の力」本部=資料写真//ハンギョレ新聞社

 与党「国民の力」は、自由民主主義を政体の基本原理とする大韓民国の政権与党だ。軍事政権をルーツとする権威主義勢力と嶺南(ヨンナム=慶尚道)を基盤とする自由主義勢力が連合した民主自由党(1990~1995年)を継承している。理念的には反共・国家主義的傾向を帯びつつ、経済的には大企業親和路線を歩んできた。北朝鮮という変数の影響でマッカーシズム的傾向が際立つ時期もあったが、この党を「極右」と規定する人はごく少数だった。権力分立と法治、個人の自由の保障を核とする現行の憲政秩序を否定したり、そこからの離脱を試みたりしたことはないからだ。

 状況は12・3内乱を経て急変した。多くの人々が国民の力を「極右政党」と呼ぶことをためらわない。軍を動員した憲政破壊の試みを擁護し、憲法裁判所と裁判所の権威を揺さぶりつつ代議制民主主義の根幹である選挙システムに対する不信を助長し、潜伏していた排外主義(反中国)とマイノリティー嫌悪をあおるという、典型的な極右政党の態度を示しているからだ。

■前兆

 すべてを12・3内乱という「政治的急変事態」のせいにできるだろうか。それはできない。専門家たちは概して、「国民の力の極右化」の機運は文在寅(ムン・ジェイン)政権の発足(2017年)を前後して芽生えたと考えている。2016年の総選挙での敗北と朴槿恵(パク・クネ)大統領の弾劾、セヌリ党の分裂を経て保守政党が院内で少数派となったこと、南北関係の急速な雪解けと市民社会での差別禁止法制定の動きなどに刺激された反共・反北朝鮮、極右プロテスタント集団が、「広場に結集した力」を背景として政治勢力化を図っていた時期だ。

 転換点は2019年、自由韓国党のファン・ギョアン体制の登場だった。この体制は、文在寅政権時代の中盤における「保守の没落」という危機意識の中で、周辺部にとどまっていた過激主義勢力が、規模と影響力を育みつつ、主流保守政党を圧迫していく流れの中で誕生した。実際に、自由韓国党が場外闘争に本格突入した2019~2020年は、韓国キリスト教総連合会の代表会長に就任したチョン・グァンフン牧師が太極旗部隊と共に全国組織を作り、「文在寅下野署名」を集めはじめた時期と重なる。2019年10月からは自由韓国党の元・現職議員たちもこの流れに合流する。当時、チョン・グァンフン牧師の集会でマイクを握った政治家の中には、江原道のキム・ジンテ知事やソウル市のオ・セフン市長もいた。

 同月25日には、チョン・グァンフン勢力の光化門(クァンファムン)集会にファン・ギョアン代表が議員たちを率いて参加した。その年の12月16日、自由韓国党が国会で主催した「ファストトラック法案阻止集会」には極右プロテスタント勢力が大挙して参加し、「命をかけて自由大韓民国を守ろう」というファン・ギョアン代表の発言に「アーメン」と「ハレルヤ」で応えた。太極旗、星条旗、イスラエル国旗がはためく中、一部の参加者が国会本館への乱入を試み、国会警備隊と衝突した。

大邱市のホン・ジュンピョ市長が、自由韓国党(国民の力)の候補として大統領選に出馬した2017年5月2日午後、ソウル汝矣島の党本部で行われたキリスト自由党・汎キリスト教界支持宣言記者会見に出席し、チョン・グァンフン牧師と手を組んでいる/聯合ニュース

■距離置きと再結合

 ファン・ギョアン体制からはじまった「極右との同居」の結果は散々なものだった。未来統合党へと党名を変更して臨んだ2020年の総選挙では、103議席を獲得するにとどまった。保守政党史上、最悪の惨敗だった。ファン・ギョアン体制は1年2カ月で幕を下ろし、キム・ジョンイン非常対策委員会が設置された。キム・ジョンイン非対委員長は「チョン・グァンフン牧師と私たちは何の関係もない」と述べて「極右切り」に着手し、チュ・ホヨン院内代表(当時)は「社会におけるいわゆる『極右』といわれる方々や党は私たちとは異なる」と強調した。だがそれは「決別」ではなく、「一時的な距離置き」に過ぎなかった。

 「極右化」の新たな局面は、尹錫悦(ユン・ソクヨル)の大統領選挙への挑戦と共にはじまった。チョン・グァンフン牧師は2022年1月の教会での説教で、「尹錫悦を通じて政権交代する以外の方法があれば持ってきてみよ」と熱弁した。この時期、尹錫悦候補もやはり「右派ポピュリズム」の表情を見せはじめる。当時、尹錫悦が最も注力した作業は、「公正と常識の回復」というスローガンの下、社会を「略奪勢力」と「国民」に分断することだった。

 尹錫悦式ポピュリズムにおける「略奪勢力」とは、リベラル指向の86世代の政治家、民主労総に象徴される正社員労組、フェミニスト、革新派市民団体、性的マイノリティー、移住労働者など、普段から尹錫悦とその周辺勢力が強い敵意を表出してきた集団だった。そして、この略奪勢力を除くすべての人々を「国民」と呼び、自分たちの側に引き寄せた。「国民」の核をなすのは総合不動産税と高額の財産税の納付者、極右の高齢層、大規模教会の信者、20~30代の男性、伝統的保守有権者、両極化の直撃を受けたぜい弱階層だった。結果は0.73ポイント差という超薄氷の勝利だった。(2に続く)

2022年2月15日、第20代大統領選挙に「国民の力」から出馬した尹錫悦候補が釜山西面で支持者の歓声にアッパーカットのポーズで応えている=共同取材写真//ハンギョレ新聞社
イ・セヨン、シン・ミンジョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/1187262.html韓国語原文入力:2025-03-17 05:00
訳D.K

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